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川魚その1・・・ドジョウ、コイ、ギンブナ、ゲンゴロウブナ、ナマズ
ウグイ、タニシ、カラスガイ、タナゴ、ヤツメ、シラウオ、シロウオ
 河川に生息する魚で古くから食用とされてきたのは、アユ、イワナ、ヤマメ、サクラマス、川マス、カジカ、サケ、ウグイ、八つ目ウナギ、サワガニ、シラウオ、シロウオなど。平地の田んぼや堰、沼に生息する魚貝類では、ドジョウ、コイ、フナ、ナマズ、ワカサギ、タニシ、カラスガイなど。秋田は、何と言っても淡水魚の宝庫で、獲る楽しみ、食べる楽しみに溢れていた。
ドジョウ
 ドジョウは、田んぼや沼、小川など、身近な水域に生息、昔から日常的に食べられていた淡水魚の代表格。幼い頃、ミミズをエサに釣ったり、網で獲ったりした経験のある人も多いに違いない。水底近くで暮らし、10本のヒゲを使ってエサを探す。小動物や藻類を食べる雑食性で、春に田んぼなどの水たまりで産卵する。皮膚からも呼吸できる凄い能力を持ち、渇水で干からびても泥に潜って生き延びることができる。冬には、もちろん泥の中で冬眠する。

どじょうの味噌かやき(写真右上)…江戸時代のころ、山村では海の生魚を手にすることが少なかったので、どじょうはご馳走に属する料理だった。6〜7月頃が旬。夏の暑さで体力が低下している時に食べるどじょう汁は、精のつく食べ物として喜ばれた。まずトジョウを綺麗な水に入れ、泥を吐かせる。ゴボウはササガキにして水にさらし、鍋に入れて煮る。多めの味噌を入れ、数十匹のドジョウを生きたまま鍋に入れる。鍋からドジョウが飛び出さないよう、卵でとして火を止め、素早く蓋をする。数分間蒸してから食べる。

ドジョウのたたき・・・八郎潟周辺の水田地帯では、ドジョウをたたいて、鶏卵や片栗粉で合わせダンゴにし、ショッツルあるいは醤油だしの吸い物にした。ゴリなどの潟魚もたたいて食べた。この他にトジョウの佃煮、唐揚げ、蒲焼など。ドジョウは、「土の香りがする魚料理」で農村地帯を代表する魚だった。
 県南地方ではドジョウ鍋で客をもてなした。米糠を炊って混ぜた土だんごを作り、「ドジョウど」と呼ばれる捕獲用の道具に入れ、用水路の所々に10個ぐらい沈めておく。すると朝までにたくさんのドジョウが入った。これを桶に入れておき、お客さんが来ると、ドジョウ汁や卵とじなどを作ってもてなした。土用の丑の日にもドジョウを食べる習慣があった。小さなドジョウは、塩蒸しにして弁当のおかずにした。

 ※「かやき(貝焼き)」とは・・・金属製の鍋がなかった頃は、大きなホタテ貝の貝殻を鍋代わりに使ったことから、鍋料理を「かやき(貝焼き)」と呼んだ。秋田では、汁を少なくして肉や魚、野菜を入れて鍋で煮たものを「○○かやき」と呼んでいる。魚で言えば、クジラかやき、ハタハタかやき、ヤツメ(八つ目ウナギ)かやきなどと呼ぶ。
子ども時代の雑魚とり
 子どもの頃は、学校から帰ると親に見つからないように、竿とバケツを持って、まっすぐ田んぼの水路に走っていった。親に見つかると、農作業を手伝わされるからだ。フナ釣り、トジョウ釣り、雑魚とり・・・夏の夜ともなれば、カンテラとヤスを持って夜突きに明け暮れていた。当時は、釣りよりも夜突きが数段おもしろかった。なぜなら昼には、到底お目に掛かれないコイやフナ、ナマズ、ウグイの大物たちが、浅瀬にウヨウヨいたからだ。

