秋田県大森町杉ノ沢貯水池で駆除されたブラックバス
(写真提供:山城水系土地改良区、2000年10月27日駆除)


ブラックバス問題を論ずる場合のポイント

@. バスフィッシング業界が反社会的なバスの密放流という行為の上に乗っていること。

A. 外来魚・ブラックバスという強力な肉食魚がほかの魚を食べ、在来の生態系のバランスを崩していること。

B. 全国的にバスの密放流を禁止し、バスストップキャンペーンが嵐のごとくに吹き荒れているにもかかわらず、新外来魚・コクチバスが全国に広がりつつある。
 魚も手口も極めて悪質化していること。

C. 日本の淡水に「新星、コクチバス」が登場したことは、バス釣りファンにとって大いに歓迎されたが、それとは逆に自然と在来の魚を愛する釣り人たち全てを敵に回してしまったこと。

 オオクチバスは、全国の湖沼・河川を制覇し、今度は、冷水域を好むコクチバスの密放流によって、アユやヤマメ、イワナが生息する渓流を制覇しようとしている。良識ある釣り人なら、この現実を無視できるはずがない。今日のバス問題の悲劇は、コクチバスの登場によって、楽観視していた人々に大いなる危機感を喚起し、自らバスストップという爆弾に火を付けてしまった。これは、全てのバスファンにとって歴史的な誤算というべきであろう。

 ブラックバスの問題は、好むと好まざるとを問わず、21世紀の釣りの将来を占う歴史的な大問題となってしまった。この問題を釣り人一人一人が見て見ぬふりをしていたら、恐らく釣りの文化は滅びる運命をたどるのではないか…との危機感を抱かざるを得ない。

 今や、バスフィッシングは、リリースそのものが罪に問われる時代である。他人事を装っているバスフィッシャーマンたちに告ぐ。この問題を真剣に受け止めなければ、バス釣りの禁止まで追い詰められることは間違いないだろう。そうなってから、言い訳しても遅いのではないだろうか。

 さて、バス問題を考えるにあたって、バス釣りの素人考えでは、とても納得いく説明ができない。従って以下の資料を参考に整理してみた。

1.「ブラックバス問題を考える」(2000年4月22日、生物多様性研究会)
2.「激論BASS」(釣りサンデー、隔週連載記事)
3.「ブラックバス問題」(生物多様性研究会のホームページ)
4.「ブラックバスの絶滅を目指して」(ようこそ権兵衛ホームページ)
5.「銀山湖のブラックバス駆除」 (FF専門店AnglersBenchのホームページ)

怠慢・誤認その1 「バスが在来の生態系に悪影響を与えるという実証データ(食害の根拠となる具体的な数字及び分析)がないではないか」

 バス擁護派の皆さん、「実証データがないではないか」と居直ってばかりいるようですが、果たしてそれで無罪だと思っているのでしょうか。私には、この難問に対して、ただひたすら逃げてばかりいるように見えますが、いかがでしょうか。

 この問題は、バス釣りの将来がかかっているのですよ。本当にバス釣りを愛しているのなら、あなたたちこそ「在来の生態系に影響を与えない」ことを実証すべきではないですか。

 バス釣りファンや業界・団体は「密放流は悪い」と言いながら、新外来魚・コクチバスが新たな新天地で見つかれば、すぐに宣伝し、「いれば釣る」。口では密放流禁止を唱えながら「いれば釣る」。これでは、バス釣りを知らない素人に向かって、いくら詭弁を労しても社会的な合意は得られないだろう。

 バスストップキャンペーンが全国的に吹き荒れているにもかかわらず、こうした他人事の主張を繰り返し、年々悪質化する密放流と表裏一体の釣りを繰り返しているようでは、「釣り人も犯罪?」という主張に同感せざるを得なくなってきます。

 巷では、既に「バス釣りは犯罪である」と指摘されています。
 その言動にバス擁護派は、ほとんどの人たちが腹を立てたことでしょう。ならば、この主張に対してバス擁護派が、早急にやるべきことは、全身全霊を傾けて「バスも釣り人も無罪である」ことを証明すべきであると思います。ただ口先だけでバス問題を論じている場合ではないと思います。何しろ、業界・団体、釣り人も含めて「犯罪者」呼ばわりされているのだから…。

 ただし、それを実証することは不可能だと、キブアップ宣言するのであれば、怠慢・誤認その1の主張を速やかに撤回し、少なくとも次ぎのように変更しなければならないでしょう。

