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  ずっと以前から暖めていた計画があった。次男が小学5年になったら、息子二人を連れて「親と子のイワナ探検」を実行しようという計画である。今まで、父親不在の毎日であったが、ここで一挙に汚名挽回しようという計画でもあった。

 場所は危険が少なく、かつ原始の森のイワナ探検にふさわしい源流を選定しなければならない。険しい谷を下流から遡行することは危険この上ない。だが、谷沿いに林道があるようでは話にもならない。しかも、必ずイワナが釣れる所でなければならない。そんな贅沢な渓があるだろうか。

 私には、そんな秘渓が数本あった。

 「探検」とは言っても、何も危険を冒すために行くのではない。
 従って、森林軌道跡が道となって源流部まで続いている沢に限定される。この道は長年の豪雨と雪崩によってかなりの部分が崩壊しているため、決して平坦な道ではない。けれども、小学5年にもなれば十分安全なコースだ。この細道を辿って、一気に源流部にキャンプする計画である。

 いよいよ息子が待ちに待った夏休みがやってきた。
  1992年8月・・・ついこの間まで、低温長雨の続いた夏であった。朝3時半、夜空を見上げると星が輝いていた。息子と私は「イワナ探検」の旅立ちにあたって、心の中にも満天の星空が広がっていた。

 北に向かうと、朝焼けがウロコ雲を赤く染め、気分もどんどん赤く染まって行った。目的の沢沿いの草深い林道を走り、堰堤の手前で車を止めた。伐採から逃れたブナの巨木沿いにノロノロ進む。二抱えもあるブナの巨木は、日本海からの強風と半年に及ぶ風雪に痛め付けられ、様々なコブを作って天に突き上げている。いつ見ても見事な自然の芸術だ。

 夢中になっている息子を、さらに夢中にさせる白神の森は、彼をさらに元気にさせていた。「休もう」と最初に言うのは、息子に決まっていると思い込んでいたが、それを言うのはいつも私の方だった。3時間半もかけてやっと目的の渓に降り立った。時計は既に9時を回っていた。
 家では「亀」とあだ名されるほど全く動かない息子ではあったが、何故か率先してテント設営やら、焚き火の準備を手伝ってくれた。親父の説教というものは、いつの時代にも子供にとっては耳にタコができるほどつまらないものである。人間は大人になると、そんなことはすっかりと忘れてしまう不思議な動物である。

 「親馬鹿」という言葉は、けだし名言であると思う。今回の「イワナ探検」で最も収穫であったことは、矢口高雄さんの著書「ボクの学校は山と川」という題名どおり、原始の森こそが息子に最大の説教効果を発揮する偉大なる学校だということに気づいたことである。
  釣る前に、まずは餌採りである。川虫採り網を石の下流に置き、石を引っ繰り返す。様々な水生動物たちが網の中に入ってくる。こんな狭い渓でこれだけ多様な生き物が棲んでいることに、息子は目を丸くして見つめ大はしゃぎであった。

 しかしこんなものがイワナの餌になるのか・・・
 しかもこんな山奥に魚などいるのだろうか・・・という素朴な疑問も持っていたようである。
  私はその疑問を解決すべく、オニチョロを針に刺し、瀬脇に投げ込んだ。
 流れていた目印が止まった。
 「イワナが食いついてきたぞ」と叫ぶ。

 息子も私の背後で息をこらし、じっと目印を眺めている。竿が大きな孤を描いた直後、源流の宝石は狭い空間に舞い上がった。息子の疑問は、この第一投で全て納得したようである。
 竿を息子に渡し、いよいよ「息子のイワナ探検」が始まった。
 扱い易いように仕掛けは極端に短いチョウチン仕掛けにしてやった。けれども5.4mの竿は初めての息子にとってとても扱えるものではなかった。サワグルミの枝に引っかけたり、大地を釣ったりで釣りにならなかった。このままでは、息子に野生のイワナの鼓動を体験させることはできない。

 そこで私は竿を取り戻し、イワナが餌に食いついた直後に息子へ竿を渡す方法をとった。
 これなら確実である。息子は、大きな竿の重さとイワナの強い引きに微かに震えている。
  「落ち着け!じっくり待つんだ」
 まもなく、イワナは上流めがけて走った。
 「今だ!上げろ!」 息子の手の中でイワナは上下に激しく動いた。

 息子の笑顔は逆光に輝いていた。計測すると19cmの小イワナであった。
 「小物だから川に返してやれ」というと明らかに不満顔である。

 「せっかく釣ったのに何で逃がすんだ」
 息子にしてみれば3時間半に及ぶ道なき道を歩き、初めて手にした感動のイワナである。
 そう思うのはごく自然のことであった。

 だが、ここで妥協しては持続的な釣りの将来を学ばずに終わってしまう。私は嫌がる息子の手から無理やりイワナを横取りし、渓に返してやった。息子は諦め、元気に泳いでいくイワナを見て、生き物を大切にする本能が蘇ったのか、優しい笑みを浮かべていた。それから4時間程イワナと遊び、渓を下った。
  周りがすっかり暗くなり、せせらぎの音以外は深い静寂が二人を包み、焚き火だけが赤々と燃えた。不思議な世界に息子も楽しそうだ。背中に忍ばせてきた線香花火を取り出した。深い暗闇の中での花火は、殊の外輝きを増し、息子の顔が光っていた。「父と子」だけの世界は、通い慣れた源流においてさえ不思議な感覚だった。
  朝4時に眼が覚めた。息子は相当疲れたのか鼾をかいて眠っている。息子の五感は恐らくl00%刺激され続けていたにちがいない。

