マタギ小屋保存運動に至る経緯と活動状況

「東北自然保護の集い」で採択された大会アピール

和賀山塊・マタギ小屋の保存と民俗文化の継承を

(画像にマウスを置けば、解説文が表示されます。)

マタギで生計を立てた最後のシカリ鈴木辰五郎氏。 秋田と岩手の県境・奥羽山脈の中央部に連なる和賀山塊は、奥が深く地形が険しいゆえに、本格的な開発から逃れ、今なお秘境の面影を残した山域である。この山塊は、県内ではトップの広さをもつ原生林地帯で、白神山地の約4000haに対して、その2.5倍以上の1万haを越える貴重な森である。

 この恵み豊かな森は、昔から仙北マタギの狩猟の舞台であり、今日まで幾世代にもわたって受け継がれてきた。しかし、生業として成り立たなくなった現在、マタギの伝統習俗を頑なに守り続けてきた仙北マタギも次々と世を去り、狩りの文化も急速に消え去ろうとしている。

 和賀山塊に現存するマタギ小屋は、夏瀬ダムから沢を登ること約4時間、堀内沢上流へ5.5キロも奥に入った支流にある。この小屋は、今から約30年前、仙北マタギ最後のシカリと言われた故藤沢佐太治さんたちが、これまであった小屋を建て替えたものである。

 その時藤沢シカリは、角館営林署に口頭で申し出、了解をもらったのはもちろん、「山には山菜採りや釣り人も入る。だれが泊まっても良いように錠などつけないのがお助け小屋だ」と弟子たちに話し、全ての人に開放した。以来、この小屋は、マタギに限らず、山菜採りや登山者、渓流釣り愛好家らも利用し、「お助け小屋」として入山者に広く知られるようになった。
和賀山塊のお助け小屋。小屋の傷み、老朽化が目立ち、屋根は穴だらけの状態だった。
 昨年10月、小屋の痛みがひどく、それを見かねた渓流釣り愛好家26名が、貴重な民俗遺産を何らかの形で残そうと屋根を葺き替えた。ところが現地を管理する秋田森林管理署角館事務所は、無届修理と判断しトタン板の除去を命令、さらに違法建築としてマタギ小屋の撤去を決定した。

 とりわけ、狩りや米を買うために、この小屋を何度も訪れたことがある岩手県沢内村の名マタギ、米倉金太郎さんが昨年11月に亡くなり、2000年1月には、藤沢シカリも時を同じくして亡くなった。その死に追い討ちをかけるように、マタギ小屋の撤去を決定したことは、滅びゆくマタギ文化を象徴する出来事であった。

 和賀山塊の堀内沢を狩場とするマタギたちは、春熊を探して雪山を登り、三夜も四夜もマタギ小屋に泊まった。ひたすら山の神を拝み、厳しい山の戒律を守りながら、伝統的な熊狩りの技術を伝承してきた。マタギは、狩場である山を、山の神が支配する聖なる世界であり、獲物は全て山の神からの授かり物として、常に畏敬と感謝の念を忘れなかった。そこに「森と人間」が共に生きてきた唯一の文化を垣間見ることができる。

白神山地のマタギ小屋。現存する小屋は、数えるほどしかく、希少な遺産である。撤去などという取り返しのつかないことだけは、ぜひとも避けたい。 その象徴でもあるマタギ小屋は、マタギの本場と言われる秋田県でさえ、次々と姿を消し、今では県内に残された最後の小屋となってしまった。その長い歴史と伝統が刻み込まれた最後の小屋だけに、一瞬にして取り壊す愚かなことだけは、ぜひとも避けたい。

 秋田県最大の原生林が残る和賀山塊、その深山幽谷のブナ林にひっそりとたたずむお助け小屋の中で、自然に同化し、自然の恵みに感謝するマタギの世界にひたれることは、森との共生を模索する現代人にとってかけがえのないものとなるであろう。

