Yuzo Sebata Talks very much
 和賀山塊・マタギ小屋撤去騒動を巡り、平成12年4月26日(水)、秋田市を訪れた瀬畑翁(1940年生、宇都宮渓遊会所属、駒込で居酒屋むかご経営、03-3945-9909)は、秋田・源流釣友会4名と某所で意見交換を行った。夕方5時半から深夜11時まで、まるで焚き火を囲んで談笑するかのような楽しいひとときだった。
 マタギ小屋保存について理解を得るために、秋田さきがけ新聞の記者(現能代市)と会い、マタギの里・阿仁町を通って、仙北マタギを継承する中仙町の戸堀宅に一泊、翌日、秋田森林管理署角館事務所へ。非常に好意的で営林署も変わったもんだと語った。(撮影は、我が会のカメラマン中村章氏)
 瀬畑氏と遠藤女史。瀬畑氏によると、遠藤女史は、もともとロッククライマーで、渓では凄腕の持ち主とか。「自然保護って、いったい何だろうね」と疑問を投げかける。
 自然と文化は、これまで幾度となく対立し、鷹匠文化も滅んでしまった。この愚を繰り返してはならない。自然と人間と文化に上も下もない。
 マタギ小屋保存の署名運動で団結することを誓った一コマ。右が、我が会の会長・中村二朗氏、左が私。山釣りの世界を語るうちに、時を忘れるほどだった。瀬畑さんの笑顔を見てください。「釣り馬鹿」につける薬はない、というが、山釣り馬鹿につれる薬もない、とつくづく思った。
 マタギ小屋の保存について、これまで皆さんからいただいたメールを全てコピーし、瀬畑さんへ渡した。翁は、こうした仲間からのメールに感激したことは言うまでもない。
 誰も白神の源流に見向きもしなかった時代(昭和41年)、白神山地赤石川へ入ったという根っからの源流大好き人間。当時は、暗門川には遊歩道もなく、地元のマタギから聞いたルートを辿って入渓したという。今でも遊歩道を辿ったとしても、決して楽なコースではない。なのに、断崖絶壁の連なる左岸を大きく巻く苦難の道を歩ませたものは、山釣りのパイオニア的な精神が生きていたからであろう。
 当然のことながら、釣り人は皆無、白神の広大な無人境の魅力にとりつかれたのは言うまでもない。そんな時代にタイムスリップしてみたいと、誰しも思うだろう。最初は、誰よりも大きなイワナを釣りたい、と言った欲があったが、だんだん渓魚を育む山と渓谷を追いかけているうちに、原生的な自然とそこに生きたマタギの文化に心ひかれるようになった。
 白神の追良瀬川堰堤から約8キロ地点右岸に懸かる五郎三郎の滝25mの滝上にイワナを放流したという。在来イワナの放流を行えば、そのイワナたちが我が子のように可愛くなったという。山と渓谷、そして源流のイワナをこよなく愛するようになった。その愛が、山で代々生きてきたマタギ文化を保存したいという大きな原動力になっている。もはや生業としては成り立たなくなったマタギ文化は、急速に滅び去ろうとしているだけに、山と渓谷を愛する人間が助けないで、誰が助けるのか、といった気概を感じた。
右が長谷川副会長。山釣りを愛する人間は、初対面とは思えないほど、すぐに溶け込んでいく。それは、瀬畑翁の何とも不思議な魅力によるところ大であった。 握手をするにも、両手で優しく包み込む。そしてこの笑顔。見れば見るほど味のある顔をしている。下界の酒場ではなく、深山幽谷で焚き火を囲み、談笑してみたい、と思わせる。
 左は、渓で偶然ツキノワグマの死体を見つけ、爪だけ拝借し加工、首飾りにしていた逸品。
 瀬畑翁の失敗談もオモシロイ。渓に入るとき、車の中に現金を置いていけばヤバイと思い、15万円も入ったサイフを山に持っていった。河原にテントを張ったが、大増水でサイフもテントもザックも・・・全て流されてしまったという。今でこそ笑って話せるが、その時は泣きたくなる気持ちだったろう。
 堀内沢では、増水に阻まれ思わぬ骨折。朝日沢とマタギ小屋のある地点のほぼ中間にワニ奇岩と呼ばれる大きな岩がある。この右岸を下ったが、今までにない増水のため、ルートを探るべく、仲間にロープを引っ張ってもらい下がった。斜めの岩に滑って増水した流れに転倒、ザックが水圧で沈み、耐えられなくなってロープを離した。ついにスーパー翁も激流に呑み込まれてしまった。仲間は、これで終わりかと思ったらしい。階段状の流れではあったが、本人はいたって冷静であったという。あお向けになってザックの浮力を利用しながら下り、岩を足で蹴りながら下った。だが、蹴り方が悪く鈍い音がしたらしい。痛みはなかったが、足を骨折してしまった。
 いずれも、予想もしない増水での出来事である。渓は、いつも優しく旅人を迎えるわけではない。時に恐ろしい形相で襲ってくることがある。こうした体験こそ、自然に比べれば、人間など如何にちっぽけな存在かを思い知らされる。そこから、自然に対する畏敬の念が生まれるのだ、ということがよくわかる。
 瀬畑翁とマタギの共通点は、「畏敬と感謝の念」をもっいるという点だろう。それは、自然の奥深く入った人間だけが抱くことができるアニミズム的な思想である。机上の自然保護に欠落している点は、まさにこの点にある。「自然保護か伝統文化か」といった対立の図式で物事を考える余り、人間を排除したり、地域固有の文化を見殺しにしたりするような愚は、改めるべきである。自然も大事だが、人間も大事、さらにその豊かな自然から生まれた暮らしと文化も大事なのである。この点を、我々は見逃してはならないだろう。
 山釣りの文化もマタギの文化も、ともに原生的な自然が残るフィールドにのみ成立し、そこに至るには、道なき道を苦行を厭わず歩き続けなければならない世界でもある。だからこそ、便利さを求める時代にあっては、山釣りもマタギも、奇人変人のような世界に思われがちである。けれども、彼らが抱く「畏敬と感謝の念」こそ、「自然と人間の共生」を実践する唯一の精神が潜んでいるように思う。
瀬畑翁と握手をする中村章カメラマン。まるで北海道の大イワナを釣ったときのように感激した顔が印象的だ。  終始笑いが絶えない意見交換会であった。やっぱり、山釣り仲間は最高だ。
 誰だって争いは好まない。誰だって自分の生活と暮らしで精一杯である。自然と文化を守るボランテア的な活動をする余裕などない。そこに彼を駆り立てるものは、やはり「自然と文化に対する限りない愛」があるからである、ということをしみじみと感じた。
 渓の仲間たちよ、瀬畑翁と仙北マタギの文化を継承する戸堀マタギの愛を、皆で支えようではないか。
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