 8時半、探検の準備にとりかかった。今日は枝沢のイワナ探検だ。そこは、巨木が何本も束ねて天を覆い、薄暗い中に深い静寂が支配する秘境のような沢である。その秘境の玄関に滝がある。その壷は浅いが、時に大物が潜んでいることがある。私は這うように近づき、滝の落下点に投入した。

 目印が上下に動く。引きは強く、もしかしたらと思ったが上がってきたのは8寸弱のイワナであった。黒くサビついているイワナだ。本流とは明らかに異なる体色で、餌を余り食べていないのか痩せたイワナだった。

 滝の左岸を直登しようとしたが、雨で壁がツルツルしている。
 息子は単なるズックしか履いていない。これでは登れそうにない。
 熊も心配だ。というのも、沢筋には熊道がある。残雪の上に熊の足跡を何回か目撃したこともあった。

 残念だが諦めることにした。再び、本流を二人で釣り上った。
 ポイント毎にイワナは竿を絞り、息子も十分満足したようだ。1時間余り、遊んだところで竿をたたむ。 
 
 帰路、私はブナの大木を息子に観察させながら話した。

 「ツルが巻き付いているだろう。あれは自分では上に伸びることができないけれど、ブナの体を利用することによってはじめて生きることができるんだ。苔もまたブナの栄養分をいただいて生きてるんだ。六月ともなるとガの幼虫がやってきて、ブナの葉を食べるんだ。秋になるとブナの実を動物たちが腹一杯食べて冬眠に備えるんだよ。紅葉した葉もやがて、川に落ちるだろう。それを今度は川虫たちが食べるんだ。こうして共に仲良く生きているんだ」

 「緑のダム」、「クマゲラ」、「川虫たち」や「イワナとヤマメの積み分け」などの話をしながら、いつも兄弟喧嘩ばかりしている息子に「共生」の素晴らしさを説いた。

 午後1時半、好奇心を満足させた小さな冒険者とともに、山の斜面を登った。豊かなブナの森の中、ぐんぐん高度を増していく。白く流れる渓流は次第に細く見えるとともに、沢の音も小さくなっていった。

 やっと細道に達する。息子とともに「バンザイ!」と叫ぶ。帰りは息子を先頭にさせて歩いた。早い。なんて元気がいいのだろう。トカゲや大きなガマガエルを見つけたり、目も大分鋭くなったようだ。大きなガマガエルを捕まえると、恐怖の余り尻からオシッコをたれ流した。顔はゴツく、全身のイボイボ、紋様はマムシに近いほど気味が悪い。

 如何にも凶暴そうな顔つきをしているが、性格はまったく逆だ。信じられないほどおとなしく、臆病な動物である。これこそ「見かけ倒し」の傑作のような動物である。それが余りにも愛らしく、体を撫でてやるとさらにオシッコをたれ流した。可哀想なので逃がしてやると、平常心を完全に失っていたのか、斜面を臭っ逆さまに転げ落ちていった。二人ともガマカエルと同様、臆病者なので、その滑稽な光景を自分自身に重ねて、大きな声で笑った。

 どんどん先を行く小さな冒険者の背中を見ながら、「ブナの森の先生」に深く感謝せずにはおれなかった。
 それから2年後・・・夏休みの自由研究は「川虫の研究」にしたらどうかと提案
 即座にOKのVサインがかえってきた・・・息子を連れて再び秘渓に向かった

 ▽中学一年「川虫の研究・・・研究の動機」
 「お父さんは、イワナ釣りが好きだ。ぼくも連れて行ってもらったことが何回かある。
一緒に行った時、イワナの腹をさいたら虫が入っていた。お父さんは川虫だと言っていた。
それでぼくはもう一度連れて行ってもらって調べようと思った」
▲川虫採り
 清流の石の下流に川虫採り用の網を置き、上流の石を次々と起こしてゆく。すると底石周辺に隠れていた川虫たちが流され網の中に入る。中には石の裏に小砂利をつないで巣を作る虫もいる。
▲採取した川虫たち・・・カワゲラ、トビゲラ、マダラカゲロウ、ヒラタカゲロウ、サンショウウオ・・・
▲トビゲラ・・・石の裏に糸で小石をつなぎ巣を作って棲んでいる。体の色が黒いことから「黒川虫」とも呼ばれている。成虫は黒っぽい長い羽をもち、よく飛ぶ蛾のような昆虫である。 ▲カワゲラ・・・イワナが棲む清流に最も多い種。足は6本、頭に触覚が2本、尾が2本。チョロチョロ動き回ることから「オニチョロ」とも呼ばれている。 

