白神山地は、最高峰の向白神岳(1,243m)、白神の盟主・白神岳(1,232m)をはじめ、千メートル前後の山々が連なり、世界最大規模のブナ原生林に覆われた原生的な山域である。
これらを源流とする赤石川や追良瀬川は、谷が深く容易に釣り人を寄せ付けないイワナの聖域として知られ、とりわけ源流のイワナ釣りをめざす渓師たちにとっては憧憬の谷である。
この広大なブナ原生林を分断する青秋林道が着工されたのは昭和57年8月のことだった。
以来「保護か開発か」で揺れ続けた白神の保護問題も平成元年に林道建設の中止が決定。
平成2年4月には、林野庁が白神山地など全国7ケ所の国有林を森林生態系保護地域に設定した。
「手つかずの自然」を守るため、登山や釣り人も含めて「入山禁止」を打ち出した。
さらに平成5年12月には、白神山地・1万7千ヘクタールを世界遺産に登録、「入山禁止」を巡る問題は、保護内部で深刻な対立を生むに至った。
秋田県側の粕毛川源流部は、世界遺産登録と同時に禁漁を決定、あっさり入山禁止が決まった。
しかし、広大な原生林を有する青森県側では、白神と深く係わってきた歴史をもつことから入山禁止には反対の意見が多かった。
秋田・青森両県と林野庁、環境庁による「白神山地世界遺産地域連絡会議」で2年にわたり管理方法が検討され、ようやく、平成9年7月から27の指定ルートに限って解禁された。
しかしながら、この指定ルートの選定や焚き火の禁止など、自然保護団体や登山者などから多くのクレームがつけられているにもかかわらず、見切り発車された。
これらの問題について、白神の山と渓谷を最も愛する釣り人の一人として、自らの体験を含めて考察してみたい。
自らの体験から白神を考える
白神山地は、私の運命を大きく変えた山である。
かつて、白神山地は眺めるだけの山だった。
白神の谷を知らなかった私は、海、川、湖、沼など釣れる魚なら何でもよかった。
イワナ釣りも好きだったが、日帰り釣りしか知らなかった。
自然保護について言えば、「保護か開発か」と問われれば「保護」という程度のものだった。
ブナはもちろんのこと、自然とイワナの関係についても全くの無知であった。
ただ、人よりも多く、より大きな魚を釣りたいという浅ましい心しか持ち合わせていなかった。
釣り雑誌によく出てくる「リリース」という言葉を見ると、単に「ほら吹きの哲学」にしか写らなかった。
白神山地の原生的自然を知らず、机上の自然保護の観念しかなかった時代に「世界遺産・白神山地への入山規制についてどう思いますか」と問われれば、私はどう答えただろうか。
きっと「釣り人や山菜採りはマナーが悪いから、入山規制もしょうがない」と答えただろう。
そんな私が、なぜ入山禁止に反対するようになったのだろうか。
自分の体験を通して考えてみたい。
源流一年生を圧倒した白神のイワナ
八森町の青秋林道工事の終点に車を止め、二ツ森への登山道からマタギ道を辿って、赤石川源流へと向かった。
山を知らない若葉マークの釣り人3人は、重い荷を背負い、稚拙な装備で広大な無人境に挑んだ。
マタギ道は獣道に近く、初心者にとっては苦しい道だった。
なんでこんな苦しい思いをしてまでイワナを釣らなければならないのか、という自問自答が、倒れそうな頭の中を駆け巡った。
やっとの思いで泊り沢との合流点二股に転がり込んだ。
そこは、ブナの森に覆われ、静寂を破るせせらぎの音が心地よく響いてくる別世界だった。
清澄な流れの中に目を転ずれば、イワナが走る黒い影が見えた。
9寸クラスのイワナに惑わされながら泊り沢を釣り上ったが、時間をすっかり忘れていた。
谷はすっかり暗くなり、瀬音以外は恐ろしいくらいの静寂があった。ライトを点けて下ると、淵の岸辺でゆっくり動く一団が目に止まった。
何と尺をゆうに越える大イワナが岸辺で群れ遊ぶ姿がライトの光に浮かび上がったのだ。
私たちは、釣りの相手をしてもらえなかった大イワナの群れに、ただ唖然とその場に立ちつくしていた。
それは、源流一年生を圧倒するに余りある光景だった。
テン場に着くと、後からきた4名が盛大な焚き火を囲んで談笑していた。
最初は、我々の焚き火の場所を勝手に占領してと思った。
ところが、やけに親切な人たちだった。
イワナの塩焼きしか知らない我々に、卵と白子の酢醤油あえなど親切に教えてくれたり、焚き火に誘って白神の自然を教えてもらった。
