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Echigo Miomote Yamando Description
農山漁村文化協会・人間選書235「越後三面山人記/マタギの自然観に習う」(田口洋美著、1950円、2001年2月第1刷発行) 左が著者である田口洋美先生。現在、狩猟文化研究所代表、東京大学大学院新領域創成科学研究科在学。今年で12回目を迎える「ブナ林と狩人の会−マタギ・サミット−」を主宰している。主な著書は、「マタギ−森と狩人の記録−」(慶友社1994)「マタギを追う旅−ブナ林の狩りと生活−」(慶友社1999)ほか多数。右は、マタギ小屋を保存する会代表の瀬畑雄三さん

 「越後三面山人記」は、1992年に単行本として発刊されたものを改版し、農山漁村文化協会の「人間選書」として2001年2月に発刊。たまたま、有楽町朝日ホールの会場にこの本が並んでいた。その本を見てハッとした。さんざんマタギサミットでお世話になっておきながら田口洋美先生の本を読んだことがなかった。

 積んである本を手にとり、表紙の裏を見ると、ダムに沈む三面を案内してくれた小池善茂さんの言葉が書かれていた。

 「・・・今では町での生活にも慣れてきましたが、年を追うごとにいやがおうでも山での生活が脳裏を駆け巡り仕方ありません。移転前、田口洋美さんが精力的に聞き書き調査され、まとめられた本書を読むと、当時の山での生活が昨日のことのように思い浮かびます。忘れ去られようとしている三面マタギをはじめ、幾百年と祖先から受け継いできた様々な山での生活が、正しく生き生きと記されています。是非とも多くの方々に一頁一頁ご覧いただき、後世にお伝えいただきたい気持ちで一杯です」

私はすぐに買い、それこそ貪るように読んだ。
帰りの新幹線4時間もあっと言う間に過ぎた。
そして深い感動と共感を覚えた。
この本に登場する三面の山人たちが語る一言一言が、
実に重く響いてくる。

この記録は、現代人がすっかり失ってしまった山人の自然観が生き生きと描かれている。
「自然と文化は、頭で考えたって駄目だ、山から教わらねぇば」
と言われているような気がしてならない。
三面山人記は、「自然と人間と文化」を考える宝の山といっても過言ではない。

山人たちが語る自然観の一端を紹介したい。

狩りになれば皆獣になるのだ。

オレの体は山が作ったんだわっ。

…人間初めて歩くの覚えた時からな、獣が裸足で歩くのと同じでなっ、何処歩くにもみんな裸足で、山でも川でも歩いたろう。だから自然と体が山に馴染んで、こういう体になったんでねぇかな。

 狩りで山歩くときなんぞはなっ、ハー自分が人間でもあるこも忘れるんだわっ。オレも一匹の山の獣と同じで、獲物追うんだわっ。何を考えるっていうこともねぇ、夢中で体動かして、必死で追うんだわっ。獣獲るんだものなっ、獣にならねば獲ることできねぇはでな。オラっ山さ入れば、獣と同じだぞうっ。山も谷も翔んで歩くんだわっ。

寒中、山入って寒いなんていうのは、それごそ修行が足らねぇんだな。・・・ほとんど獣の皮着るんだはで、それごそ人間も獣になって雪ん中歩いたんだわ

山に習い、獣に習う

誰でも最初はわからねぇんだ。山の怖さも、獣の凄さもわからねぇんだわっ。それ覚えるまでが難儀なんさな。・・・山は話だけではわからねぇ、実際にぶつかってみて、なるほどと思うもんなんだわっ。

オラ達は、子供のころから山歩いてるさで、人間のことより自然のことの方がわかる衆だ。山人だはでな。・・・山のことでも、獣のことでも、山人だばよく知ってるもんだ。また、知らねば生きていげねぇすけ。山をあなどってはなんねぇんだ。自然というものはおっかねぇもんだ。そのおっかなさがわからねば一人前の山人にはなれねぇんだ。かといって知り尽くすことなんてこともできねぇことだ。だから山人はいつでも学ぶんさ。オラ達は山さ遊びに行くんじゃねぇすけ。仕事だ。生活のためだものな。

皆、山に教わり教わり、それを繰り返してね、いろんなことを山に教えてもらってきたんですよ。獣からも、川の魚からも、草だの木からも、風だの雲からもね。ですから、山人は何時でも素直じゃねぇとダメなんです。知ったかぶりというのは間違いのもとですよ。

逃がすたびに、クマから教わるんさな。クマの方も巻かれる度に人間っていう獣がどうするかって学ぶはでな。本当に段取りの通りっていうことはまずねぇんだな。一回一回の猟重ねてクマから学ぶんさ。