 日中に雑魚とりをする場合は、まず稲を干すために使った杭に緒が切れた古い下駄を釘で打ち付け、魚を追い込む棒「エブリ棒」を作った。雑魚とりの四つ道具は、この特製棒と網、魚を入れるバケツ、そしてドジョウを網から簡単にすくい取る味噌汁用のお椀だった。水路の下流に一人が網をかけ、もう一人は「エブリ棒」を持って魚を網へ追い詰めていく。

 魚も必死で逃げようとするから、追い込むタイミングと網を上げるタイミングがピタリ合うのは意外と難しい。タイミングが合うと、大量の魚で網が重くなる。その網をググッと上げると、フナやドジョウ、タナゴ、ゲンゴロウ、ヤゴ、血を吸うヒル、気色悪いイモリまでもが入った。時々、大きなコイやナマズが入ると歓声を上げるほど興奮した。バケツ一杯の大漁ともなれば、足取り軽く家路につき、親たちに延々自慢話をしたものだった。今思うと、田んぼ周辺の生き物の多様性は凄かった。
 写真集「米づくりの村」(井上一郎著、社団法人家の光協会)

 貧しい農村では、子どもたちがとってきた魚は、大事な家族の食糧だった。たとえ親に隠れて魚とりに興じても、咎めるどころか、大漁を一緒に喜んでくれた。食べ切れない魚は、囲炉裏に魚を串刺しにして焼き、ワラで作ったベンケイに刺して保存した。魚釣りも雑魚とりも、私にとっては、とるのも楽しかったけれど、家族が食べるという大きな目的があった。それだけに、釣りは「食べる」ためにやるという習性が体にしみついてしまった。

 秋田の多様な釣法も川漁も川魚料理も、全て貧しい農民、山村民がありったけの知恵と工夫を凝らした経験知から生まれたものばかりだ。どこぞの国の釣りは、上流階級の遊びで、魚を食べない「紳士のスポーツ」らしいが、私にとっては決して受け入れがたい文化だ。
コ イ
 写真:横手市の溜池で大量に捕獲されたコイ

 大きな魚体と二つの口ひげに象徴されるように、昔から「淡水魚の王様」と言われている。河川の淵や湖沼など、流れの緩い場所を好む。タニシやカワニナなどの底生動物を砂泥ごと吸い込み、喉にある歯で噛み砕いて食べる。1m以上に成長することも珍しくなく、最大1.5mを超える記録もある。寿命は長く、まれに70〜80年に達する。濡れた新聞紙にくるむだけで長時間生きているなど、大変生命力の強い魚である。さらに、秋田では、萩形ダム上流のイワナやヤマメが生息する渓流域でも生息し、環境適応力の強さに驚かされる。秋田では、昔から祝いの膳にコイ料理はつきもので、ため池への放流や養殖も盛んに行われた。

田沢湖の大ゴイ・・・かつて毒水が流入される以前は、体長1.2m以上・化け物と言われた大ゴイが獲れた。余りにも大きいので、魚の肉というよりは獣の肉の味だったと言われる。日本一深い湖で、どうやって大ゴイを獲ったのだろうか?。何と柄の長さ6〜7m、重さ7キロもあるヤスで突いて獲ったという。丸木舟に乗って、大ゴイを突けば、舟ごと大ゴイに数mも引っ張られるほどだったという。
 写真:大館市の溜池で捕獲されたコイ。暴れるコイは、写真のように目をふさぐと急に静かになる。

 稲刈りが終わった11月頃、農業用ため池では水を落とし「池干し」の行事が行われた。その際、最大の楽しみは、コイを捕獲しコイ料理を楽しむことだった。特に横手市大屋沼のコイは肉づきがよく、骨が柔らかいと評判だった。コイの料理は、アライ、味噌汁、甘煮、頭のタタキなど。頭のタタキは、ナタで細かくタタキ、これにネギを加えてまたタタキ、甘味の入った焼き味噌と一緒に煮ると絶品。