互いに打ち解けるのにそんなに時間はかからなかった。
翌日、ミズの漬け物やきのこ料理もごちそうになった。
谷の仲間の有り難さを知った。
根深誠さんのパーティということだったが、その時、根深さんがどういう人か全く知らなかった。
彼は、焚き火の周りに佇み、寡黙にメモをとり続けていた。
後日、白神と釣りを愛し、青秋林道の工事に反対していることを知った。
白神は素人が行ける場所ではない
白神の谷の麗しさとイワナに魅了された我々は、イワナ以外の釣りを全て止めて白神の源流へとのめり込んでいった。
翌年、追良瀬川の堰堤から源流へと向かった。
2日かけて三ノ沢まで移動、一気にウズラ石沢の出合いまで歩き、竿を出した。
雨が降ってきたお陰で、イワナは入れ食いとなった。
次第に雨は強くなり、バケツをひっくり返したような大雨となった。
ツツミ沢に入ると、流れは濁り落ち葉まで流れてくるようになった。
それでもイワナの誘惑には勝てず、釣りを続けてしまった。これが失敗のもとだった。
下るにつれて濁流はみるみる太くなっていった。
あちこちの岸壁から新たに出現した流れが滝となって襲ってくる。
怖ろしさで体が震えた。
ビバーグということを知らない我々は、夢中になって濁流を泳ぎながらテン場へと向かった。
もうイワナなどどうでもよかった。
凄まじい流れに底石がゴロゴロ転がる音がした。
4時間もかけて命カラガラ帰還することができたが、事故が起きなかったのが不思議なくらいで、今考えるとウルトラ馬鹿の行動であったことは確かだ。
さらに悪いことに、雨の中で焚き火を燃やす技術も装備もなかった。
降り続く雨の中、濡れた体は寒さで震え、安テントに侵入してくる水と悪戦苦闘、忘れることのできない悪夢のような長い一夜を過ごした。
白神の谷は奥が深く、既存の道などどこにもない。
悪天候や増水にも耐えられる技術と装備と知恵をもたない素人がくるところではない、ということを痛いほど味わった。
白神は、森と人との共生を教えてくれる神のような存在
何日もかかって危険を犯しながら、白神の源流をめざしていく。
それは、日帰り釣りに比べ、イワナ釣りの時間は圧倒的に少ない。
これではイワナ釣りではなく、まるで沢登りだと思った。
そうだ、イワナしか見えないから駄目なのだ。
沢登りをメインに、イワナはその副産物と考えればいい。
そう思った瞬間、私たちの世界は広がった。
この手痛い洗礼を受けた我々は、イワナ釣りから沢登りへの転向、渓師への一歩を踏み出すべく、それぞれ分担しながら猛勉強を開始した。
沢登りの技術、野営・遡行用具、地図の読み方、気象、野生動物、野鳥、山菜・きのこ、山野草、ブナの原生林とイワナの関係、青秋林道問題など。
そうした努力もあって装備と技術は飛躍的に改善されたし、保護か開発かで揺れる青秋林道建設問題やブナ帯文化へも関心が深まっていった。
重い荷を背負い、滝をよじ、藪をかき分け稜線を越えると、見渡す限りブナの樹海に埋め尽くされた縄文の世界へ一気に突入する。
深い森から浸み出した流れは、ブナのトンネルの中を穏やかにゆったりと流れ、まるで母なる慈愛に満ちている。
壮大な自然画廊、可憐な山野草、白神の清冽な瀑布と清い流れに心が洗われた。
白神に入る前の浅はかな考え方は、悉く粉砕されていくのを肌で感じた。
そして藪だらけの尾根を越える苦しさの向こうに、大きな感激が待っていることを教えられた。
ブナの原生林なくしてイワナは存在し得ない。
イワナなくして釣り人も存在し得ない。
イワナを釣り、それを食べることは「山の命」をいただくことと同じだ。
必要以上の殺生は止めよう。
リリースや滝上に在来種の放流をするなど持続可能な釣りをめざさなければならない。
白神の奥に入れば入るほど、その思いが強くなった。
イワナを追うということは、とりもなおさず自然を追うことである。
白神のイワナは、自然と人との共生の大切さを私たちに教えてくれたのだ。
本質から外れた「入山禁止問題」
白神山地の保護問題が、青秋林道建設問題から、いつしか核心地域の入山禁止問題へと変質し、保護内部での無用な対立を生んでしまったのはどういうことだろうか。
これまで原生的自然環境は、人が入山したからではなく、林道建設やブナの伐採など開発行為によって破壊されてきた。
白神の場合は、原生的な自然を分断する青秋林道建設が最大の問題であったはずだ。