山に習うっていうがなー。山にさからわねぇようにな。・・・オソ(罠)もやっぱり春のクマ狩りと同じでクマから教わって、クマに習って、・・・これは川の魚を獲るのも同じなんさ。やっぱり魚とつきあって教わるんさ。

マタギをするなら野の肉を喰い、百姓するなら野の草を喰え

人間は、山の中ではおちこぼれ 山人の世界観

クマはクマで大したもんなんだ。山の獣では一番山の神様に近いところにいるんださがで、山の中では人間よりも賢い訳だ。何っ、人間なんて一人で山の中に放り出されれば何にもできねぇんだし、山の中ではおちこぼれなんさー。自然の中で生きる獣ってのは、どんな獣でも大したもんなんだ。奴等は人間みたように文明がなけりゃ生きていげねぇなんて意気地のねぇことはいわねぇもんだんがな。そのままの姿で、体ひとつで自然の中で生きていげる力持っているんださがで、凄いもんなんだ。

「人が山を支配するのではなく、山が人を支配している」…山人の世界観。

三面というところは自然から採るものっていうのは基本的に平等な訳なんせー。これは山とか川とかなんでも、自然の物っていうのは山の神様のものだっていう考えあるもんだんが、それを分け隔てなく得る権利が何処の家にもあるっていうことなんせ

山の神様は分け隔てはしないもんですよ。特別待遇はねぇんですよ。

とにかくクマは、捨てるところがねぇんさ。それこそもったいなくて捨てるなんてできねぇ。昔は毛皮取ってあまった端っこの皮でも焼いてかじったし、犬にも喰わした訳だ。骨が残ればそれを焼いて灰にして薬にしたもんさ。・・・山の神様の授かりもんだはで、決して粗末にはあつかえねぇんさ。

山が好きだ。溢れる感謝の念・・・

山で生まれ育ったんだはでな、狩りなんて大好きで歩いたんだわっ。クマ獲りでも寒中のカモシカ獲りでもなっ、山ですることだば何だって好きだ。
山さ行って、松の木の根っことか、峰さ上がって座ってると、ヒューッヒューッという風の音聞こえるろう。風の唸りなっ。あれ聞いてるとハッ、人間のことも、世間のことも忘れる。何も分からねぐなるんだわっ

山っ、数えきれねぇほど恩があるんだ。言葉には表せねぇんだ。オレも、オレの親父も、孫爺さんも、先祖みんなこの山で生きてきたんだわ。山に助けてもらって、支えてもらってなっ、生きてこれたんだわ。

山の力・人の力

人間が山で生きていくには、山を半分殺して丁度いい具合になるんだぜ。
オレ達は、自然に負けたら生きていくことならねぇんが。自然の力を利用していかんばねぇんだぜ。もっともあんたのように都会で暮らしている衆には、゛山を半分殺す゛なんていったってかわらねぇと思うどもな。山も人間もお互い欲を半分殺して、丁度いいっていうことだぜ。自然の力利用するなんていったって、そうそう問屋がおろさねぇごで。そこ考えねぇとこの意味は飲み込めねぇごで。

まず、山の斜面を全部伐っしまうなんていうのはオラには理解できねぇことだぜ。奥山の木を伐るっていうのは、まぁ間伐みたよに木と木の間を間引く恰好で伐るのがいいんだぜ。全部伐ってしまえば元にもどらねぇんが。もっとも全部伐るっていうのは元に戻す気がねぇからやるんだごで。営林署の衆がやる植林なんていうのはこのやり方だどもな。だけれども、ここではそういうことはやらねぇぜ。木っていうのは草と同じように競争して強いのが残るもんだぜ。だから競争に負けるような木を伐ってやれば、強い木はもっと楽に成長できるんが。ここの人間は山を今の状態のままずっと続くようにって考えるもんだんが。木の実がずっと生ってくるように、山が衰えねぇようにしてやらねば上手くねぇもんだぜ。

山は人の力を受け入れることで森林は保たれ、人は山の力を受け入れることで暮らしが成り立つ。そのお互いのパワーバランスを重層的にうまく保ち合うことがとても重要・・・「山を半分殺す」という意味がこのあたりにあるように思う。

この間、町から登山に来た衆、もう少し登山道きれいにして欲しいようなごどいってたどもな。町の人方には公園みてぇな山がいいんだごで。そんな綺麗な山では獣は生きられねぇと思うんがなー。いろんなものが腐って、いろんなものが育つんだものな。それオラ達も獲って食べて来たんださがでなー。

著者は「狩人たちこそ私の師であった」と述べている。この本は、まさに山人たちの名言集が凝縮されており、山釣りなどと称する釣り馬鹿たちにとっても、彼らは師と呼ぶべき存在である。ぜひご一読を強くお薦めしたい。

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