 「現状では、在来の生態系に対して、バスが゛シロ゛であることを実証することはできません。従って、バスは生態系に大きな影響を与える可能性が極めて高い外来魚であることを、残念ながら認めざるを得ません。その外来魚を密放流する者は、法的にも生態学的にも極めて重い犯罪であります。その犯罪行為と表裏一体の釣り人も、犯罪の重い軽いは別にして、罪を逃れることはできません。」…

検 証(以下検証は、バスストップ派の主張)
この問いは、バス問題の最大の核心部であり、くどいほど列挙せざるを得ない。

・ 動物食の外来魚であるバスが、在来の淡水生態系に対して大きな影響を与える可能性は、生態学的見地から容易に予測される「常識」である。

・ 海外でもオオクチバスを含め、動物食の魚を移植した水域において、在来魚種の絶滅や生態系の変化を招いた悲劇的な事例が数多く存在している。

・ 外来魚がある日突然姿を見せ、以降、メダカやタナゴ、モロコなどが急速に減っていったという事例は、いちいち書き出したらキリがない。たしかに、それら個々の事例とバスの因果関係を詳しく数値で示せと言われても困るだろうが、状況証拠として十分「クロ」ではないか。

・ 外来生物の侵入・定着の影響を事前に正確に予測することは非常に困難。不測の事態が生じた場合でも、選択的に除去・駆除するのも困難。従って、「外来生物の導入には最大限慎重であるべき」

・ 現在では「侵入生物は生物多様性の主要なかく乱要因である」との国際的な認識が固まりつつあり、「在来の生態系への悪影響が顕著な場合には、侵入生物を積極的に駆除することが必要である」ことも指摘されている。

・ 海外では違法に外来魚を放した場合、排除に要する費用まで負担を求める動きがあるのに、日本のバスの場合゛入れた者勝ち゛。この現状は絶望的だ。

・「日本の希少淡水魚の現状と系統保存」(緑書房)の本の中では、バスやブルーギルが加害者として各所で登場してくるのは、本当に忍びない。

・例えば「深泥が池は高層湿原として知られ、1970年代まで京都府下で唯一のカワバタモロコの生息域であったが、1980年代ブラックバスが定着するやいなや絶滅している」

・岡崎市では洞町の天上池にウツモツゴが生息していたが、1983年には絶滅した。その原因として永井は、この池に釣りマニアによって1981年に放流され、翌年には大繁殖したことを挙げている。などの一文は、釣り人にとってずしりと重い。

・希少な在来魚種への食害に関しては、今そこにいる魚をこれからいかに守っていくかを出発点にしなければ、問題の解決につながらない。

・魚を愛する釣り人なら、いろいろな魚が減っていくことは悲しいはずだ。・・・「バス問題を解決していく主導組織はどこですか」という問いに対し、琵琶湖のバサー50人の大半は、バス釣りメーカーやマスコミ、バス釣り団体と答えている。バス釣りのメーカーやマスコミ、およびバス釣り団体は、バサーの意思を厳粛に受け止めて、奮起しなければなるまい。

怠慢・誤認その2 「在来魚の激減は、水質汚染や開発、それに内水面漁業だって生態系に悪影響を及ぼしてきたではないか。そもそも人の生活自体が自然破壊行為だ。」

 ある一面では当っているが、だからといってバスの問題に目をつぶれ、という論法には無理がある。さらに、全ての人間を自然破壊者とみなすような言動は、自然と人間との共生の道をあっさり捨て去り、人間そのものを敵とみなすに等しいことであり、まるで追い詰められたオーム真理教のようにも見えてしまう。

 在来魚の激減は、複合汚染によることは論をまたないでしょう。かつての「開発か自然保護か」の対立を経て、今日では、水質汚染や開発、内水面漁業、いずれについても、かつての経済性一辺倒を反省し、自然と生態系を保全する方向で、前向きな努力が続けられていることはご承知のことと思います。(まだまだ問題は残っているが…)

 一方、バス擁護派はどうでしょうか。外来魚の危険性を真剣に受け止めず、建設的な意見を見つけ出そうとする努力をしているのだろうか。マナー向上運動や自然保護活動への参加は、大いに結構なことだが、肝心のバス問題にはっきり答えようとしていないのではないか。これでは、論点のすりかえ、議論に値しない感情論、あるいは責任転嫁と言われてもしょうがないだろう。