 我々は、関係機関に対して、入山者に広く開放された「お助け小屋」の歴史的、文化的価値を見直し、全国から集められた7千名を越える署名の重みを真摯に受け止め、それを復元保存するとともに、山に生きた先人たちに学び、持続可能な森と人間の未来を切り拓く希少な民俗遺産として21世紀に継承するよう強く要請する。

「平成12年10月15日 第21回東北自然保護のつどい鰺ヶ沢大会」

 「東北自然保護の集い」は、2000年10月14日(土)〜15日(日)、青森県鯵ヶ沢町日本海拠点館で開催された。詳しくは、東北自然保護連絡会議のHP(インフォメーション)をご覧ください。

 和賀山塊・マタギ小屋存亡の危機
マタギ小屋保存運動に至る経緯と活動状況
秋田・源流釣友会活動報告要旨(案)
和賀山塊とは 
和賀山塊にある日本一のブナ
・ 秋田・岩手の県境にある奥羽山脈中央部、和賀岳、白岩岳、朝日岳の山塊
・ かつては、村人の山岳信仰や仙北マタギの狩猟の舞台。今では、沢登りや山岳渓流釣り、貴重な高山植物の宝庫、日本一のブナ、クリなど巨樹の森として全国に知られる。

・ 秋田県に残る原生林規模では最大。白神山地約4000ha、和賀山塊1万haを超える。

マタギ小屋のある場所
                          マタギ小屋、通称「お助け小屋」と呼ばれている。
夏瀬ダムから堀内沢上流約.5.5キロ地点、支流笈ノ沢右岸
車止めから沢を遡行、約4時間もかかる山奥にある。(マタギ小屋位置図)

・ 地元の自然愛好団体「小屋があれば、ゴミを散らかす恐れがある」と批判、マタギ小屋の撤去を求めている。さらに、堀内沢を禁漁区にし、釣り人を排除しようと画策していると聞く。

仙北マタギ…「中仙町史 文化編」より抜粋

・ 中仙町豊岡地区には、奥羽山系の山地に接続していることから、一部に組織的な古い狩猟法の昭和30年頃、春熊を探して雪山を登る仙北マタギ残影をかすかにとどめている。
・ 中仙町の熊とり地域は、奥羽山脈の朝日岳、薬師岳、白岩岳など、秋田県と岩手県の両県にまたがっている。

・ マタギとして組みをくみ、…シカリという組みの代表がいて、その頂点に立って指示しながら、協同でとるためには狩猟の古くからの様式があり、今でも協同で山にこもることもあり生活を共にする。

・ 中仙の熊打ちマタギも次々と世を去り、伝統的な熊とり技術を伝えている人は少ない。その中で豊岡の藤沢佐太治はこの道50年のベテラン熊とりマタギと言われ、若い頃から熊とりマタギのグループに入り、連中に厳しいマタギの法則や役割を仕込まれた筋金入りのマタギであり、マタギのシカリでもあった。これまでに100頭以上の熊をとっているという。

・ 中仙マタギの岳登りのときには10人以上のマタギ組みをつくり、三夜も四夜も山に泊まる。そんなときは、ひたすら山の神を拝み、古い厳しい山の戒律を守り、昔の様式に従ってマタギ言葉で生活した。
・ 中仙町豊岡字高野田口家には「山立根本巻」というマタギの秘伝が保存されている。(日光派)
昭和25年頃白岩岳桂の大木の洞をマタギ小屋とした。 昭和30年頃、桂の木のそばに木の皮で葺いたマタギ小屋を建てた。 中仙町マタギ秘巻

マタギ小屋建設の経緯 

@. 1955年(昭和30年)以前 桂の大木の根元の空洞を利用し狩り小屋として利用。通称「桂小屋」と呼ばれる。
A. 1955年(昭和30年)頃 木の皮で葺いたマタギ小屋を建てる。
B. 1972年(昭和47年) 現在のトタンぶき、合掌造りに立て替える。広さは約15u、屋根の高さ約4m。

