歴史のロマンを探る山旅@ A B C

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左岸の岸壁から滴り落ちる湧水。早速、コップを背中から取り出してごちそうになる。夏でも冷たく美味い!美味い!これだから谷歩きはやめられない。 鬱蒼とした森に包まれた小沢の流れ。本流は、水温が高く飲む気がしなかったが、小沢の流水は冷たく美味い。
左岸の黒い岸壁が聳え立つカーブの渕を釣る。まもなく、二又だ。 台風で落下したブナの実。今年は、ブナの実が豊作らしく、どのブナにも実がびっしり付いていた。
右から柏沢、左から東山沢が合流する二又。ここで昼食とする。私は、ここまで一切竿を出していない。自分の食べる分くらいは自分で釣らねばと思い、ここで川虫を採取。柏沢で8寸から9寸ほどの岩魚を三本キープする。下手な釣り師にさえ、無垢なる源流岩魚は簡単に釣れてきた。有難いことだ。 7月中旬というのに、雪煙が舞うスノーブリッジがあった。ここまで暑かっただけに、汗がすっーと引いていくほど冷たい天然のクーラーはありがたい。回りを見渡せば、食べ頃のホンナ、ウド、ウルイ、ゼンマイがあった。もちろん、採取し、時季外れの山菜を美味しくいただいた。
柏沢最大の滝、30m大滝。前回は、東山沢を遡行したために、この滝を見るのは今回が初めてだ。両岸が屹立する岸壁、その遥か天井から落下する迫力は満点だ。小滝を含めると3段の滝が連続している。竿を放り投げて夢中でシャッターを切る。これぞ古道を辿り、歴史のロマンに浸りながら小出川源流行のフィナーレを飾るにふさわしい見事な滝だ。 まるで真夏の渓に降り注ぐ巨大なシャワー。この位置でも、降り注ぐシャワーの飛沫が飛んでくる。この滝上もかなりの距離があり、岩魚の生息を確認したかったが、時間がなく諦めざるを得なかった。恐らく、左岸を巻けば、簡単に滝上に出られそうだった。
落下する滝をスローシャッターで切る。 スノーブリッジのあった岸壁で採取したゼンマイ。
仙北街道がある大高鼻沢の岩魚。 今回のメンバーは、中村会長、長谷川副会長、そして私の3名。梅雨時期にもかかわらず、天候には恵まれた。山の神に感謝!感謝!
仙北街道の荷を運んだ背負子たちが放流したものか、あるいは小出川を猟場としたマタギが放流したものか。いずれにしても先人たちの放流した岩魚の子孫を石柱に供え、感謝の意を捧げた。
記録によれば、東成瀬村のマタギたちもこの小出川の流域を猟場にしていたという。さらにマタギの本家・阿仁マタギも大正の初め頃までは毎年春にやってきて1ヶ月ほど猟をしていたらしい。その際、岩洞穴を狩り小屋代わりに利用したという。この流域のブナに「阿仁」と彫ったブナの大木が現在もあるというが、このブナの大木と岩洞穴をぜひ見つけてみたいものだ。
太古のままの原始林、そのど真ん中を地図から消えた古道が小出川の山と渓谷にはっきりと刻み込まれている。仙北街道を往来した1000年以上に及ぶ歴史のロマンを解明するには、この流域一帯をくまなく歩く以外にないだろう。今度は東成瀬村手倉から胆沢町下嵐江まで24キロを踏破してみたいとの衝動にかられた。
この古道の魅力は、表街道というよりは、裏街道というイメージがやたら匂うからである。少なくとも大名や武士が通常利用するような道ではない。米、酒などは山越え禁止品であったが、その裏取引としてこの山道が利用されている。さらに、追放の罪人、乞食や浮浪人、隠れキリシタン、裏街道を歩いた旅マタギ、放浪の画人・蓑虫山人など、人生の裏街道を歩むものにとって、なぜかピッタリくるような古道に思えてならない。

歴史のロマンを探る山旅@ A B C

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