邂逅の森・白神山地Part1 邂逅の森・白神山地Part2 山釣り紀行TOP


二ツ森から新緑の白神山地を望む、懐かしのアルバム(赤石川源流、追良瀬川源流、粕毛川源流、粕毛川中流部)
▲二ツ森山頂(1086m)から新緑の世界自然遺産・白神山地を望む
白神山地を彷徨った懐かしのフィルムをスキャンし、デジタル変換した画像を眺める
ふと、ある小説のタイトルが浮かんだ・・・「邂逅(かいこう)の森」(熊谷達也、文藝春秋)である

邂逅とは、思いがけなく出会うこと、偶然の出会いを言う
深い白神の谷底に分け入り、ブナの森と群れるイワナとの邂逅がなかったならば、
「自然と人間と文化」を追う山釣り人生もなかったように思う

▲赤石川源流部を望む、奥のピークは岩木山 ▲秋田側を望む、奥のピークは藤里駒ケ岳
白神山地の山は、標高1000m前後に過ぎず、尾根沿いはブナや深い笹薮に覆われ
縦走はほとんど不可能で眺望も良いとは言い難い

唯一、ブナの芽吹きが始まる残雪の春山に限れば、展望を邪魔する笹薮が
雪に埋もれているから、山頂の展望も開け、その絶景を鑑賞することができる
特に残雪の二ツ森(泊岳)山頂は、気軽に青森と秋田にまたがる360度のパノラマを満喫できる
▲赤石川源流泊り沢の谷を望む
かつて、青秋林道の工事が行われていた時代は、この真下をよぎる予定線(標高800m前後)に沿って
笹藪を刈り払った踏み跡が「津軽口」と呼ばれる標高773mのコルまであった
写真右上の脇尾根の向こうがカゲマツ沢の流域で、その右岸一帯の比較的平らな場所を「泊り平」と呼ぶ

本棚に古びた一冊のノートがある
それは昭和57年5月〜昭和61年6月までの5年間を記録した釣りノートである
そのちょうど真ん中ほどに、「ブナ原生林白神山地・赤石川遡行ルート図」が貼られている
そのマップは、昭和59年(1984)7月号「つり人」に掲載された植野稔さん作成の遡行図である

その遡行図は、赤石川、滝川、泊り沢の源流に至るまで広範囲に及び、
地図にはない滝や沢の名前、河原、淵、ガレ場、ゴーロ、ナメ、滝、魚止めの滝、
山名、地名、尾根越えルートなどが詳細に記されていた

それは単なる釣り屋の地図ではなく、沢登りの人たちが記す遡行図そのものだった
思えば、白神の源流行は、魚しか見えない釣り人の世界ではなく
「沢登り」と「源流のイワナ釣り」が融合した「山釣りの世界」だった

白神初心者時代のバイブル「源流の岩魚釣り」(植野稔著、冬樹社)が昭和60年(1985)に発行された
その源流本には、「真瀬川から追良瀬川、赤石川」の詳細な遡行図が掲載されている
僕は二万五千分の一図4枚を貼り合わせ、遡行概念図を忠実に書き写した

白神山地の核心部を流れる名渓・追良瀬川と赤石川を眺めれば眺めるほど、「歩いてみたい」衝動に駆られた
かくして白神山地の源流を巡る沢旅が始まった

懐かしのアルバムPart1・・・初めての赤石川源流(昭和60年9月中旬)
▲赤石川源流上二又・・・ブナ原生林との邂逅 ▲赤石川源流イワナとの邂逅 ▲ヨドメの滝
▲ブナの森の中を穏かに流れる赤石川源流にて ▲イワナとミズの味噌汁 ▲泊り沢入り口の小滝・・・当時は左岸の広い河原がテン場だった

当時は、二ツ森登山道の途中から踏み跡を辿って、泊り平の南側をよぎり、津軽口から真北に向かう
カネマサゴ沢を下って、泊り沢が合流する、通称「上二又」と呼ばれる左岸にテン場を構えた(現在、指定ルート外)
この源流行でブナの森と邂逅し、さらに白神の主・根深誠さんと邂逅した

当時の記録ノートを読み返すと、実に愚かなエピソードが綴られていた
計画では、津軽口まで二ツ森の峰沿いを歩く予定だったと書かれていた
今読み返すと、無知無謀な計画に思わず笑ってしまった