・ 仙北マタギ最後のシカリ・故藤沢さんは、角館営林署に口頭で申し出、了解を得ている。当然、正式な手続きはしていなかった。以来、営林署は28年間黙認。小屋をベースに在来岩魚を放流した子孫
→既得権がある。
・ シカリの指示で、鍵などは一切かけず、そこを訪れる者は誰でも使えるようにした。
・ 以来、この小屋は、マタギに限らず、山菜採りや登山者、渓流釣り愛好家らも利用、「お助け小屋」として入山者に広く知られるようになった。
・ 一緒に小屋を建てた故秩父孫一氏(白岩)は、この小屋をベースに滝が連続する滝上に岩魚を放流→滝上は、岩魚の楽園→小屋は在来岩魚保護のシンボルでもある。

仙北マタギが建立した「鳥獣供養碑」
C. 1974年 仙北マタギたちは、山の恵みとクマたちに感謝を込めて「鳥獣供養碑」を建立。
 マタギ小屋修復・撤去騒動 
D. 1999年10月2〜3日 5年ほど前から小屋の傷みひどく、老朽化、屋根は穴だらけの状態。これを見かねた瀬畑氏ほか26名が屋根を葺き替えた。マタギ小屋の屋根を葺き替えた瀬畑さんら仲間たち

・ 下山途中、瀬畑さんがケガをして県警に救助され、これが新聞で報道。小屋の存在が表面化。
・ 地元の自然愛好団体「和賀山塊を愛する会」の鬼川理事長が「利用者がゴミを散らかして自然を汚すことにもなる」とマタギ小屋の撤去を求める。秋田森林管理署も無視できなくなった。
・ 10月20日、角館事務所は、現地調査を行い、外装のトタン部分が修理されていることを確認。
E. 1999年11月 和賀山塊を猟場にしていた岩手県沢内村の名マタギ、米倉金太郎さんが88歳で逝去。
・ 現在問題のマタギ小屋にも、その前の桂小屋にも何度も訪れる。昔は米を買うために小屋の近辺へ峰越えもした。

F. 2000年1月11日 時を同じくして、仙北マタギ最後のシカリ藤沢さん89歳で逝去。

G. 2000年1月12日 秋田森林管理署角館事務所、国有財産を無断使用した違法建築物、所有者不明の理由で、8月末日までに修復に利用したトタンの撤去を命ずる文書を瀬畑さんへ郵送。

● 秋田さきがけ2000.1.14 「建物も違法、解体へ(秋田森林管理署)」
「固定的な建物があれば、グループで入山しゴミを散らかす恐れもある。小屋の撤去は妥当」(「和賀山塊自然学術調査会会員」)
深山幽谷に懸かる蛇体淵
・ マタギ小屋のある場所は、世界自然遺産・白神山地の核心部と同様、道などない。物見遊山的な観光客が大挙押し掛けるような場所ではない。これが議論の大前提。
・ オーバーユース論は、現場を把握せず、自然に同化し山とともに生きてきた歴史と文化を軽視した机上の空論。単なる被害妄想?→共生の理念欠落。

※ マタギ小屋撤去の報道に危機感を持ち、会のHPで保存運動を開始。

● 秋田さきがけ2000.2.20 「仙北マタギの死と形見の小屋撤去」
「素朴で粗末な小屋だが、小屋があることによって逆に一帯の奥深さが際立つ。建ってから30年近い歴史があり存続を願っているが、それがかなわないなら、せめて自然にゆだねて崩壊させても良いのではないか」(平鹿町男性)

「シカリの死とともに仙北マタギの数少ない足跡の一つがなくなることは残念」(戸堀マタギ)

マタギ小屋保存運動の展開

H. 2000年4月 危機感を抱いた藤沢さんの弟子・戸堀さんらは、マタギ文化を後世に残そうと、小屋の存続を求める署名運動を開始。585人(マタギ関係8割)の署名とともに、マタギ小屋の存続を願う嘆願書を提出。

●嘆願書
「その昔、独特の風習としきたりを持ったマタギ衆がこの地にも存在し、今なおその流れを汲む者たちが昔ながらの猟法を伝えているという事実を、一人でも多くの人に知っていただくためにも、性急に小屋を取り壊さずとも、せめて朽ち果てるまで自然の手に委ねていただきたいのであります。…何卒、マタギ文化継承の為にも、そして「おたすけ小屋」という人道的な意味合いも兼ねた珍しいマタギ小屋としての意味もお汲み上げの上、現状のまま保存していただきたい」

