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The 12th Matagi summit IN Ani

約120名が参加した交流会。マタギ太鼓に続いて、明治時代の阿仁マタギが登場すると、割れんばかりの拍手で会場は騒然、当時の民俗衣装を詳しく解説していた。俄かカメラマンが次々にマタギを撮影するなど、クライマックスに達した。

 2001年6月9日〜10日、「第12回ブナ林と狩人の会、マタギサミットIN阿仁」は、私の大好きなマタギの里・秋田県阿仁町で開催された。全国に誇りうる鉱山の歴史を持ちながら、あえて滅び行くマタギを町おこしのメインに据えた阿仁町上げての大歓迎、そして趣向を凝らしたマタギサミットの内容の充実は、目を見張るものがあった。

 吉川阿仁町猟友会会長のあいさつは、今回のマタギサミットにかける熱意を十分に表していた。「マタギにとって最も縁起のいい数字とされる第12回目の「12」と、その逆の「21」世紀の幕開けを記念する歴史的なマタギサミットと位置付け、全国から集まったマタギ関係者を町を上げて歓迎します」。

 マタギの湯、一次会のマタギホール、マタギ小屋を保存する会を代表して近況報告した戸堀マタギ、二次会のマタギの座敷、マタギの全てをコンパクトに展示したマタギ資料館、野性味あふれるマタギ太鼓、そして明治時代のマタギの登場で交流会はクライマックスに達した。

 マタギ関係者とタケノコ汁や山の幸をツマミに尽きることのない飲み会、一次会、二次会・・・三次会は、部屋の前・・・ところがテーブルに座ったものの、すぐにマタギサミットの凄まじいエネルギーに酔い潰れてしまった。朝起きたときは、頭がガンガン・・・。熊研究の近況等々の素晴らしい講演、熊牧場・・・「マタギと熊づくし」の二日間は、さすがマタギの本家・阿仁町だな、と思わせる内容の濃いマタギサミットであった。

 奇しくも、サッカーは日仏決勝、だが日本のエース・中田英が帰国、そして惜敗、悔しさが残る試合だった。だが、マタギサミットIN阿仁は、フルメンバーが出席、そして事務局の粉骨砕身の奮闘で世界の頂点を極めたようなマタギサミットという感じがした。それは、マタギ太鼓に象徴された心の奥底に響く感動があった。改めて、門外漢の山釣り馬鹿を、マタギ仲間に暖かく迎え入れてくれた田口先生や阿仁町の皆さん、そして全国から参加されたマタギ関係者の皆さんに、この場を借りて、心から感謝を申し上げたい。

二次会は、マタギ座敷。田口先生が、二次会の乾杯の音頭をとった。

マタギサミットに行く前に、阿仁町を代表するマタギ集落・根子を訪れてみた。左の写真は、過疎基幹農道で建設された根子トンネル。薄暗く車1台しか通れないトンネルを抜けると、まさに平家落人伝説のような集落が突然現れる。基幹林道を山側に走ると、とごろどころ耕作放棄された田んぼが目立った。田んぼには雑木、畔にはフキが生え、一抹の不安を感じた。
杉の木立の階段を上ると、根子マタギ集落の山神社がある。手を合わせ「マタギ小屋の保存」を祈った。 歓迎の「マタギの里・阿仁町」のノボリが並んでいた。町を上げての歓迎ムードがだんだん感じられるようになる。この橋を左に走ると、会場へ。
自然に近い渓流の管理釣り場「遊遊ガーデン」の奥に秋田県水産振興センター内水面試験地がある。ここでは、在来種のイワナやカジカを保護増殖する技術を研究している。 マタギサミットの会場となった打当温泉「マタギの湯」。平成12年3月18日、マタギ資料館を併設し新館がオープンした。
玄関に掲げられた「歓迎 第12回ブナ林と狩人の会」の看板とマタギ小屋を保存する会代表の瀬畑雄三さん。 マタギの湯とマタギホールの間に、国内唯一のマタギ資料館が併設されている。狩りの道具はもちろん、雪深い山に生きたマタギの生活の知恵や文化、心・・・全てを理解できる施設。
戸堀マタギが、思わず「いいナガサだ!」と見入っていたナガサ(山刀)。 マタギサミットの歓迎あいさつを行う阿仁町長。
メインの交流会。配布された資料には、ブナ林と狩人の会について、次のように記されている。
「本会は、中部東北地方に点在する伝統的狩猟集落(マタギ集落)を中心に狩猟文化を研究している田口洋美(幹事)の提案によって、新潟県村山市松山三面、秋田県北秋田郡阿仁町、長野県下水内郡栄村秋山郷の猟友会員、青年会、婦人会などの有志によってはじめられた広域的山村交流会議です。/本会の目的は、マタギ文化はもとより山村の生活文化継承を基本に、それぞれの山間集落が21世紀をどのように生きていくのか、自然環境の変貌や経済生活、高齢化にともなう後継者不足といった共通した今日的問題を相互に情報交換し、親睦をはかりつつ自らが模索して行こうというものです。」
野性的な躍動感とお腹にビンビン響く「マタギ太鼓」。阿仁町特製のタケノコ汁とビールを飲みながら、しばし鑑賞。
マタギ小屋を保存す会を代表して戸堀マタギが近況を報告。昨年、新潟県で開催されたマタギサミットで多くの賛同を得たことに対しお礼を述べるとともに、「口頭ではありますが、マタギ小屋の強制撤去はしない旨の回答を得ております。ありがとうございました。」と報告。万来の拍手を受けた。 会場に突然、明治時代のマタギが登場すると大きな拍手が起こった。瀬畑翁は、飲み会を中断し、部屋までカメラをとりにいったほどだ。
6月10日、「熊研究の近況」と題して報告した阿仁町ツキノワグマ研究所獣医学博士の小松武志さんの講演は、野生の状態では決して観察することのできない、熊牧場でしか研究できない内容の濃いものであった。熊の金玉の研究で博士号をとった面白オカシイ話から珍しい出産シーンのビデオは、息を呑む迫力ある映像だった。