二ツ森登山道と青秋林道予定線の分岐点で休憩していた
ここで二ツ森から下ってきた東京の青年に出会う
聞けば、二ツ森以降に道はなく、猛烈な潅木と笹ヤブでとても歩けるものではないと告げられた

ここでルートを変更し、谷側に細々と続く踏み跡を辿った
所々測量した跡があり、密生する笹薮は刈り払われていた
この道こそ、赤石川源流へ通じる道だった
▲赤石川上二又のテン場は、泊り沢出合い左岸だった・・・現在は右岸にある ▲泊り沢魚止めの滝下流で荷を下ろし、滝周辺を撮る
▲カゲマツ沢のナメ滝・・・二ツ森からカゲマツ沢を下って赤石川源流へ ▲泊り沢源流に残っていた残雪 ▲珍しい「人」文字滝
▲滝川のナメを下る
▲泊り沢最大の滝 ▲アイコガの滝中段から望む ▲アイコガの滝左岸の高台から滝を撮る

「源流の岩魚釣り」(植野稔著、冬樹社)には、
「アイコンガの滝は、三段に分かれ、いずれの滝も深い釜があり、最初の釜には岩魚の遊泳が見られた・・・
もしやと思って滝上流部に入渓してみたが、渓相は良かったのに、一尾の岩魚の姿も見ることができなかった」

と記されていた・・・また赤石川源流泊り沢5m滝が魚止めの滝となっていた
しかしその後、その滝上を歩くと、アイコガの滝上にも
泊り沢5m滝のいずれにも岩魚が生息していたのには驚かされた

▲大川源流オロの沢をゆく ▲「赤石川」の名前の由来となった「赤石」
▲石の小屋場沢右岸の高台にあったケヤキの大木 ▲尾根を越え、石の小屋場沢へ下る ▲右岸から石の小谷場沢が出合う赤石川・・・確かに石は赤い
▲2005年夏、大川〜赤石川
かつて津軽口は、粕毛川支流善知鳥沢と赤石川を結ぶ杣道であった
昔、八森町椿と西目屋村砂子瀬を往来するルートにもなっていたとの記録もある

ケヤキの大木は、そのほぼ中間点に位置し、赤石川から大川へ越える時のランドマークになっていた
この近くにある大きな岩のそばにマタギ小屋があったというが、
今は草茫々でその痕跡を確認することはできなかった
▲二ツ森(泊岳)から白神岳稜線方向を望む
白神山地が最も美しく輝く季節は、命が芽吹く春である
新緑の季節・・・この広大な源流を彷徨えば、水と緑の美の極致を鑑賞できる
▲カシミール3Dで作成した展望図
左奥に聳える残雪の山は、白神岳稜線・・・その左のピークが白神岳、右のピークが向白神岳
その手前左の丸い山頂のピークが真瀬岳・・・その二つの尾根に挟まれた谷が追良瀬川
真ん中のなだらかな尾根は、滝川と赤石川源流泊り沢との分水嶺である
泊り沢源流を詰め、滝川へ越える旧ルートは、手前の小沢を詰めて最も低いコルを通っていた
懐かしのアルバムPart2・・・中ノ又沢から追良瀬川源流へ(昭和63年6月上旬)
▲真瀬川中ノ又沢から杣道を辿り、追良瀬源頭から雪渓を下って新緑の谷へ ▲追良瀬川マス止めの淵上流部をゆく
▲真瀬川中ノ又沢沿いの杣道をゆく
▲稜線の笹藪で楽しいタケノコ採り ▲サカサ沢標高535m二又 ▲サカサ沢源頭の雪渓

中ノ又沢と追良瀬川との分水嶺に位置するコルは、太い笹藪が密生している
特に滝川支流西の沢方向に向かう尾根筋は、平らで密生した笹藪に方向を見失うほど凄まじい
それだけに太いタケノコが生える・・・ただし、クマもタケノコが大好物で、至る所に皮をむいて食べた残骸がある
この笹藪密生地帯は通称「頭ナシ」と呼ばれ、毎年、地元のタケノコ採りで賑わう

かつて「源流行」という言葉が流行った時代は、よくバリエーションルートという言葉が使われた
下流から遡行するノーマルルートにあきたらない山岳渓流志向の人によって開拓されたルートを、
バリエーションルートと呼んだ・・・真瀬川から追良瀬川源流ルートもその一つである