白神山地の自然を保全するためには、こうした開発行為を規制するだけで十分である。
もし仮に核心部への入山が爆発的に増えたとするならば、核心地域へ容易に接近できる林道を規制すればすむことである。
あてにならない巡視員を増員するよりも遙かに効果があるはずだ。
白神山地が無名の山だった時代に、白神に遊び、白神から学んできた人たちは、地元のマタギや沢登り、源流のイワナ釣りを愛する人たちであった。
こうした白神を最も知り尽くしている人たちをあたかも自然破壊者とみなして、その行為をことごとく禁止するのは本質の議論から外れているとしか思えない。
白神山地の青秋林道建設を中止に追い込んだ原動力は何だったのか。
「学術的に貴重だから」でもなく「世界遺産にするため」でもなかった。
白神のブナ原生林とともに生きてきた風土と文化を守ることがその大きな原動力だったはずだ。
単に「学術的に貴重だから」とか「世界遺産だから」という理由で、人間を徹底的に排除して白神を守るんだという発想は、ある事態を想定して先手を打つ日本の規制の典型的なパターンである。
管理する側としては、確かに入山禁止にした方が最も無難な方法である。
そうした安直な考え方から、自然と共生しながら保全していくという日本型自然保護の理念は決して生まれない。
核心地域への入山手続きに関する疑問
幸い青森県側は、核心地域への入山を認めているが、内容を見れば様々な問題が存在していることに驚かされる。
「白神山地世界遺産地域の核心地域への入山に必要な手続き等について」(白神山地世界遺産地域連絡会議)によれば、「落ち葉・落枝、流木の採取」や「焚き火」まで禁止となっている。
核心地域から外れている白神岳や二ツ森、藤里駒ヶ岳、小岳への登山は、整備された登山道を利用している。
登山道を利用して山の頂に達するには、焚き火は不要であるかもしれない。
しかしながら、白神山地の核心部への登山は、水に濡れることもない整備された登山道を歩くことだと思ったら大間違いである。
白神山地の核心部への登山の特徴を列挙すれば、
- 白神山地の稜線は、森林限界を越えず、ブナと背丈以上の笹藪に覆われ、縦走ができないばかりか、見晴らしも悪い。
- 核心部内は登山道が皆無、もちろん山小屋もない。白神山地の登山の魅力は、道もない沢を歩くことに尽きる。
- 白神の谷は奥が深く、日帰りは不可能。谷で数泊の野営をしなければならない。予期せぬ台風や大雨の時は、ビバーグも必要である。それなりの技術と装備をもったグループ以外は、入ろうと思っても入れない。
- 核心部への入山は、沢登りと野営が必須条件であるからこそ、焚き火とは切っても切れない関係にある。
白神の沢歩きは、身を切るような冷たい流れを何時間も濡れながら歩かねばならない。
焚き火は、冷えた体を暖め、濡れた衣服を乾かすのに欠かせない。
そして、何より森との一体感を得ることができる。
そして予期せぬ台風や大雨、増水に見舞われた場合は、焚き火の有り難さが身に沁みる。
焚き火があるからこそ、冷静な判断と待つ姿勢を保持できるのだ。
さらに、自分のゴミはもちろんのこと、周辺に落ちているゴミを拾い集めて焼却、来たときよりも綺麗に清掃するために必要な行為である。
核心部への入山には、焚き火が必要不可欠であるにもかかわらず、焚き火を全て禁止するいう考え方には、とても賛成できない。
疑問だらけの指定ルート
指定ルートは、縮尺6万分の1の地図に太線で描かれているが、白神に精通した人以外は、正確に読みとることは、まず無理である。
私は、5万分の1に27ルートを解読しながら再現してみたが、その地図を眺めれば眺めるほど疑問が次から次へと湧いてくる。
- 赤石川源流キシネクラ沢は、藪だらけの稜線で行き止まりとなっている。大川源流へ抜けることはできない。
- 泊り沢を登り、尾根を越えて滝川を下降するルートは、最も一般的なコースだが、全て外れている。これでは、赤石川を代表するアイコガの滝を見ることはできない。
- さらにおかしいのは、白神山地最大の滝・白滝(日暮らしの滝)がルートから外れていること。
- 二ツ森登山道からマタギ道を辿り、泊り平と呼ばれるブナ原生林を抜けて赤石川源流二股に達するルートが外れている。
こうした一般的なルートが外れているだけでなく、行き止まりルートや迷いやすいルートなど、とても賛成できる内容ではない。