I. 2000年4月下旬 秋田・源流釣友会、「マタギ小屋を保存する会」に参加。代表瀬畑雄三氏ほか13団体、マタギ小屋保存を求める署名運動を開始。(期間は5月から7月下旬までの3ヶ月間)
動物作家・戸川幸夫氏は故藤沢シカリたちを取材、現代に生きる名マタギとして紹介している。
● 要請事項「民俗遺産である仙北マタギ小屋を保存すること」
「…民俗学者で作家でもある戸川幸夫氏は、著書「マダギ・狩人の記録」 (新潮社・1 962年)と「マタギ・日本の伝統狩人探訪記」(クロスロード選書・1 984年)の中で、仙北マタギの代表的な小屋として位置づけています。
 このような由緒ある伝統文化が伝承してきた山の文化を、解体・撤去することは甚だ疑問に思えます。
 …私たちは、こうした観点から山の文化の象徴ともいうべき、この貴重な小屋の存続を願い、現状のまま取り壊すことのないよう、保存要請するものです。」

● 朝日新聞秋田版2000.5.11「マタギ文化の継承」か、「違法建築ゆえ撤去」か
秋田森林管理署角館事務所は、「マタギ文化の継承」を訴える藤沢さんの弟子たちが集めた約590名の署名の重みと「違法建築であり撤去を」と求める地元の自然愛好団体の間で「板挟み」状態。
「扱いに苦慮しており、すぐに答えは出せない」(東北森林管理局)
・ 地元の自然愛好団体「和賀山塊を愛する会」鬼川理事長は
「もともと違法に建てられた小屋であり、関係者は法律を守ってほしい。また、小屋の利用者がごみを捨て、自然を荒らしていくのも大きな問題だ」との意見を同事務所に伝えた。

● 秋田さきがけ2000.5.12夕刊
マタギ小屋の保存を
「滅びゆく文化の継承を望む」平鹿町農業の高橋さんの意見を掲載。
「…真昼山地の和賀岳を中心としたマタギの狩猟生活は、昨年初冬の沢内マタギの古老」米倉金太郎さんの死、仙北マタギの一角を占める豊岡マタギのシカリだった藤沢さんの今年一月の死去で姿を消そうとしている。…自然に対する節理をもっていた先人たちだったからこそ、現在のかけがえのない自然が保たれているのではないか。マタギの遺産が、いまだ現地に現存することは貴重なことだと思う。…人の手によ全国マタギサミットで小屋の保存を訴える瀬畑雄三さんって意図的に壊された跡には探索のときめきもなければ、ロマンの薫りさえ感じられない。…存続がかなわぬなら、せめて朽ち果てさせてもよいのではないだろうか。」

J. 2000年7月1日〜2日、新潟県村上市「第11回ブナ林と狩人の会・マタギサミットin三面」に参加。マタギ小屋の保存を訴え、励ましの拍手をいただく。86名の署名をもらう。全国のマタギ仲間との連帯の輪で保存運動が盛り上がる。

K. 2000年8月18日、マタギ小屋を保存する会代表・瀬畑雄三ら7名は、秋田森林管理署角館事務所へマタギ小屋保存の署名簿を提出。総数は7、280名。

● 秋田読売2000.8.31きょう撤去期限、存廃めぐり対立
「森林管理署・自然愛好団体×マタギ・釣り愛好家」2000年8月18日、皆さんからいただいた署名簿を手渡す。
地元の自然愛好団体「和賀山塊を愛する会」の鬼川徹理事長
「クマ撃ちを生業とするマタギは既にいない。小屋を使うのは県外からの釣り客がほとんどで、マタギ文化の継承といって、自分たちのエゴで存続を求めているだけで、逆にマタギへの冒とくだ」
→和賀山塊を愛する理念のかけらもない挑発的なコメント。
→鬼川理事長あてに抗議文を送付。その抗議に対し、意見を求めたがいまだ回答なし。