▽疑問に思ったことにお父さんが答える
問1・・・トビゲラはなぜ上流に向かって飛ぶのか
トビゲラは、下流に流されながら成長する。清らかな水で、かつ低水温を好むトビゲラは、上流へ飛んで産卵しない限り上流にはいなくなってしまう。つまり種を絶やさないための種保存本能があるからである。

問2・・・どのようにして上流の方向を見分けるのか
夜になると、谷の風は上流から下流に向かって吹く。その風の吹いている方向に向かって飛ぶ習性がある。季節はずれの低気圧に見舞われると、風は下流から吹き上げる。そうした場合は、下流に向かって飛び、全滅することもあるという。

問3・・・暗いのになぜ沢沿いに飛ぶことができるのか
星や月の光が水面に反射するほのかな光を頼りに飛ぶ。だから水の流れていない伏流の場所では、それより上流には飛べない。従って、伏流水より上流にはトビゲラが生息しないと言われている。

問4・・・カゲロウやカワゲラには丈夫な足があるのに、トビゲラにはなぜそのような足がないのか
カワゲラやカゲロウは、流れの速い渓流で生きるために、丈夫な足、流水抵抗を最小限に抑えられるように自分の体を変身させて進化してきた。一方、トビゲラはクモのように糸を出し、小石をつないで石裏に巣を作ることによって進化してきた。つまり、丈夫な足の代用が小石をかためて作った巣であると言える。
▲採取した川虫でイワナを釣る

 日本人の主食は米・・・イワナの主食は川虫である。川虫の入った虫取りカゴを肩に下げ、針に川虫をチョン掛けにする。警戒心の強いイワナに気付かれないようにポイントへ接近、苔生す岩に隠れて岩陰の淀みに川虫を垂直に落とす。大好物の川虫が目の前にちらつけば、イワナは、たまらず食らいつく。竿が震え、糸が鳴る・・・その野生の鼓動は、眠っていた本能を一気に呼び覚ます。その本能さえ目覚めれば、子どもといえども、次から次へとイワナを釣ることができる。
 
▲息子たちが釣ったイワナ
▲秘渓を釣る ▲川虫を餌に感激を釣る ▲中学1年「川虫の研究」
▽「川虫の研究」考察・結論・・・棲み分け理論
 ダーウィンの進化論を知らないものはいない。しかし、今西学説と言われる「棲み分け理論」を知っている人は少ない。ダーウィンの進化論は、弱肉強食の論理である。いつも競争し、勝ったものだけが生き残り進化してきたという。エコノミックアニマルと呼ばれた日本人に、最も影響を与えた理論でもある。このダーウィンの進化論と真っ向から対立する理論が、実は「棲み分け理論」なのである。

 故今西錦司博士は、卒業後の無給講師時代、趣味である山や谷を歩きながら水生昆虫の観察を行った。渓流の石ころを一つ一つ転がしながら、カゲロウの幼虫の分化を調べ、それが画期的な「棲み分け理論」の発見を生んだ。「棲み分け理論」とはどんなものか、それがなぜ画期的なのか。簡単に説明しよう。

 渓流の流れを想像していただきたい。両岸は流れが緩く、中心部は流れが早い。そうした渓流の一断面に様々な形態の川虫が棲んでいる。流れの緩いところには砂が溜まっている。その砂の中には、潜るのに適した(尖った丈夫な頭の)形態をもつ埋没型の川虫が住んでいる。流れの中では、糸のように細い足と泳ぎやすい流線形をした自由遊泳型、流れの早い中心部では、石にしがみつく丈夫な足をもった潜伏型や吸盤をもち、流水の抵抗を少なくする平たい体をもっている。

 遅れて水中の中に入ってきたトビゲラは、先住者であるカゲロウなどと競争しては生きていけない。そこで、先住者が開拓していない所・・・すなわち石裏に小石をかためて巣を作る生き方を選んだ。
 狭い渓流の中で多種多様な川虫たちが、隣り合わせで共存しながら進化してきた。あるものは、生きた生物を食べ、あるものは死んだ生物あるいは落ち葉を食べて成長する。同じ場所で生きていくためには、競争することを避け、それぞれの住む場所を「棲み分け」ながら、その環境に適合するために外部形態を進化させてきたという。

 イワナは、他の魚が生息できない川の最上流に生息している。これも「棲み分け」の一種である。これは何も水中の中だけではない。例えば、苔は、一般の植物が利用していない場所、すなわち岩やブナの幹、風倒木といった他の生き物たちが利用していない場所に適合するように進化してきた。こうしたブナの森の「生物多様性」は、お互いに競争することを避け、棲み分けながら進化してきた結果であることが分かる。

 これを人間の社会に、当てはめると、ダーウィンの進化論は「弱肉強食の世界」であり、今西理論は「共生の世界」なのである。ここが、決定的に違う点である。

 「学問は人からではなく、自然から学べ」(今西錦司)
 「親と子のイワナ探検」は、「自然から学ぶ」最高ランクの学校である。ぜひ実践してみることをオススメしたい。

参 考 文 献
自然倶楽部1992年9月号「夏休み!親と子のイワナ探検」(菅原徳蔵記、関西廣済堂)

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