コイの甘煮・・・コイを生きたまま豪快に輪切りにする。それを二時間ほど水煮する。次に砂糖と酒少量を入れ、骨が柔らかくなるまで煮てから醤油を入れる。さらに2,3時間煮詰める。甘煮は、とろ火で長時間かけて煮るのがコツで、保存性も高くなる。テリの良いコイの甘煮は、県南地方の代表的な料理で、行事食には欠かせない料理だった。

コイのアライ、味噌鍋・・・コイの旬は、秋の霜が降りた頃から翌年の大寒まで。コイの刺身を作り、ぬるま湯にくぐらせて身を引き締める。コリコリした歯ざわりと食感は絶品。また寒中に、丸切りにしたコイとネギ、豆腐、セリなどを入れた味噌鍋も美味い。

 この他に、唐揚げ、燻製、ウロコのナマス、保存食としてコイの味噌漬けやカス漬けなど、料理の種類も多く、いかにコイが身近な魚料理として珍重されてきたかが分かる。
ギンブナ
 コイは「淡水魚の王様」と呼ばれるのに対し、ギンブナは「淡水魚の女王」と呼ばれている。湖沼や河川の中下流域、田んぼ周辺のクリークや小川などに生息。一般には「マブナ」と呼ばれている。小動物や水草、藻類を食べる雑食性。オスが全くいなくても子を産むことができる凄い遺伝子をもち、女系一族とも言われる。春になると小川などの浅い所に集まり、産卵に備えて活発にエサを食べる。これを釣り人は「乗っ込みブナ」と呼ぶ。
 写真集「潟の記憶」(川辺信康著、秋田魁新報社)・・・この写真集は干拓前の八郎潟の原風景を記録した貴重な写真集。「おおがたの記憶」の編集で川辺さんと知り合い、著者から直々にサイン入りでいただいた本だ。そこには「フナは潟の王者だった」と記されている。

 写真集の冒頭「追憶」には、次のように記されている。
 「ふるさとの童謡そのままに眠っていたフナが一斉に川といわず、堰といわず所かまわず産卵のために流れに逆らって上り始める。畦といわず、苗代といわず、うずをまいて勢いよく上って来るフナを夢中になって手づかみした経験は、潟を知る人なら誰しもが持つ思い出であろう。

 こんな場面と出くわさなくとも、長雨が続き、川が増水し始める岸の茂みに、棒きれに針金を曲げてつるしただけの即製の釣りざおに面白いように食らいつき、困るほど釣れたものだった。おおよそ60種もの魚介類が生息し、四季折々に私たちの味覚を楽しませてくれた漁法もまた、種類が多く、地形と魚の習性に合った独特の方法がとられ、その一つ一つが潟の風物詩だった。・・・」

 潟の漁師たちが、この豊かなフナの恩恵に授かったかを示すもの、それが「カモフナ供養塔」と刻んだ記念塔だ。湖民たちは、八郎湖のフナのことを「マガモブナ」と呼んだ。それがために「カモフナ」とは、フナのことを意味している。
 写真:「聞き書 秋田の食事」(農文協)をデジカメ撮影・・・「フナ料理のいろいろ」焼き魚、吸い物、味噌かやき、タタキ、刺身、煮付け

 また「聞き書き 秋田の食事」には「八郎潟を代表する魚は、フナである。雨が三粒降れば、産卵の場所を求めて家々の洗い場の水口まで上ってくる。また、苗代で仕事をしていると、草むらがザワザワと動き出し、子をはらんだ大きなフナの群れが上ってくるのが見えるので、苗代仕事そっちのけで、網ですくっては、ワラで四角に編んだ・・・菜俵にいっぱい入れ、背負って帰ることもしばしばである。ナマズ、ドジョウもよくとれる。」と記されている。かつて潟がいかに魚の宝庫であったか・・・目に浮かぶようだ。

