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幻の味・・・サル、カモシカ、クマの○○、カラス
 秋田の山村には、今では幻の味となってしまったカモシカやサル、カラス、コウモリ、山ウサギのふん料理など、驚くほど多様な野生鳥獣料理があった。中には、残酷な料理と思えるようなものもある。ちなみに「聞き書 秋田の食事」(農文協)の「県北鹿角の食」では、「ヤマセ常襲地の鹿角は米が不安定で、焼畑からアワ、そば、大豆が食の基本」とし、山鳥、キジ、ウサギ、ムササビ、テン、キツネ、タヌキなどの野生鳥獣、イワナ、カジカ、トジョウ、タニシ、沢カニなどの川魚、列挙しきれないほどの山菜、きのこ料理が紹介されている。
幻の味1・・・2004年干支のサル
 サルの肉を食べられたのは昭和の初め頃まで、今では口にできない幻の味である。白神山地の麓・峰浜村の山人が、獣に内臓だけ食べられたサルを拾ってきたことがあった。その時、サルを食べないかと誘われた。山人は、私の耳元でしきりに「山の獣の中じゃ、一番美味んだ」とささやいた。だが、どうも気味悪く断ってしまった。今考えると、こんなチャンスは一生ないだけに食べておけばよかったのだが・・・。その後古い文献を読み漁ると、一様に「ほかの山野獣に比べサルの肉は最も美味である」と書いているではないか。
 写真:白神山地の深山で老死したと思われるサルの頭蓋骨と人間の歯とそっくりなサルの歯

 寒中のサルの肉は、黄色の脂がこってり付き、砂糖で味付けしたような甘味があり、比内鶏より数段美味いと記録されている。大正の初め頃までは、毛皮一枚でクマの毛皮三枚分に相当するほど高価だった。美味な肉に加え、サルの肝は薬の効き目がクマ以上だったという。サルの胆は、子供の食アタリ、カン、馬の突き目の妙薬として高く売れた。かつて仙北郡角館町のイサバ屋には、毛つきのままサルをぶら下げて売っていた。その枝肉を味噌漬けにし、焼肉として食べるなど、冬の旬の味として珍重されていた。 
 マタギが語るサルの生態・・・明治から大正にかけて和賀山塊のヒバ密林地帯には、サル、カモシカ、クマの楽園だったらしい。秋はヤマブドウ、クリ、サワグルミなどの木の実を食べ脂肪がのっている。しかし、ヒバの森に隠れて発見が難しい。冬の食べ物はマタタビの蔓の皮、カラカラになった干しキノコ類、木の皮など。雪が降ると足跡がつくので人間に発見されやすい。賢いサルは、樹木の上を枝渡りしてエサを探し歩き、雪の上には降りてこない。しかし堅雪になると、雪の上に降りてくる。サル狩りは、こうした堅雪を狙って行われた。

 吹雪くとヒバの森や沢の底にいるが、冬晴れになると一番高い山の峰で遠見している。子サルは頭を下にして母サルの背に抱きつく。これは柴などで目を突くのを防ぐためらしい。群れの中には、耳や爪がないものもいる。ボス争いなのか、仲間喧嘩も相当激しいようだ。

 サルの群れは、道ひきと言われるボスザルが集団の先頭に立ち、群れを統率して歩く。これから約10数m離れて本隊が続く。これを中通りと呼ぶ。時に集団から離れるサルもいるので、左右に「わきザル」が一匹づついる。この「わきザル」は、列から離れたサルをお互いに「ピー、ピー」と合図をし合って集める役目をしている。本隊の最後に小ザル連れが続き、先頭の足跡を辿りながら一列になって歩く。

 こうした群れを見つけた場合、マタギはどうやってサル狩りをしたのだろうか。「道ひきザルをマタギが発見したら、これを撃たずに通す。また本隊の先頭になってくる4、5匹のサルをトマスと称してこれも通す。これが行った後に本隊の集団が続いて強行突破するので、マタギたちはこれを狙い撃って片っ端からとるのである。」「マタギ 消えゆく山人の記録」(太田雄治著、慶友社)
 「南秋田郡の新庄の山へ行って猿を87匹とアオ(カモシカ)7匹獲ったことがある。猿は最初のうち皮も剥いだが、とても剥ぎたてならないので、小屋へ積んで置いた。それが梁まで届く位であった。元来人間に似ている奴なので、夜などあまり気持ちのいいものではなかった。それが夜中に熟睡している時、崩れてその一匹が私の懐に転げてきた時は、さすが魂消えて、飛び上がるほど動転した」「秋田マタギ聞書」(武藤鉄城著、慶友社)