しかし、白神山地では、そのほとんどが、山岳渓流志向の人たちが独自に開拓したルートではなく、
昔から地元の人たちが利用していた杣道を、勝手にバリエーションルートと呼んでいたに過ぎなかった

中でも、サカサ沢〜秋田県真瀬川の杣道は、昔、ナメ流しに通った道とも言われている
西目屋ルート、津梅川ルートに比べ、里とマス止めの淵までの距離が近く、古くから利用されている杣道である
▲新緑のブナ林をバックに ▲ウズラ石沢合流点の深淵をヘツル ▲白神最大の滝・白滝に感激
▲雨で増水したツツミ沢のゴーロ ▲ウズラ石沢のゴーロ滝 ▲新緑に包まれたサカサ沢
▲サカサ沢の流木淵 ▲サカサ沢源流の小滝
▲雪煙に霞むゴルジュ(ウズラ石沢) ▲サカサ沢源流の雪渓 ▲源頭から白神岳稜線を望む

標高490m二又でツツミ沢とサカサ沢が合流して追良瀬川となる
「ツツミ沢」の名の由来は、山崩れでできた自然堰止湖・・・つまり堤(ツツミ)から名付けられたと言われる
白神山地では、こうした自然堰止湖は珍しいことではない・・・近年では大川フキアゲの滝の自然堰止湖がある

一方「サカサ沢」の名の由来は、地図をじっくり眺めれば分かる
追良瀬川は北に向かって流れているが、サカサ沢源流は、その逆さの南側に向かって流れている

車道も車もなかった時代に思いを馳せて・・・誰が何の目的で、どのルートを歩いたのか・・・
奥深い山中で杣人のナタ目や滝の巻き道、沢筋に生えているオオバコを見つけると人が歩いた名残を感じる
地図にはない沢の名前の由来を探ることも白神を歩く楽しみの一つである

白神山地を東西につなぐマス道・・・「古道巡礼」(高桑信一著、東京新聞出版局)
「マス止めの淵」のマスとは、サクラマスのことである
「古道巡礼」には、マス止めの淵までサクラマスを捕るために歩いたマス道について詳細に記されている
要約すれば以下のとおり

「白神山地には、いくつものマタギ径が残されている。もちろん径は複合的に使われてきた。
・・・山は生活のために欠くことの出来ない仕事場であり、径は四季を通じて拓かれていた。
そのひとつにマス捕りの径がある」

赤石川・クマゲラの森・・・そのブナの幹には、「追良瀬でマス二十本」と刻まれていた
昔、追良瀬川には、河口から遠く離れたマス止めの淵までサクラマスが群れをなして遡った
サクラマスは、食味、大きさともに、イワナをはるかに凌ぐ

だから盆のハレの日に用いる「盆魚」として珍重された
お盆が近付くと、東の西目屋と西の大間越の村人は、泊まりがけでカマスを担ぎ、山を越えて淵滝をめざした
漁法は、ナメ流しやヤス突きが主で、川畦に小屋をかけ、捕ったマスを塩漬けにしてカマスで背負い下ろした

東の西目屋のルートは、暗門川〜フガケ沢〜赤石川〜滝川支流ヤナギツクリの沢〜
五郎三郎の沢〜追良瀬川〜マス止めの淵である
一方、西の大間越のルートは、津梅川〜カンカケ沢〜黒滝沢〜ツツミ沢〜追良瀬川マス止めの淵である

「広大な白神山地を東西に繋ぐこの径は、相互交流のために拓かれたのではない。
追良瀬川にマスを求めたことが、巧まずして東西の径を淵滝という一点で結んだのである・・・
その豊かな川の恵みも、昭和32年に追良瀬堰堤の完成によって潰えた・・・
白神のマス径は、海と山が深くかかわってきたことを示す、希少な径だったのである」

▲二ツ森(泊岳)から赤石川源流部を望む
▲カシミール3Dで作成した展望図
一番奥のピークは岩木山、南北の谷が赤石川、その右手の尾根は大川との分水嶺
手前の東西の谷が泊り沢である