 4月27日、鎮守・諏訪神社の祭りでは、フナやツブは欠かせないもので、お膳は、刺身から煮付け、お吸い物など、ほとんどフナを使った料理をしたという。フナは年中とれたが、旬は春、卵を抱いている時が最高だ。
▼琴丘町鹿渡地帯で獲れたフナを「鹿渡ブナ」と呼び、フナの中でも折り紙つきの高級品だったという。荒浜で、泥臭みがなく、20センチ以上のフナは、刺身や吸い物で食べた。これは淡白で絶品だったと記されている。また八竜町の白ブナを焼いた味噌汁は、一度食べたらやめられぬと言われるほど自慢の料理だった。

押しブナ(井川地方)・・・大きいフナを焼き、それを軽く鍋の蓋で押さえ、特製のタレをかけ熱いうちに食べる。この特製のタレをかけるとフナ特有の生臭みが消えるという。生きた旬のフナをつかい、焼けるそばからムシャムシャ食べた。

フナたたきの味噌汁(写真右上)…小ブナを骨がなくなるまで叩き、すり潰したものを「つみれ」にして味噌汁に入れて食べる昔ながらの料理。カルシウム源の骨が丸ごと食べられるところに、昔の人の知恵が生きている。八郎潟では、頭をとって三枚におろし、身だけとってすり鉢に入れ、大根の切り口を利用してつぶした。それからすりこぎでよくすり、卵と片栗粉を入れてよく混ぜ、平たく丸めて味噌汁の煮立ったところに落とす。タタキが浮いたら、汁ごと椀に盛り、刻みネギをはなして食べる。
ゲンゴロウブナ
 ゲンゴロウブナは、一般に「ヘラブナ」と呼ばれている。もともとは琵琶湖が原産だが、日本全国に放流され自然繁殖している。植物性プランクトンを主に食べる植物食。かつて「フナ釣り」と言えば、ギンブナのことだったが、現在はこの種が主流となっている。成長も早く、60センチ以上の大物も。外見的には、体高が著しく高いのが特徴。

 ため池の池干しでは、コイと同時に捕獲されるのがゲンゴロウブナ。一般に釣り人は不味いと言って食べないが、昔は腹を割いて内臓を取り去り、味噌を入れて焼いて食べた。フナの身に味噌の香り、味噌にはフナの味がしみ込み、酒のツマミとして喜ばれた。
ナマズ
 大きな頭と二本の口ヒゲ、背ビレはやたら小さく、尻ビレが大きいのが特徴。昼は物陰に潜んでいるが、日暮れ時から活動を始め、底生動物、小魚、カエルまで貪欲に食べる肉食性。ナマズは、トジョウと同じく田んぼとの縁が深い魚で、5月頃田んぼの浅瀬に集まり産卵する。外見に反して大変美味しい魚だ。

▼水田地帯では、柳の枝に短い糸と針を結び、エサをつけて夕方、川岸にさしておく「置き釣り」が盛んに行われた。早朝上げて回ると、毎朝3匹〜5匹も掛かっていた。これを串に刺して焼き、囲炉裏の上にあるベンケイに刺して保存した。
ウグイ(ジャコ、ザッコ)
 ウグイは、どこの川でもやたら獲れた魚で、県北ではジャコ、県南ではザッコ(雑魚)と呼ばれている。

冬の雑魚とり「まる漬け法」・・・自生する柳などを切り、6尺くらいの柴丸に縄でしばり、川の淀みや古い川跡などにつける。冬の天気の良い日を見計らい、これを雪の上に引き上げて、この中に入って越冬している雑魚をとる方法。多い家では30個もつけ、冬の間に次々と上げ、新鮮な川魚が乏しい冬の食膳を飾った。