 猿狩り名人の可笑しなエピソード・・・鳥海町百宅に「山で撃つと泣く子も黙る」と言われた七蔵マタギがいた。彼は百宅から30キロほど山奥に笹小屋を建て猟をしていた。ある夏、焦げ付いた飯鍋を沢に浸し、小屋で一人寝ていた。真夜中の闇の奥から「七蔵、鍋上げれ!」と叫ぶ声がした。それを聞いた七蔵は、飛び起き、裸のまま走って、鍋を沢から上げ「鍋上げた!」と叫んだという。泣く子も黙る七蔵とはいえ、山の神にはかなわなかったということか。それとも、生き物を殺生し過ぎたタタリだろうか。
幻の味2・・・ニホンカモシカ マタギ特区で幻の味復活なるか・・・
 カモシカは、昭和9年、国の天然記念物(昭和30年、特別天然記念物に昇格指定)に指定され狩猟厳禁、今では幻の味の筆頭格と言えるだろう。かつて秋田では、野生鳥獣の中でも、サル肉と並び美味い肉として珍重されてきた。それだけに密猟者が絶えない噂も多く、ウシ科の野生・カモシカがいかに美味いか、食べたことのない人間にとっても想像に難くない。最近、マタギの里・阿仁町では、マタギ特区としてオモシロイ提案が話題になっている。鳥獣保護法で禁止されている天然記念物ニホンカモシカなど、マタギが伝統的に獲っていた動物を狩猟対象に追加し、特区内に限って食肉や毛皮などの製造・販売を認めるよう、国に構造改革特区として申請する予定だ。もしこれが認められれば、幻の味が食べられるかも知れない。
 カモシカは、肉が抜群の味で、毛皮は登山者や山林労働者の尻当て、衣類として利用され、角はカツオ釣りなどの擬似針として重用された。以前、中村会長は、大館の釣具店に頼まれ、山でカモシカの死体を見つけると角だけ採取し持ち帰っていたことがあった。今でも雪崩にやられたカモシカの角は、海釣りの擬似針とし利用していると聞く。春から秋にかけて、ミズやミズバショウの茎、ハナウドなどの山菜類をたくさん食べる。この時季の肉はまずいという。雪が降り始めると、沢の下に密生している柴のウラ芽を食べ、下から峰の上に向かって食い進む。最高に肉が美味いのは、寒中の寝場にいるときだという。

 カモシカ料理(阿仁マタギ・松橋松治さんの話)・・・「カモシカのことはここらで゛アオ゛とか゛アオシシ゛っていうんだけどもしゃ、料理だと゛アオシシカヤキ゛な、アオシシ汁だな。それとアオシシの内臓を煮た汁は゛ヨドミカヤキ゛っていうな。゛ヨドミ゛っていうのはアオシシの内臓っていう意味だがらな。味つけは味噌と醤油を混ぜたり、味噌だけでもやるもんだすな。・・・まず本当に昔の人方はカモシカとウサギはかなりの量を食べたと思うな」「マタギ 森と狩人の記録」(田口 洋美著、慶友社)

 アオシシの骨タクリなど・・・大骨をマサカリで割り、とろ火で一週間水煮にする。これを味噌味などで食べる。骨の中のたんぱく質と脂肪が出て、トロトロとした味は絶品だという。また胃の内側の肉は、塩をつけて刺身で食べると、赤い肉特有の美味さがあるという。木の芽が詰まっている小腸の未消化な糞に塩をつけて食べると、これまたウルカのように美味いとか。
マタギのクマ料理
 写真:マタギの里・阿仁町のクマ牧場
 現代でもクマの肉を食べたことがある人はかなりの数にのぼるだろう。しかし、クマのアリカ(手)やサヨ(舌)、脳ミソ、内臓類、ヤゴリ(血)、タキリ(男根)・・・とくれば、幻の味に近いのではないか。クマの肉が最も美味いのは、寒中の穴で獲れる3、4歳のクマ。次に4月下旬、春クマ狩りで獲ったクマが美味い。夏のクマ肉は、野生特有の匂いが強く不味いという。
 アリカいため・・・クマの手足についている肉をコヨリ(上の写真参照)かマキリ(小刀)で切り取り、細かく刻んでから煮る。湯煮した肉に、刻みトウガラシと塩で味付けし、クマの油で炒める。サクサクした歯ざわりで一風変わった料理だ。

 クマのサヨ(舌)は、アリカと同じく細かく刻んでから湯煮し、刻んだニンニクと塩で味付けし、クマの油で炒める。クマの内臓類は、生のまま塩もみし、醤油で刺身として食べる。クマの脳ミソは、解体直後の新鮮なものを食べる。まるでタラの白子のように美味いという。