 怠慢・誤認その3 「バスも餌なしでは生きていけないのだから、餌を食い尽くすことはない。」「バスは、他の外来魚と同様、爆発的に増加したあとに数が減って安定する」

 半分当たっていると思うが、こういう問題は、やはり専門家の意見を聞くのがベターだ。

検 証
・ 1990年代に入ると、琵琶湖のバスは減少。バスは減少傾向にあることは間違いない。

・ 琵琶湖では、バスの唯一の天敵・ブルーギルが爆発的に増えていることが、バス減少の理由のひとつ。ギルはバスが守っている卵や稚魚を群れをなして襲撃して食ってしまう。これがオオクチバスの子どもたちの歩留まりを非常に悪くしている。

・ さらに、釣り人による捕獲圧もかなりある。キャッチ&リリースといっても、魚をいたぶっていることに変わりはないし、釣られたあとで死んでしまう数もそんなに少なくないと思う。

・ ギルは、卵から小魚まで手当たり次第に食べる。生態学的に貴重な固有種が多い琵琶湖にとって、むしろバスよりも脅威的な存在だ。

・ 侵入生物が激増した後、個体数が減って゛安定゛することは、これまでにもさまざまな種類の生物でよく知られている。(いわば常識)

・ 「安定する」という表現から妙な安心感が得られるとしたら問題。ある水域でバスが爆発的に増加したことは、そこに棲んでいた、とんでもない数の魚たちが食べられた結果である。

・ バスが食べる餌は通常、複数の種類が含まれる。相当に食われても生き残る種類もあれば、少し食われただけでも存続できない種類もいる。

・ バスが増え過ぎて餌不足となった場合、存続基盤の弱い種類から消えていくことは容易に予測できる。

・ そもそもバスが減ってしまう主な原因の一つは、餌生物の減少・消失にほかならない。その生態系は、もともといた種類が相当失われてしまった、かつての姿とは大きく異なったものである。

・ かろうじて希少魚種が生き延びている水域は、オオクチバスやブルーギルなどの外来魚がいないところに限られる事例も少なくない。(秋田では、絶滅危惧種1Aにランクされるイバラトミヨ雄物型がその代表例だ)

・ 釣り人の常識である「バスが魚食性であること」と「在来の小魚はベイトフイッシュであること」からだけでも、バスが生態系に甚大な影響を与えかねないという危険性は簡単に予測できる。

珍説その4 「生物多様性は高い方がいい。外来種が加われば、種類が増えるから多様性が上がって結構」

 生物の多様性は、あくまで「それぞれの場所にもとから存在していた生物による多様性」のこと。生物種の絶滅に追い討ちをかけるバスの密放流は、人間の力では取り返すことができない重大犯罪だと認識すべきだろう。

認識欠如その5 「魚の放流については、アユやニジマスなども問題。なぜバスだけを特別視するのか」

 今や「バスの密放流は犯罪である」ことは議論の余地がない。そうした事実認識が完全に欠落している。こんな幼稚な議論をしているようでは、バスの将来は危ういと思わざるを得ない。

認識欠如その6 「バスを駆除しても、根絶や絶滅は不可能、無駄な努力ではないか」

 これは半分当たっているだろう。駆除するには大変な労力とお金、気の遠くなるような時間がかかる。それだけに、密放流がいかに罪深いことであるかをまず認識すべきだろう。本来なら、密放流した人間が、犯罪の代償として駆除するのが筋である。さらに、その汚れた魚で利益を享受している全ての人がこの駆除作戦に協力すべきだと思うが・・・。

 業界の中心人物・山下茂氏は次のように語る。「在来魚を増やせばよい。当会では琵琶湖の在来魚の養殖を支援することを決めた。生態系については15年くらいたてばバランスは保てる」という。

 一見、美談のように見えるが、こんな馬鹿なことがあるか、とすぐに気が付く。在来魚は、「ブラックバスの餌のために養殖する」と言っているようなものではないか。

 左は大森町杉ノ沢貯水池、右は駆除されたブラックバス

秋田県のため池で駆除されたブラックバス

怠慢・誤認その7 「日本にはもはや原生の自然などない。どこもかしこもある程度人の手が入っている。その中には、外来魚もいる。バスばかり取り上げてもしかたないだろう」

 バス擁護派がよく使う詭弁のひとつ。日本の自然は既に破壊されている。だからバスの問題は大したことではない、と言いたいのだろう。

 人の手の加わらない自然は、無人島ぐらいしかないだろう。世界遺産に登録された白神山地だって、人の手が加わった自然である。それなのになぜ、原生的な自然が残ったのだろうか。森と人間がともに生きてきた長い歴史と共生の文化が脈々と生きていたからだと思う。白神山地を守る運動がそれを象徴している。