秋田で二ツ森と呼ぶ山は、青森では泊岳と呼ぶ
津軽からは、最も遠い山で、泊らない限り辿り着けない山との意がある
赤石川源流に位置する泊り沢の名も同様である
▲雪に圧されて斜めになったブナ
白さが際立つ枝先には、茶色の冬芽が無数についている
その真下のブナは、萌黄色に芽吹き、さらにその下のブナは緑を濃くしているのが分かる
こうした緑の濃淡が独特の森の美を構成している
▲丸く膨らんだブナの花芽は、森閑とした灰色の谷に茶褐色に霞む
花芽の季節に杣道を辿る場合、森はほとんど丸裸に近い状態で、遠くまで見通しが効く
対岸の斜面は、白い雪渓が連なり、冬眠から覚めた黒いクマは丸見え・・・

マタギによると、「クマは、人間から見える時に怖がる」という
白神山地では、残雪の春山シーズンの4月中・下旬頃が春クマ猟の季節だ
▲ブナの根回り穴と萌黄色の新緑
雪解けは、ブナの根回り穴から森全体へと広がっていく
萌黄色に染まるブナの新緑は、目にも心にも染み渡るほど美わしい
▲萌黄色の森を俯瞰する
ブナの森は、残雪の山肌一面を若葉と花芽で萌黄色に染め上げてゆく
ブナの新緑美のピークは、この柔らかい芽吹きの淡色の頃である
▲雪解け水で溢れる渓流の風景(ウズラ石沢)
残雪の渓流は、萌黄色の新緑に包まれ最も美しい
しかし、早朝は水位が低くとも、暖かくなるにつれて雪解け水が大量に流れ込み、水かさが増してくる
残雪の白神を歩く場合、下流からの遡行は危険である・・・ましてや本流の沢下りは不可能だ
こんな時こそ、山棲み人が歩いた杣道を辿る山越えルートが最も安全である
▲新緑の森と清冽な流れに囲まれたテン場 ▲昭和63年6月、同左テン場にて
ツツミ沢が合流する追良瀬川二又からサカサ沢を約1km上った左岸高台は、よくお世話になったテン場だ
天を覆い尽くすほどブナの森は深く、その下には、透明度の高い清流が流れている

このテン場は、きれいな水も得やすく、平らな台地で強風や洪水の心配もいらない
ちょっと下流には、左岸から小沢が流れ込む湿地があり、一帯はウルイの群落を形成している
万一、大雨と雪解けが加わり濁流になったとしても、小沢の清水を汲めばよい
▲滴る新緑美(同上のサカサ沢テン場にて撮影)
源流の朝・・・渓流沿いのブナの若葉は、逆光に透けて滴る新緑美に輝いた
▲シラネアオイの群落
▲サカサ沢右岸の湿地に咲くミズバショウ群落 ▲トガクシショウマの群落

サカサ沢のテン場周辺は山野草の宝庫で、ミズバショウ、リュウキンカ、ニリンソウ、トガクシショウマ
シラネアオイなど春から初夏にかけて咲くほとんどの種類を鑑賞できる
中でも白神源流の妖精・トガクシショウマの大群落は圧巻だ
▲雪渓が残る渓畔林の新緑(追良瀬川)
眠っていた源流は、暖かい陽光を浴びて、雪代の流音とともに萌黄の森に覆われてゆく
深い淵で眠っていたイワナは、雪代を待ちかねたように瀬に踊り出て流下昆虫を追う
渓流の暴走族・カワガラスは、蛇行する渓流沿いを低空飛行で飛び交い、身を切るほど冷たい流れに飛び込む
冬眠から覚めたツキノワグマは、ブナの幹を上り、膨らみ始めた新芽や花を貪り食う
▲新緑を釣る(追良瀬川源流ツツミ沢、平成10年以降禁漁)
新緑が初夏の陽射しに煌めく美しさ・・・
こうした豊かな渓畦林がイワナの餌となる川虫や昆虫などの多様な生き物を育む
試しに、石をひっくり返し、川虫を採取すれば、その多さに驚かされる
▲二ツ森(泊岳)から粕毛川源流部を望む
▲カシミール3Dで作成した展望図
左奥の山のピークが藤里駒ケ岳、奥の右から二つ目のピークが長場内岳、
その右のピークが次郎左衛門岳である
懐かしのアルバムPart3・・・新緑の粕毛川源流をゆく(平成元年6月上旬)
粕毛川の渓畦林は、源流部が貧しく、むしろ二又下流部や枝沢の善知鳥沢が豊かである
一方、追良瀬川や赤石川は、源流に上るにつれてブナの原生林が深くなる

