生き物の「命」を考えるに当たって格好のニュースが目に止まった。人間が生きていくうえで必要な「命」を教えるために、秋田県雄物川町立雄物川北小の児童が育てた鶏を、解体して食材にするユニークな授業が、保護者の反対で中止になったという記事が新聞に掲載された。

 釣り師の多くは、魚を釣り、解体して男の料理を楽しみ、美味しく食べる。一方、食べるために釣るのではなく、釣りの対象魚として、全てリリース(再放流)する人も増えている。キャッチ&リリースの是非、生き物の「命」を巡る議論は、釣り師の間でも賛否両論が飛び交っている。そうした議論の参考にもなると思い、以下に朝日新聞秋田版(2001.11.13)に掲載された全文を転載し、私なりの意見も述べてみたい。
「命」教える難しさ 鶏飼育・処分授業を中止

 児童が育てた鶏を、児童の目の前で解体し、食材にする・・・。雄物川町立雄物川北小が12日に中止を決めた試みは、児童.や保護者、教育関係者らに様点な波紋を投げ掛けた。

昔は家でさばいた/心のケア理念欠く 父母も評価分かれる

 父母の間でも、評価は割れた。
 ある男児の父親は「自分が子供の時、わが家でも鶏を飼っていて、さばいて食べるのは普通だった。イヌやネコならともかく、子供に鶏の解体を見せるのも、一つの勉強」と授業の狙いに賛意を示した。

 別の男児の母親は「家でもいろいろ話し合っていた。子供が自分たちで育てたから情がわくのは分かるが、こういう授業も良いのではないかと話した」と話した。
 女児の父親は「授業自体は良い試み。ペットのように飼ってしまったのが問題なのではないか」と指摘した。

 一方、授業に反対していたある父親は「この授業は単に生物学的営みを学ばせるだけで、子供たちへの『心のケア』の理念がない。うちの子供は『嫌だ』と反対していた」と批判する。
 生き物を食べている現実を知る、という授業の狙いについては「それぞれの家庭の中でならともかく、クラスで一斉にというのはおかしい。『昔自分たちもやっていた』というのと教育上の効果は違う」と話した。

 クラスで反対していたという女児の母親は「長い間育ててきたのだからかわいそうだと思った。中学3年生くらいならともかく、まだ学年も低いし、中止となってほっとしている」と語った。
ある女児の祖母は「昔はさばくために鶏を飼っていたのは普通だった。ただ今はいろいろと子供が絡んだ事件が起きているので、あまりこういう授業はよくないかもしれませんね」と困惑気味に話した。

 横手市の県教委南教育事務所に12日朝、授業概要などを記したファクスが届いた。同事務所は町教委に連絡し、橋本尚志教育長(70)が急きょ小学校に授業の取りやめを求める電話をかけた。

 同小の授業について町教委の児玉稔次長補佐(49)は「全く寝耳に水だった」とし、さらに「児童が可愛がっていた動物を目の前でさばくことはもちろん、最初から『食す』ことを前提として生き物を飼うこと自体がけしからん。児童がその肉を『おいしい』と食べられるとは到底思えない」と話した。

 授業の趣旨は評価すべき面もあるとしたが「もし実行されれば、児童が心にトラウマ(精神的外傷)を抱え、影響は計り知れない。果物を育てて食べるのと、育てた動物を殺すのとでは訳が違う」と困惑した様子で語った。
 県教委は「県としてはコメントする立場にない」とした。

「生きていく上 必要と思った」担任教諭

 この問題で、担任教諭は、6月の授業参観の際に保護者に計画を説明、その後の学級通信で目的やクラスの様子を伝えていた。

 中止になった点については「ペットとしてのかわいい生き物がある一方で、食べられる命もあることの違いを知ることは、子どもだちがこれから生きていく上で必要だと思った。これまでの学習で子どもたちはこのことに気づいてきていた」などと語った。
リアルな生死と隔離でいびつに
「『いのち』を食べる私たち-ニワトリを殺して食べる授業・『死』からの隔離を解く」を出版した村井淳志・金沢大学教育学部助教授の話

 子どもたちが生や死のリアルな現場から過度に隔離されているため、かえって命の感覚がいびつになっている。

 年間15億羽の鶏が消費されており月に1羽、概算だが10歳の子どもなら、100羽の命がその子に埋め込まれている。鶏の死を一度も身近に経験しないことが異様だ。

 鶏の解体が突然ではなく、残虐な殺し方でなければ、子どもにショックを残すことはない。ただ、基本的に参加は自由で構わないと思う。
私の考察

 私は、百姓の生まれだから、鶏やウサギをたくさん飼っていた。当然餌や水をやりながら大切に育てた。しかし、行事や祝い事が近づくと、オヤジは容赦なく鶏の首を切り、逆さまに吊して殺し解体した。それはウサギとて同じだ。近所では、犬や猫を殺して食べたという話も何度か聞いた。そんな光景を当たり前のこととして育った。ところが、飽食の時代となった今はどうだろう。そんな行為を子供に見せることは、教育上好ましくない行為だというのだ。