 ただ「自然は既に破壊されている」と呟き、それをネタにバスから目をそらそうとする姑息な主張は即刻やめるべきである。良識ある人間ならば、この状況を危機的状況と受け止め、保護・保全のために立ち上がらなければなせらない。既に森にブナを植えたり、生態系保全・復元のための努力が全国各地で展開されているではないか。

 秋田では、現在、淡水に生息する希少種を守るために、地域住民、行政、企業が一体となって保護・保全のための活動が展開されている。そんなところにバスは絶対いてはならない「不自然な魚」である。

怠慢・誤認その8 「釣りを通して自然を学ぶといっても、今の子供たちにはブラックバスしか道がない」

 そんな悲しい現実に誰がしたのだろうか。まして、反社会的な犯罪の上に密放流された魚を釣るということは、教育上好ましいはずがない。そんなことでは、ますます歪んだ道徳観・自然観を持つ子供を育てるだけで、日本の自然と釣りの将来はお先真っ暗ではないだろうか。

誤認その9 「山梨県ではコクチバス、新潟県ではオオクチバスやブルーギルを含めてキャッチ&リリースが禁止となった。釣り人が守れないような法律は無意味だ」

 確かに、バス釣りとキャッチ&リリースは表裏一体だから、個人レベルではなかなか有効には作動しないと思う。バス釣りの人たちに「キャッチ&イート」なんて浸透するはずもなく、はなはだ懐疑的に思える。

 しかし、この手の規制策は全国に広がるだろう。それはなぜか。バス釣りのトーナメントが堂々と開催できなくなる。そうなれば、バス釣り産業は大きな打撃を受け、衰退の一途を辿るのではないか。

 そもそもリリース禁止は、バス釣りの人たちにとって、釣りを否定されたに等しいものである。

 バス擁護派は、リリース禁止に対して「バス釣りの人にとっては非常に大きなインパクトを与えたことは事実だ」「我々釣具業界に携わる者たちには、生死に係わるような致命的な決定」と自ら認めている。

 バスファンの皆さん、ブラックバス問題がここまで深刻になったのは、あなたたちの責任ですよ。密放流は悪いと言いながらも、新天地に放流されれば、どっと押し寄せ、バスを礼賛し、時には密放流をも擁護する。これでは、「もっと放流しろ」と犯罪をそそのかしているようなものではないか。口で奇麗事を言っても行動はバラバラにしか見えません。

 売春や麻薬と同じで根は深い。失礼な言い方かも知れないが、売春や麻薬を売る人がバスの密放流者、それを買う人はバスを釣る人、それをそそのかすバス釣り関連雑誌は、三流以下の雑誌、釣具は単なる大人のオモチャという図式が最もわかりやすい。現在でもコクチバスを中心に密放流が絶えないのは、バスを釣りたい客がいるからである。ならば、密放流をなくすには、釣りを禁止するのが一番有効であることは誰でも想像できる。

 バスをいくら擁護しても、もはや社会的敗北は明らか。最悪のシナリオにならないためには、この危機的状況を真摯に受け止め、建設的な取り組みを期待したいと思う。それ以外にバス釣りの将来はないだろう。

提案その10 「バスを認める湖沼と認めない湖沼を明確にし、゛棲み分け゛をとる妥協策はどうだろうか」

 現状の法制度では、密放流を禁止しても全く作動していない。そんな状況では、゛棲み分け゛は意味がないだろう。バス反対派の秋月岩魚氏は、バス釣り禁止、バス完全駆除を唱えている。これは理想であるが、現実に可能かどうか、やはり疑問を抱かざるを得ない。

 野放しのバス釣りを続けていれば、密放流を撲滅できない。
 最大限妥協するとすれば、バスを釣っていい場所とバス釣り禁止場所を区分けする方法が考えられる。その際、バス釣り場を極端に狭め、遊魚料をバスの駆除費用の一部として負担すること、それ以外の湖沼・河川については、バス釣りを禁止すること。さらに、禁漁河川・湖沼に密放流したものは、その駆除費用の全てを負担させるなど、法的に罰則規定を強化する必要があるだろう。

 こうした゛棲み分け゛の妥協案は、無用な対立を避け、バス釣り人も漁協も水産庁も環境庁も県・市町村の内水面関連担当者も自然保護担当者及び自然保護団体もため池を管理する土地改良区も、そしてバス釣りを敵対視している釣り人も一致団結しなければ実効性のあるものにはならない。そのためには、バスフィッシング業界こそ、率先して合意形成に向けて動くべきだろう。そんな努力を怠れば、最悪のシナリオに向かって奈落の底に落ちても、誰も同情などしないだろう。

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