同じ世界自然遺産地域の核心部を流れる川でも、その景観は異なる
白神の谷を歩けば、渓畦林の豊かさとイワナの魚影は、相関が極めて高いことが分かる
▲水沢川支流金山沢の車止め・・・今でも鉱山のズリ山跡を見ることができる
▲粕毛川流域・・・ブナの二次林の中を縫うように明瞭な杣道を辿る ▲水沢川流域の二次林 ▲このガレ場を下って粕毛川支流コガカ沢に下りる

かつては、水沢川支流金山沢から分水嶺を越えて粕毛川源流に至る杣道がよく利用された
昔、粕毛川及び金山沢には鉱山があった
津軽の人たちは、その鉱山で働くために利用した道が、大川大滝又沢〜粕毛川〜金山沢ルートである
もう一つは、マタギなど山棲み人が利用した大川〜赤石川〜善知鳥沢〜粕毛川ルートであろう

これらの杣道は、古くから津軽と秋田を結ぶ貴重な道だった
その証の一端は、明瞭な踏み跡と杣道沿いのブナ林をみれば分かる
当時、鉱石の精錬にブナなどの伐木を燃料にして行なわれていたことや
薪炭材として盛んに利用された・・・一帯はブナの原生林ではなく、二次林である(現在、入山禁止)
▲右から三蓋沢、左からコガカ沢が合流する二又・・・左のコガカ沢右岸の山腹に水沢川へ抜ける杣道がある ▲善知鳥沢・・・この沢の源頭コルを「津軽口」と呼ぶ。かつては赤石川源流に抜けるルートだった。 ▲三蓋沢源流・・・この上流に落差約20mの三蓋滝がある

「津軽白神山がたり」(根深誠著、山と渓谷社)の故鈴木忠勝翁の語りに、粕毛川のカワウソの話がある
「イワナが枝沢に産卵遡上する秋もなかば、秋田県粕毛川支流のクダリの沢で、
村の爺様が若者と二人で二頭のカワウソを目撃しました。そのときカワウソは
ときどき水面に頭を上げてはすぐにまた水中に潜り、イワナを捕っていたそうです」

そこで爺様は、ナタで切りつけ一頭のカワウソを捕まえ村に持ち帰った
昔からカワウソの肝は肺病などの特効薬として珍重されたという

▲大川林道終点車止めの看板 ▲カワラ沢から大滝又沢右岸沿いに続く杣道をゆく

現在でも、大川車止めから大滝又沢右岸の山腹に沿って明瞭な踏み跡がある
その道は、かつて県境稜線まで続いていたという
この杣道は、津軽と粕毛川や金山沢の鉱山、さらに能代方面をつなぐ重要なルートだった

現在は、地元のマイタケ採りやアサヒ沢の旧マタギ小屋を経由して
青鹿沢から尾根を上って鬼の坪、青鹿岳に登るルートとして利用されている
▲ブナの森の恵みを生活の糧にしてきた証
杣道沿いのブナの幹には「西目屋川原平 村淳」と刻まれている
マイタケ採りのプロ「村上淳」さんのナタ目である

「ナタ目・・・地形図をもたない昔の人々は、標識がわりにも使っていたのであり・・・
沢から隣の沢へ乗っ越す尾根に多く見られる・・・
生活の痕跡として、杣道は消滅してもナタ目は残っている」(「白神山地・四季のかがやき」根深誠著、JTB)
懐かしのアルバムPart4・・・粕毛川支流一ノ又沢(昭和62年6月下旬)
▲一ノ又沢渓谷をゆく・・・カロフ沢より上流は、ゴルジュ、ゴーロ、ナメ、小滝、大淵など変化に富み、遡行も楽しい ▲岩倉沢出合い左岸のテン場・・・ブナ林に覆われた唯一のキャンプ適地
▲岩倉沢が合流する二又下流の小滝 ▲一ノ又沢源流の小滝を釣る ▲一ノ又沢のイワナ