 中学の娘に聞いたら、「カエルの解剖」の時間は、皆嫌がって「気持ち悪い」とか「可愛そうだ」とか言う人がほとんどで、最も嫌いな授業らしい。まして自分たちが育てた鶏を解体し食べることに反対するという子供たちの心理は、一見当然のことのように思う。しかし、それは生き物の「命」の大切さとは無縁の現実逃避・・・かなりオカシイと言わざるを得ない。

 これはブラックバス問題で、いつも出てくる「命」の大切さを説く議論と似ていて興味深い。バス擁護派は「ブラックバスフィッシングを盛んに推進させることで地域の活性化をはか り、青少年の育成とキャッチ&リリースといった命の大切さを子供たちに伝えるといったことに生かすことだ。」と、まるでマニュアルにでも書いているように同じような主張を繰り返している。彼らは、恐らく、鶏を飼育し解体して食べる授業には、真っ先に反対する人たちであろう。

 ブナの森の狩人・マタギたちの世界を追い続ける田口洋美・狩猟文化研究所長は、グリーンパワー連載「ケモノのいる風景」で次のように述べている。

 「自分や愛おしい家族を養うということは、同時に数多くの生命を奪うことでしかない。そのヒトとしての逃れようのない性について彼らはそれとなく語りかけるのである。生きるための殺しとは何か、生きるために殺しを実践してきたものにとっての死とは何か。

 ・・・果たして我々現代人に、どこまで他の種の生命をリアリティーを持って語り、その生命を自分の生命と等価なものとして感じられる感性があるだろうか。少なくとも僕たちは日々殺しを買っている立場であり、自らの手で生き物を殺さなくなっている。しかし、そのことが自然を語るときの甘えとなって現れてはいまいか。

 ・・・スーパーに並んだ肉や魚のパックを見る。値段が安いか高いか、鮮度がいいか悪いか、調理をしてはうまいまずいといっては批評する。しかし、ヒトが生きるために殺された側の日常はどうなるのだろうか。野生動物だけではない、家畜ならば許されるのだろうか。マタギや山人たち、あるいはロシアの少数民族たちは問うのだ。肉や魚は赤い血を流す。では青い血を流す、植物なら許されるのだろうか、と。自分たちは何故他の種の生命を奪うことでしか生き延びられないのだろうか、と。

 私たち現代人の多くは、「ケモノのいる風景」から遠く離れ、飽食の中でヌクヌク生きているが、田口洋美先生の鋭い指摘にハッとさせられる。

 私たちは、確かに直接生き物を殺さなくても、既に殺された牛や豚、鶏、魚たちをスーパーで買って食べている。それは「日々殺しを買っている」に過ぎないのだが、それを果たして意識できる人が何人いるだろうか。お金で何でも買い、口からあふれんばかりに食べている日本人は、食べることのありがたさ、生き物の命の大切さ、生と死の連鎖・・・頭の中では分かったつもりでも、実は何も分かっていないのではないか。

 我々は、生き物の命を考える前に、自然・命隔離病、飽食病、贅沢病、錯覚病・・・という重い病に蝕まれていることに気付くべきだろう。

 昔は、生き物を食べるために飼育していた。しかし、今は、鶏でさえペットとして飼う場合がほとんどだ。わずか数十年の間に起きた落差は余りにも大きい。

 誰だって鶏をペットとして飼育していたならば、殺して食べるなんてことはしないだろう。しかし、このペットについても、田口洋美先生は次のように批判している。

 「イヌやネコ、鳥など、この列島に暮らす人々はやたらにペットを捨てる。すさんだ心をペットで癒そうとする気持ちは、理解できる。しかし、ペットはおもちゃではない。生身の生き物であり、一生の面倒を見られない人が飼うべきものではない。処分するのは忍びないから、誰か拾ってくれればありがたいとでも思っているのだろうか。それは、あまりに無責任であり、甘えであろう。」
 最近、バス釣りファンの間では、ブラックバスやブルーギルを水槽で飼育する人が増えている。バス釣りの雑誌にも「自分でバスを飼育し、その生態を研究しよう」といった記事を目にしたことがある。インターネットで「ブラックバス飼育」をキーワードに検索すれば、やたらあるではないか。

 彼らが、食欲旺盛なバスを死ぬまで面倒見切れなくなったら・・・。リアルな生死を見ることなく、歪んだ生命観をもつ人なら、自分で殺して処分することはしないだろう。バスやブルーギルを勝手に放流することは、法で禁止されている。しかし、自分で処分できなければ、近くの川や湖沼に密かに放流するより選択の余地はないのだ。その結果、生き物の「命」の大切さとは裏腹の結果になりはしないか。そんな恐ろしい結末を想像してしまう。

 一度、釣り上げたブラックバスの腹を裂き、血まみれになった胃袋の中を覗いてごらん。その胃袋から、エビや小魚、カエル、トンボ、小鳥・・・果ては同類のバスまで殺して丸呑みしている現実に驚くだろう。そんな生き物たちの生と死の連鎖をリアルに体験して欲しい。そして、バスの死を粗末にせず、自ら料理し美味しく食べてごらん。きっと、生き物の命をバーチャルの世界で考えていた愚かさに気付くだろう。
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