ジャコのくらこあえ(写真右、阿仁川流域)…昔は冬の寒の頃になると、氷の張った川に穴を掘り、そこから川の中に雪を入れてかき回し、動きが鈍くなった魚が川面にあがってくるところを捕まえた。この漁を「ジャガキ」と呼んだ。こうして捕れたジャコを、にんにく味噌や玉ひろこ味噌であえた郷土料理。

春の珍味・ザッコナマス・・・ウグイをコイの洗いのようにつくる。これに生酢をかけ焼き味噌をつけて食べる。ザッコ田楽・・・ウグイを焼き、油で揚げる。これに砂糖の練り味噌をつけて熱いうちに食べる。
タニシ(ツブ)
 秋田では、淡水にすむ巻貝・タニシのことを「ツブ」と呼ぶ。かつては、田んぼや沼などで普通に見られ、貴重なタンパク源だった。ツブの旬は春・・・長い柄の先に小さなタモか杓子をつけて拾った。多い時は3時間くらいで1斗も拾ったという。これを桶に入れて水を換え、泥をはかせてから料理した。
ツブの酒味噌あえ・・・ツブは2,3日、水に入れて泥を吐かせる。左の写真のように、一つ一つ石で貝殻を叩き潰して、中の身を取り出す。この作業は大変面倒で根気を要する。剥き身をよく洗い、残った殻を取り除くが、ヘタだけはつけたままにしておく。沸騰した湯に1分ほどサッと茹で、ザルにあげて冷ます。酒で溶いた味噌にツブを混ぜ合わせ、砂糖で味を調えできあがり。手間が掛かるだけに大変美味しい。

ツブの干物(県南地方)・・・ツブを煮てから身を抜き出し、ゴザを広げて乾かす。干物にして冬まで保存した。これを水でもどして煮しめに入れたり、茹で直して、クルミ和えとして食べた。
カラスガイ
 カラスガイは、一週間ほど水に入れ泥を吐かせてから、殻のままで煮る。中身を取り出し、とろ火でかき回しながら、少量の味噌か醤油で味をつけ、豆腐を入れて煮る。またこれにゴマを入れたゴマ和え煮も美味い。さらに、茹で上げたニラを入れると風味が増す。かつては、冬の間イケス箱にカラスガイを入れ、春まで食べていた。
タナゴ
 タナゴは、稲刈りの頃が一番美味で「水落ちザッコに、稲タナゴ」と言われた。昭和の初め頃の釣り・・・タナゴが釣れると、ビグに木の葉を敷き、腹を絞って腸を抜き、葉の上に並べる。そして塩をふりかける。さらに釣ったタナゴの上に葉を敷いて、何段にもタナゴを塩ふりにして重ねていく。これを繰り返し、ビグが一杯になるまで釣った。家に帰り、焼いて食べると、ちょうどいい塩加減でとていも美味かったという。
米代川のヤツメ(カワヤツメ)
 目の後に7つのエラ穴が並び、目が8つあるように見えるからヤツメ(八つ目)と呼ばれている。雪が降り始めると、ヤツメは米代川を遡上する。これをカギに引っ掛けて獲る。能代の「ヤツメかやき」は美味いと評判だ。串に刺して焼き型をつけ、楕円形に切って、ネギ、豆腐を入れて味噌味で食べる。もう一つの料理は、生きたまま斜めに輪切りにし、血だらけのまま皿に盛り、野菜を入れた「味噌かやき」がある。いずれもスタミナ満点の郷土料理だ。
シラウオ
 シラウオ(白魚)は、沿岸や八郎潟など汽水域に生息し、産卵のために川を遡上する。白魚というより、奇妙なほどに細長く、体がスケルトンのように内臓や浮き袋まで透けて見える。
 写真:潟の風物詩だった「うたせ舟」(「おおがたの記憶」川辺信康著)

 かつて潟では、うたせ舟でシラウオとワカサギを獲った。秋風が湖面に渡る頃、帆を上げたうたせ舟が点々と八郎潟に浮かんだ。この舟は、風力を利用して帆に風をはらませ、網を引く仕掛けで、適度の風があれば大漁だったという。