一ノ又沢への入渓は、粕毛川本流を横断しなければならず、雨で増水すれば渡渉できないこともあった
粕毛川の出合いから岩倉沢が合流する二又まで約2km、その左岸は素晴らしいテン場だった
一ノ又沢は、本流からイワナの遡上を阻む大きな滝はなく、源流部までイワナが生息していた
現在は、禁漁・・・岩倉沢出合い上流左岸側が保存地区で入山禁止となっている
懐かしのアルバムPart5・・・粕毛川中流部(昭和62年7月下旬)
▲酒は山で飲んでこそ美味い
山、探検、イワナ釣りが大好きだった故今西錦司先生は、名言を二つ残している
「学問は自然から学べ」、「酒は山でこそ美味い」・・・
思えば、ボクの山釣り人生は、この二つの言葉を忠実に実行していたことに気付く
▲十文字沢出合いから左岸の軌道跡を辿り、一ノ又沢出合いまで約3kmほど ▲軌道跡の隋道にて ▲東又沢ヨドメの滝
▲大雨で濁流と化した粕毛川・・・右が本流、左が一ノ又沢、本流を渡渉しないと一ノ又沢には入渓できない ▲冷水・急流の粕毛川を泳ぎ渡って一ノ又沢へ ▲銀毛化したカワマス29cm・・・一ノ又沢支流カロフ沢の滝壺で釣れた個体、本流から随時遡上していると思われる
▲中流部はマムシが実に多い・・・このマムシ2匹とも卵が7個ずつ入っていた ▲珍味・マムシの卵焼き ▲マムシは焚き火で燻製に

根深誠さんが故鈴木忠勝翁から聞き書きしたマムシの記録・・・

「赤石川支流の津軽沢へ行ったとき、日に十匹のマムシを捕ったことがあります。
頭をチョン切り、皮を剥ぎ、焚き火であぶって食べましたが、ただ精がつくだけで、
・・・病気に対する薬としての効き目はないようです。

うちでは嫁たちが、マムシの干物を好きだったこともあって、山から捕ってきては
串刺しにして庭先に干してありました。食べるときは、それを火であぶって醤油をつけます。
娘たちは、おやつ代わりににずいぶんよく食べていました」
▲深緑に包まれたフガケ沢(西股沢)の小滝 ▲大川・ヒトハネの岩門

左:フガケ沢(西股沢)は、暗門の滝F1上流部の沢で、昔から赤石川に抜ける杣道として利用されている

右:大川源流に懸かるヨドメの滝上流を遡行してゆくと、左岸からヒトハネ沢が合流する
そのすぐ上流に流れが狭くなった岩門がある
スケールは小さいが、何となく、「開けゴマ」と叫びたくなるような神秘の扉門がある
地元では、この岩門をマタギが一飛びした伝説がある・・・以来「ヒトハネの岩門」と呼ばれている
▲赤石川源流上二又(2005年夏) ▲泊り沢出合い右岸テン場(2005年夏)

石の小屋場沢出合いから約1.6kmほど上ると、懐かしの赤石川源流上二又に達する
かつては、二ツ森から泊ノ平をよぎる青秋林道予定線を辿るか、カゲマツ沢を下るルートだった
今は、いずれも指定ルートから外れ、赤石川源流も行き止まりルートとなっている
かつての踏み跡は、もはや薮の中に消えていることだろう
暗門の滝と菅江真澄
▲第一の滝上・穏やかなフカゲ沢
▲暗門の滝第一の滝 ▲滝を迂回する杣道沿いのナタ目

1796年、真澄は深浦町を出発、鰺ヶ沢町、岩木町を経て西目屋村砂子瀬・川原平の米沢長兵衛に宿泊
旧暦11月1日(12月中旬頃)、暗門の滝に向かった
その時のルートは、険しい滝を高巻く暗門川左岸の尾根ルートで、フガケ沢の山小屋で一夜を過ごしている
以下に「菅江真澄読本2」(田口昌樹、無明舎出版)より「雪のもろ滝」の一部を抜粋する

「日は差しているが梢の霜はたいそう深く、しみ凍る雪の上を、軒端の山道から入り、
大沢というところの朝川を渡って、焼山という笹原の中を分け入った。
木々の深く茂った林を行って、石割の川原伝いにたどると、木立の中に面白く落ちている滝があった。

ここを小原沢といい、やがて大原沢というところも過ぎて、雪のいよいよ深い深山の中を、
茂り合う高い峰々をいくつか越えて、柴倉が岳という山を仰ぎ見ると、たいそう高い。・・・
高い木の梢に親猿であろうか、登っており、朽ち残っている木の実をさっとゆすって、
これを食えというように落としている。

下では子猿が雪に埋もれた落葉の中をかき分けて、集まって拾っていた。・・・
雪に手をつき、梢を踏んで、登ったり、下ったり、さらに奥に入り、岡市、籠の沢に下った。
この沢水と、フカケ沢という山川を渡った。