指定ルートを歩く
平成9年10月、指定ルートに従って大川・折埼沢を詰め石の小屋場沢を下って赤石川源流に入り、増水した赤石川本流をずぶ濡れになりながら徒渉し、ヤナダキ沢を登って暗門の滝へ抜けるおよそ22キロを歩いてみた。
紅葉とイワナの産卵を撮影する目的もあったが、指定ルートの折埼沢源流越えに悪戦苦闘、アラレや雪、雷、雨にたたられそれどころではなかった。
さらに悪いことに暗門の滝へ降りたら、増水で遊歩道の橋はことごとく流され、暗門と呼ばれるV字渓谷に閉じ込められてしまった。
屹立する壁に鼻をぶつけるようにしてよじ登ったり、壊れた橋を引き上げて修復、ザイルで誘導しながら激流が走る対岸に橋を架けて渡ったりしながら突破、それこそ命カラガラで帰ってきた。
お陰で4日間の予定が5日間もかかり、危うく遭難騒動を引き起こすところだった。
白神を甘くみてはいけない。
迷うルートには必ず赤いテープなど目印があるものだが、全て外され何もなかった。
これには驚くほかない。
まるで来るな、と言わんばかりだ。
初めて白神に入る登山者には、気の毒だが、危険なルートがいくつもあると言わざるを得ない。
釣り人にしかできないイワナの源頭放流
自然保護は、人間が教えるものではなく、自然から直接学ぶものである。
白神のもつ秀逸した素晴らしさは、森の恵みの豊かさにある。
森と人との共生は、そうした山の命をありがたくいただくことから始まる。
そうして初めて命の森に感謝し、白い神が宿る山に畏敬の念を抱くことができるのである。
こうした感謝と畏敬の念から持続可能な山利用が生まれる。
持続可能な山利用とは、自然の再生産が可能な範囲内で利用することである。
イワナについて言えば、食べる分だけしか釣らない、あるいはリリースということになるがただそれだけではない。
在来イワナを増やす努力も忘れてはならない。
イワナは常に上流をめざす習性をもっている。
そして、洪水によって流れ去れ、ある者は下流へと流されていく。
遡上と流下のサイクルを繰り返すことによってイワナの生息圏は保たれている。
より上流の滝上に放流すれば、源流部だけでなく、洪水によって下流へも拡散され増殖していく。
ただし、養殖イワナの放流は、生態系を乱す行為であり絶対してはならない。
あくまで在来イワナを釣って滝上に放流するスタイルでなければならない。
赤石川本流ヨドメの滝は、かつてイワナ止めの滝だった。
その上流には、地元のマタギが下流で釣ったイワナを放流し生息域を拡大、さらに、アイコガの滝上流及び泊り沢の魚止め滝上流には、釣り人たちの献身的な努力によってイワナの生息圏が拡大している。
こうした在来イワナの源頭放流は、釣り人にしかできない技である。
白神を愛する心と文化を次の世代へ
川は、常に文明や文化を生み出してきた。
とりわけ白神の豊かな流れは、森と人とが見事に調和したブナ帯文化を生み出した。
この文化こそ世界に誇りうるものである。
白神に生きる山村住民たちは、長い年月の間、うまく自然と共存し、わが山と川であるという認識をもちながら暮らしてきた。
その山を分断する青秋林道建設が中止へと追い込まれた最大の力は、自然保護団体をはじめとした白神を愛する人たちとともに、わが山と川を守る運動として地元の人たちが立ち上がった結果である。
この教訓を私たちは重く受け止めなければならない。
「釣りや山菜採りは、マナーが悪いから入山禁止にすべきだ」という意見は、いかにも一般的な意見のように聞こえるが、白神に対する無知や愛着心の欠落からきているのは、誠に残念で悔しいことだ。
「母なる森」「縄文の森」と呼ばれる白神山地とはどのような森で、その森からどういう文化が生まれ、どういう歴史をたどって保全されてきたかについて、残念ながら多くの人たちは知らないという事実である。
これでは、白神を守る愛着心は生まれない。
白神の奥深くに入り、ほんの少しだけ山の命をいだいて、白神の恵み豊かな自然に感謝と畏敬の念をもっていただきたい。
そして豊かな自然と恵みから生まれた多様な文化と歴史を正しく理解し、白神を我が愛すべき山との認識を持っていただきたい。
白神を愛する心と文化こそ、後世に引き継ぐべき貴重な財産である。
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