 フランスの伝統料理・ジビエという血の料理など、古くから動物の血を栄養剤として利用してきたが、マタギも好んで利用してきた。クマの血は、わずかに塩味があり貧血病の薬として珍重された。これを解体現場で飲むと、体温が2度以上も上がるという。喉が渇き、水が飲みたくなるほどで、非常に元気になるらしい。

 クマ金酒・・・早春、穴から出たばかりの雄クマのタキリ(男根)を焼酎につけ、一ヶ月以上密封して造る。タキリだけを塩焼きにして食べることもある。いずれも強壮剤として、マムシ酒以上とされる。このようにクマは、山神様からの授かり物として余すところなく利用された。  
 阿仁町のクマ鍋・・・肉と大根をみそ仕立てで煮たものを熊鍋(右の写真)、豆腐を加えしょうゆで味つけしたものを熊かやき(左の写真)と言う。現代のクマ鍋は、クマ肉に大根、ゼンマイ、タケノコ、ブナハリタケなどを入れ、自家製の味噌で煮込む。初めてでも食べやすいように、マタギの伝統料理に若干手を加えている。脂身とあっさりした食感、野生の香りが漂うクマ肉の濃厚な味がたまらない。
 鈴木松治さんが語るクマ料理・・・「クマだばな、骨のついたままのやつをぶつ切りにして煮た汁な、これはオラ方では゛ナガセ汁゛っていうけどもしゃ、これは美味いんだ。骨の髄が出て脂もあってなクマの料理では最高だべしゃ。春のクマ狩りで獲ってきたどぎには大体このナガセ汁を煮て一杯やるのが楽しみなんだよな。

 ・・・それどな、骨ついてない肉だけで煮た汁のごどを゛クマカヤキ゛っていうけどもしゃ、これがまず一般的な料理だな。・・・あとクマだばモチグシな、これは焼くんだけどもな。これも美味しいんだよな。本当のいいところの肉を焼いて食べるんだがらな。焼いて食べるというのはモチグシだけだな。山の神様に供えるときだけだ」「マタギ 森と狩人の記録」(田口 洋美著、慶友社)
ヤマウサギの次に食べられていたカラス
 まさかカラスがウサギに次いで食べられていたとは・・・想像だにしなかっただけにカラスの写真は撮ったことなし。カラスは、ハシブトとハシボソの二種類だが、もっぱら食用にされたのはハシボソカラス。不味いハシブトに比べ、おとなしく、悪臭もないらしい。特に寒カラスが美味。カラスの肉を食べると今も昔も恥ずかしいことらしく、隠して食べていたらしい。

 モモ肉を串に刺し、炭火で醤油焼きにすれば、香ばしく鶏肉の味でしこたま美味いと記されている。かつて貧しい山村では貴重なタンパク源だったらしく、専業のカラス肉を売る人もいたというから驚きだ。信州では、カラスの肉を細かく叩き、味噌やオカラを混ぜて串焼きにする郷土料理もあるとか。九州では、カラスの肉をたくさん食べていたらしく「カラスちぎり」と呼ばれる捕獲法もあったという。

 かつての農村は飢餓と貧困の歴史が続いただけに、まずいとされたハシブトカラスも食べていた。悪臭をぬくために、獲ったら一晩土の中に埋めておく。次に冷水から30分ほど煮てから汁を捨てる。それを二回ほど繰り返すと悪臭が消える。これを鍋にして食べたという。ところが脂がとれて不味いこともあるらしく、鶏や牛、豚の脂を入れて調理したとの記録もある。カラスは今でこそ食べる人もなく、増え過ぎて迷惑千番だが、戦時中は、カラスが乱獲されて、ほとんど姿を消したらしい。

 こうした貧しき時代の食の民俗誌を読んでいると、喜劇王・チャップリンが飢えに耐えかねて、牛の皮で造った靴を鍋でグツグツ煮込んで食べる映画が脳裏に浮かんだ。この雨アラレが走る白黒映画を初めて見た時は、単なる笑いを誘う作りり話だと思ったが、よくよく考えると、カラスよりは牛の皮の方がよほど美味いような気もするのだが・・・。(つづく)
参 考 文 献
「秋田たべもの民俗誌」(太田雄治著、秋田魁新報社)
「マタギ 森と狩人の記録」(田口 洋美著、慶友社)
「マタギ 消えゆく山人の記録」(太田雄治著、慶友社)
「秋田マタギ聞書」(武藤鉄城著、慶友社)
「最後の狩人たち 阿仁マタギと羽後鷹匠」(長田 雅彦著、無明舎出版)
日本の食生活全集5「聞き書 秋田の食事」(農文協)

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