二つの急流が一つに合流して滝となって落ちることから、これをもろ滝という。
この水が落ち流れて、暗門の沢に入るので、他の土地の人はもっぱら「あんもんの滝」と言っているが、
木こりたちは「もろ滝」と呼んでいる。

さて、この左手の高い山の岸に生い茂っている小笹をつかみ、木々の根元に足を踏みしめて、
雪の中に立って、身を縮め、冷汗をかくような心地でかろうじて見下ろし、その高さはどれほどかと、
おおよそ推し測ったが、百尋を超えているであろうと思われた。

ただただ、水が天から中空を下るようである。
三の滝というのはどこであろうか。
一の滝の向こうに二の滝が落ち連なっているのをわずかに見ただけで、さらに先には進めなかった。・・・

一の滝は東北東、三の滝は東南東に向かっているのであろう。
世にも変わった神秘的な滝で、ほかにこれに比べられる滝があろうかと、独り言を言ったのを案内人が聞いて言った。

「夏のころ、流し木といって、伐りためた材木をこの滝に落として流します。
それが二の滝でせき止められたのを、長い綱にすがって下りていき、
かき流す作業にたずさわるのは、山男の中でも、誰々と数が少ない。

二の滝の高さは紀伊の国の那智の滝ほどでしょう。
私が若かったころ、西の寺巡りに行って、国という国を歩きましたが、このもろ滝の高さほどの滝は、
中国は知らず、この日本のうちでは聞いたことがありません」などと語った。

この夜。真澄は伐採作業に従事している人たちの山小屋に泊まった。・・・
山男の中には出羽の藤琴(藤里町)の人もいたという。
・・・男たちは「たんぽやき」を作ってご馳走してくれた。・・・

雷鳴のような、山に響きわたる物音がした。山頭は
「これは滝鳴の音である。雨が来そうだ、雪が降りそうだというとき、一年に二度か三度、このような例がある。
このような清浄な高岳の頂や山々の奥、川という川の水上には、神が住んでいるので、そこと定めず放尿したり、
大便して山をけがすと、滝の神が怒られるのである。

それで、このような山男になるからには、常に水を敬い、身を清らかに保たなければ、
この恐ろしい滝の上には、仮にも住むことはできないのだ」と語ったという。
▲晩秋の渓谷・大川支流大滝又沢
マタギ小屋があった右岸高台から大滝又沢を望む
この右岸の山腹に、かつて大川〜粕毛川〜水沢川を結ぶ杣道があった
アップダウンが激しく、決して楽なコースではない

かなうなら、ヤブと化した大滝又沢源流沿いの杣道を辿り、秋田との県境稜線まで歩いてみたいと思う
なぜなら、その杣道沿いには、現代人が捨てた宝物が埋もれているような気がするからだ
参 考 文 献
「白神山地・四季のかがやき 世界遺産のブナ原生林」(根深誠著、JTB)
「津軽白神山がたり」(根深誠著、山と渓谷社)
「菅江真澄読本2」(田口昌樹、無明舎出版)
「源流の岩魚釣り」(植野稔著、冬樹社)
1987年「北の釣り10月号 粕毛川支流一ノ又沢」(ビスタリ出版)
「古道巡礼」(高桑信一著、東京新聞出版局)
参考:世界遺産・白神山地核心地域内指定ルート及び入山届出について
保存地域の入山は、津軽森林管理署(FAX0172-27-0733)に入山届出が必要。
その際「一日ボランティア巡視員」を引き受け、遡行後、
巡視の結果及び保存地区の管理のあり方等について意見を述べるようにしてください。
世界遺産指定地域内の河川は全て釣り禁止につき注意。
その他注意事項は、手続き要領を参照。

白神山地核心地域内指定ルート図&現地状況一覧表
核心地域入山手続き要領

◆世界遺産指定後の経緯
・平成5年(1993)12月、白神山地が世界自然遺産に登録。秋田県側は入山禁止に。
・平成6年(1994)1月、秋田県藤里町粕毛川源流部を禁漁区に設定。
・平成9年(1997)6月、青森県側の核心部は27の指定ルートに限って入山の許可制を導入
・平成10年(1998)7月、青森県側の核心部を流れる追良瀬川、赤石川、滝川、大川、笹内川を禁漁区に設定。

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