農林水産省森林総合研究所東北支所・岡 輝樹さんの「白いツキノワグマ」も圧巻だった。岩手県北上山系で撮影された無修正の「白いツキノワグマ」の映像、その突然変異の謎に迫る研究成果を優しく解説してくれた。さらに、白いツキノワグマの目撃が、なぜ奥羽山脈ではなく北上山地に集中しているのか。その答えは、北上山地は、彼らのテリトリーがだんだん狭くなっていることから、近親相姦が増えたことが原因と推理した点は、思わず頷く内容だった。

同じく森林総合研究所・三浦信悟さんは「特定鳥獣保護管理計画制度に対する対応」と題して、素人にもわかりやすく解説。人間に害を与えない特定鳥獣の数はどのぐらいが適正か、その目標を達成するために人間がコントロールするには、正確な個体数調査が欠かせない。ところがIT革命が進む現代でさえ、野性の熊の正確な生息数を把握することはできないという。頼るは、山に学び獣に学んだマタギの勘しかない、と力説した。

この結論は、在来種の保護とブラックバス問題を考える上でも大変参考になるものだった。縄文以来連綿と続いてきた数千年の歴史と伝統を誇る狩猟の世界、その最先端の技術を駆使し、第一線で活躍する研究者ですら、野性動物の不思議な生態と個体数を把握することができないという、ごく当たり前の現実。まして、日本に移植されてわずか数十年の歴史しかないもたないブラックバス、さらに人間の目には見えない水面下の世界である。ブラックバスの正確な個体数とはっきりとした害を証明しろと言っても、これは不可能な話だなと痛感した。ならば、ブラックバスの異常な繁殖と形を変えた生態系破壊に対する漠然とした不安と危機感、科学的には証明できない動物的な勘こそ、人間と自然の生態系の微妙なバランスを解く原点ではないだろうか。

一般質問に移ると、意外にも会場からマタギの有害駆除に疑問を呈する発言が出た。これに答えた最後の言葉が、やけに心の中に残った。「かつて40万人もいたハンターが、現在では17万人まで激減、その年齢構成は60歳以上が大半を占め、加速度的に高齢化が進行している。このまま推移すれば、10年後が恐ろしい。マタギこそ、絶滅危惧種だ。」

これを受けて最後に、狩猟文化研究所長・田口洋美先生は、「マタギを絶滅危惧種にさせないためにも、マタギの社会的なステータスを高め、若者がマタギを継承できるような山村社会にしていくことが、このマタギサミットの大きな目的である」と締めくくった。

さらに、実に興味深い企画が提案された。次回開催のマタギサミット(秋山郷)までに「マタギの写真集」を作るというもの。全国のマタギ関係者の協力を得て、埋もれた貴重な民俗記録・マタギに関する写真を掘り起こし、それを現場で復元収集して写真集を作成するという画期的な企画である。ただし500部以上の注文と予約金を集めないと採算がとれないのでご協力を、と呼び掛けた。

「絶滅危惧種・マタギの世界」の危機的な状況を考えると、マタギ文化・山村の生活文化を愛する情熱がなければ、そして新世紀の今を逃せば、決して成し遂げることのできない難事業である。これに対し、満場の拍手がマタギホールに響き渡った。次回の開催地・秋山郷は、秋田県阿仁町からだと10時間もかかるというが、楽しみが倍増する思いがした。ぜひ21世紀に引き継ぐ貴重な民俗遺産「マタギの写真集」の完成を心から、心からお祈りしたい。

左は熊牧場のツキノワグマ。阿仁で捕獲されたツキノワグマが集められ、熊の愛郷あふれる仕草が人気だ。中には、母熊を亡くした子熊もここで飼育されている。
右は、我が会の柴田君が、瀬畑翁に会うために「マタギの湯」にやってきて、感激の対面をしているところ。これから瀬畑翁何百人目の弟子になるのか、いずれテンカラ釣りにのめり込むことは間違いないだろう。
左から吉川(きかわ)阿仁町猟友会会長、マタギ小屋を保存する会代表・瀬畑雄三さん、そして私(ちょっと写真がブレてしまったが)。吉川会長とは、今から20年ほど前、北秋田農林事務所に勤務していた時代に、仕事関係でよく知っている方だ。当時、阿仁町自慢の菖蒲園に招待されたのを思い出す。今は役場を退職され、阿仁町猟友会の会長になっていた・・・時の流れの早さを感じる出会いだった。

瀬畑さんには、翁自作のテーパーラインと毛針をいただいた。もちろん、瀬畑流テンカラの極意も伺った。もらったからには、瀬畑流日光テンカラでイワナを釣らなきゃ渓師の名がすたる。と、強がりを言ってみても、ルアー1年生が、今度はテンカラ1年生も・・・体がいくつあっても足りなくなってしまった。

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