● 朝日新聞全国版20009.2「マタギ小屋存亡の危機」と題して好意的な記事を掲載。Asahi.comのHPニュースでも全国へ配信。→会には多くの応援メールをいただく。
2000年9月6日、佐々木所長に再度小屋の保存を強く要請
L. 2000年9月6日、瀬畑雄三、戸堀操、菅原の3名が佐々木角館事務所長へ再度保存を要請。
「地元の意見が一本化できないことには、法的に処理するしかない」(佐々木所長)

●秋田さきがけ2000.9.22 角館町のマタギ小屋、再度撤去を求める。
・ 角館事務所は、2000年10月末日までにマタギ小屋のトタンを撤去するよう求める文書を瀬畑さんに再度送付。
・ マタギ小屋の保存と撤去の「両論がある以上、法に重きを置くしかない」との見解。

マタギ小屋存亡の危機は、21世紀の自然保護のあり方を問う。
自然保護か、伝統文化かで注目された鷹匠文化は、残念ながら敗北。この過ちを繰り返してはならない。
ア. 1982年、秋田県羽後町、「鷹匠を育てる会」は、最後の鷹匠・武田宇市郎さんとともに、環境庁にクマタカの「捕獲許可願」を出す。「伝統保存」か「自然保護」かで注目された。しかし、結局環境庁から許可が出ず、鷹匠の文化は滅んだ。
→自然保護と文化が対立、地域の伝統文化が滅んだ苦い歴史

イ. 1990年、白神山地が森林生態系保護地域、1993年世界自然遺産へ登録。秋田県は、入山禁止、禁漁をあっさり決定。
・ 自然と人間を対立的にとらえ、ブナの恵みを享受してきた山村の暮らしと文化を軽視。
・ 自然保護の名目にまたしても山村文化は敗北。

ウ. 自然保護の名のもとに、山とともに生きてきた伝統的な文化を攻撃、徹底した人間排除
→自然保護とは一体何ものなのか、大いなる疑問を抱く和賀山塊堀内沢は、狩猟採集の文化を継承する数少ないフィールド

エ. 我が会は、自然を愛する人間を排除したり、自然と共生してきた暮らしと文化を滅ぼす一方的な「入山規制」に反対。白神山地管理計画の撤回と見直しを要請する署名運動に参加。

オ. 歴史と文化を復元保存する新たな動き
 森林生態系保護地域「栗駒山・栃ケ森山周辺」のど真ん中を横断する古道・旧仙北街道を復活させようと「仙北街道を考える会」が刈り払い
 →入山禁止区域であったためストップ
 →旧営林署の図面にも古道が記されていることを確認
 →現在、岩手県胆沢町と秋田県東成瀬村は、旧跡個所に標柱を設置、毎年仙北街道の笹や藪を刈り払い、相互に往来し、長い歴史を刻む古道を通して交流を深めている。
・ この古道には、かつてお助け小屋が2箇所あった。その発掘復元を計画。
古道に残る遺跡「山神」の碑 旧跡個所に設置した標柱 古道を歩き歴史のロマンを探りながら両町が相互交流している。


カ. 2000年、和賀山塊のマタギ小屋撤去騒動発生
・ 自然保護とマタギ文化がまたしても対立、マタギ文化を軽視、小屋の撤去を決定
・ マタギ小屋存亡の危機は、自然と人間との共生のあり方が問われていると認識すべき
・ このままでは、森を一時的に残せても自然と人間との係わりが断たれる
・ ミレニアムの今こそ東北の自然保護は、縄文時代以来連綿と受け継がれてきた共生の歴史と文化に学び、その価値を見直し、次の世代に継承することこそ大切。
・ 21世紀の自然保護運動は、恵み豊かなブナの森とともに育まれた山村の暮らしと文化を守る運動へ進化すべき
・ そのためにも20世紀中にマタギ小屋の保存を勝ち取りたい。皆様の応援を切に希望。
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