 獲れたシラウオやワカサギは、近くの佃煮業者に売ったが、地元の人たちも、刺身、塩蒸し、吸い物、味噌かやきなどで、飽きることなく繰り返し食べた。シラウオの刺身は、生のままショウガを乗せて食べる。吸い物は、豆腐やネギを入れて醤油味にしたが、味噌汁にしても食べた。シラウオの塩辛は、シラウオ一升に塩五合、麹五合を加えて漬け込む。半年も経つと魚が溶けて形がなくなるが、これを調味料として使った貝焼きは美味い。

▼変わった潟の料理・イサジャの塩辛・・・イサジャはアミの一種で、体長4,5mmと小さく、大変腐りやすい。そこで手軽で保存のきく塩辛を大量に作った。イサジャ一升に塩五合〜一升、麹五合の割合で混ぜ、軽く重石して漬け込む。6ヶ月ほどたってから、釜に入れ熱を加え、煮てから保存する。そのままご飯のオカズにするほか、調味料、白菜漬け、なすの漬物などにも利用された。イサジャの塩辛は、日常的に大量に食べた大衆食品だったが、余りに塩分が多く、脳卒中の大きな原因と言われた。この地方で「当たった」と言えば、宝くじではなく、「脳卒中に当たった」ことを意味する言葉だった。
シロウオ
 シロウオは、シラウオと似ている魚で漢字で書くと、どちらも「白魚」。しかしシラウオはシラウオ科の魚で、シロウオはハゼ科の魚で全く別種だ。それにしても外見だけ見れば、とてもハゼの仲間とは思えない。透明な体をもち、河口などの汽水域に生息。春に産卵のため河川を遡上する。

▼秋田でシロウオ名物と言えば、能代市・米代川河口でとれる「踊り食い」だ。5月上旬、四つ手網からあげたばかりのシロウオを、漆塗りの椀に入れ、卵と醤油を混ぜる。椀の中でピンピンはねるのを丸呑みして食べる。まさに「踊り食い」そのもの。春の旬の味で、何度食べても美味い。
ちょっと気になるNews・・・「白神山地は今 禁猟 マタギ文化を排除」2003.12.11河北新報
 11月下旬、世界遺産地域を国の鳥獣保護区に指定するため、環境省東北地区自然保護事務所主催の公聴会が青森県西目屋村で開かれた。淡々と議事が進み幕が閉じる直前、白神マタギを継承する吉川隆さんがたまらずマイクを握った。

 「昔から求めてきたものを、ここ白神に求めているだけなのに。マタギ文化がこれでなくなる。・・・山の神へ畏敬の念を忘れたことはない。生態系を壊すやり方ではない。自然と共存してきた地元の文化を否定することが、世界遺産ではないはずだ」と、保護区指定に怒りをあらわにしたという。

 最後に記事は、吉川さんの本音を記している。
 ・・・「わたしは山に入ることをやめない。クマもこっそり捕るよ」と笑った。

 ・・・つづく(川魚その2・・・カジカ、アユ、クニマス、サケ、ヤマメ、イワナ、狩猟民の感覚・共生共死の思想をもっていた詩人・宮沢賢治)・・・
参 考 文 献
「秋田たべもの民俗誌」(太田雄治著、秋田魁新報社)
「阿仁川流域の郷土料理」(建設省東北地方建設局森吉山ダム工事事務所)
「秋田民俗覚書」(長山幹丸著、北方風土社)
日本の食生活全集5「聞き書 秋田の食事」(農文協)
「いなかの食卓 秋田だより」(相場栄著、文化出版局)
「淡水魚カタログ」(森文俊、秋山信彦、永岡書店)
写真集「潟の記憶」(川辺信康著、秋田魁新報社)
「注文の多い料理店」(宮沢賢治、新潮社文庫)
「ちくま日本文学全集 柳田國男」(筑摩書房)

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