歴史のロマンを探る山旅@ A B C

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 1000年以上の歴史を刻む古道・旧仙北街道は、仙台藩と秋田藩を結ぶ最短ルートの山道である。その道は、胆沢川支流小出川の原生林地帯のど真ん中を横断し、現在でも開発から逃れてほぼ昔のままに現存しているのである。大正時代、北上-横手間の平和街道(国道107号)が開通すると、地図から消えた。しかし、仙北街道は深い山々にしっかりと刻み込まれ、遺跡や見渡す風景は、昔と変わらない原風景が広がっている。こんな貴重な古道を歩き、歴史のロマンを探りながら山釣りも楽しめる。こんな贅沢な山旅がほかにあるだろうか。

秋田県東成瀬村「手倉越(旧仙北街道)古地図」(増田町教育委員会所蔵)。この古道は、秋田県東成瀬村手倉から柏峠(1018m)、小出川、栃川、大胡桃山(934m)を通り胆沢町下嵐江(オロセ)まで24kmの山岳街道である。秋田側では「手倉越え」「仙北道」と呼んだ。 仙北街道の道標。自然石に「右せんだい道」と彫られている。手倉越えは難所がいくつもあったが、元気づけてくれた地名や休場が数々あった。中間の中山小屋(お助け小屋)までちょうど半分の12km(3里)。今回は、岩手県胆沢町下嵐江から小出川をめざした。
岩手県胆沢町大寒沢林道終点。森林生態系保護地域の看板には、旧仙北街道のルートが記されている。ここより、稜線沿いの仙北街道まで一気に直登する。 標高差約150mほど登ると仙北街道と合流する。現在は古道を刈り払い、東成瀬村と胆沢町で毎年夏に交互に街道を往来し、交流している。
稜線沿いには、300年ほどのブナの巨木が林立し、この街道を往来した背負子、商人、旅人、芸人、飛脚、隠れキリシタン、追放の罪人、乞食、浮浪人、旅マタギなど、険しい山岳街道を歩いた人々の様々な人生を見届けてきたに違いない。 大胡桃山麓で道は2つに分かれる。右に進めば大胡桃山(934m)、左に進めば平坦な迂回道路になっている。荷物を運ぶ背負子たちは一人8貫(約30kg)、自信のあるものはさらに4貫上乗せ(計約45kg)したという。背負子は一団となって秋田と岩手の荷物の交換場所である中山小屋をめざした。
遠くに残雪が見える山並みが焼石連峰、手前の谷が胆沢川支流小出川の原生林。この流域一帯は、太古のままの原始林が広がっている。文政8年(1825)、飢饉の手当てのため、前沢領主が秋田から米3千俵を買い付け、仙北街道を運んだ。その時の山道と風景がそのまま残っているのは驚きだ。 急な「マタギ坂」を下り、小沢を下ると「ツナギ沢」に達する。かつては、ここにオサゴ橋が架けられていたという。この下流には幾つもの滝があるが、確かに岩魚が生息していた。一体、誰が放流したのだろうか。
ツナギ沢合流点の左に石柱があった。「仙北街道 ツナギ沢」と彫られている。 栃川と合流する付近のツナギ沢は、滝が連続している。古道は、左岸を大きく高巻くルートになっている。急な坂を下るとトチの巨木が見える栃川に達する。石柱には「栃川落合」と刻まれている。
「栃川落合」地点。右手の奥にツナギ沢沿いの仙北街道が続いている。背後に黒く丸い岩盤の2条の滝が見えた。 小出川本流。この上流右岸の高台をテン場とする。右が大高鼻沢が合流している。栃川は、これより下流に合流していた。
栃川の流れは、横たわる流木にせき止められ、流れは10年前より下流に変化していた。ブナの巨木が林立する右岸をテン場とする。 ちょっと写真が暗いが、小出川を渡り、この森の奥に仙北街道が続いている。意外と平坦な場所で、かつてはここにも「お助け小屋」があったと言われる地点だ。険しい山中だけに、事故や悪天候の場合は、「お助け小屋」が大活躍したことだろう。

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