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和賀岳・朝日岳MAP、夜泣谷の怪物編、雲海の花園、岩魚止めの主、冠松次郎「岩魚のある風景」、山釣り・沢登りのパイオニアは誰か
▼喜左衛門長根・・・霧雨で視界がゼロだったが、突然、雲海のすき間から
和賀連山の雄姿が姿を現した・・・その幽玄な光景に疲れも吹っ飛ぶ

夏の山釣りは、高山の湿原で百花騒乱の花園を彷徨い、
ヤブをこいで達した遥かなる源流、冷たく清冽な流れに岩魚を追い、シャワーを全身に浴びて滝を攀じ、
源流に残る雪渓を通過し、深い廊下状のゴルジュを腰まで浸り、幽谷の岩魚止めの滝壺で感激を釣る
夜は、焚き火を囲み、山の幸を肴に酒を飲み、せせらぎの音を聞きながら眠りたい
▲和賀岳MAP
登山コース1・・・甘露水-ブナ台-滝倉水場-倉方-薬師岳-薬師平-小杉山-和賀岳
登山コース2・・・高下登山口-和賀川渡渉点-こけ平-和賀岳
登山コース3・・・入角沢-白岩岳-兎森-シャクジョウの森-小杉山-和賀岳

沢登りコース1・・・(高下登山口-和賀川渡渉点-和賀川下降-)和賀川支流大鷲倉沢-和賀岳
沢登りコース2・・・和賀川支流小鷲倉沢-小杉山・小鷲倉
沢登りコース3・・・八龍沢-和賀岳稜線-ヤブこぎ-和賀岳
沢登りコース4・・・袖川沢-キトノ沢−白岩岳
昨年、台風の影響で「天国と地獄」を味わった和賀山塊
中村会長曰く・・・ぜひ薬師岳コースを歩いてみたい
その願いをかなえるべく、再び3名のパーティを組み、和賀山塊の源流へと向かった
■原始の山・朝日岳MAP
沢登りコース1・・・堀内沢-マンダノ沢-天狗ノ沢(orタツマタノ沢)-朝日岳-部名垂沢
沢登りコース2・・・部名垂沢-朝日岳
沢登りコース3・・・生保内川-朝日岳-天狗ノ沢−マンダノ沢−堀内沢
沢登りコース4・・・生保内川-朝日岳-朝日沢−堀内沢
沢登りコース5・・・八龍沢支流豆蒔沢-和賀岳稜線-ヤブこぎ-(和賀岳)マンダノ沢-朝日岳
▼釣りキチ三平・・・夜泣谷の怪物編
釣りキチ三平実写版映画の原作「釣りキチ三平第3集 夜泣谷の怪物編」(矢口高雄、講談社)
の冒頭には、三平が深山幽谷の魚止めの滝で釣る美しい絵とともに次のように記されている

岩魚を求めて いくつの渕をさぐり
いくつの滝を遡行しただろう
「岩魚止めの滝だ!」
これ以上に 魚影はない
今日の釣行はこれまで 最後の一振りにかける期待と満足感
「出て来い 岩魚止めの主!!」

7月下旬から、釣りキチ三平のふるさと・秋田でロケが始まる
それを祝うかのように、「岩魚止めの主」が姿を現した
三平は、釣り上げた左膳岩魚を魚拓にとってからリリースするが、
我々は写真に撮ってから滝壺にかえした

▲ブナ林の登山道

▲滝倉沢渡渉点(750m)

▲標高1000m付近

滝倉避難小屋跡(800m)

▲「お薬師さん」の神社(1218m)
初日は断続的に小雨が降り続いていた
だから登山者はゼロ・・・誰とも出会わない登山道をひたすら歩く
重い荷を背負い九十九折の登山道を登っていると、全身から汗が噴出す
すぐに汗でメガネが曇り、歩くのに難渋する

倉方(990m)を越え稜線沿いを登ると、ほどなく視界は開けるはずだった
ところが、霧雨で濃いガスが山全体を覆い、視界はゼロ
ガスで何も見えない山を登るのは、楽しみが半減・・・殊の外つらい
標高差約850mを登り切り、やっと薬師岳(1218m)に辿り着く
▲薬師岳山頂(1218m)
登山道を利用する場合、登りは渓流足袋でも問題ないが
下りは滑って危険だ・・・ここで、渓流足袋にピンソールを装着する
登山道は石カラが多い・・・こうした登山道を下る場合は、衝撃の少ないピンソールミニが最適だった
▲霧雨に霞む風衝草原の花園をゆく
ニッコウキスゲはピークを過ぎたらしく、白のイブキトラノオがやたら目立った
期待していた仙北平野のパノラマは×・・・360度、濃いガスのみ
山の稜線での霧は、一般にガスと呼ぶ・・・それは視界が悪く、ルートを間違い易いからだろう
▲雲海の花園
いつもなら登山者でごった返す花園のはずだが、幸い無人境で静寂と神秘さは満点だった
まさに「秘境の花園」を彷徨っている感覚を味わう
ニッコウキスゲ、イブキトラノオ、タカネアオヤギソウ、ハクサンフウロ、クガイソウ、トウゲフキ、タテヤマウツボグサ・・・
霧雨に、しっとりと濡れたニッコウキスゲの花は一際美しい
視界が100%の稜線も楽しいが、雲海の花園もまた格別の美しさがある
こうした千変万化の美があるからこそ、何度訪れても飽きることはない
▲雲海が流れる花園に佇み、現在地を確認する
歩けばすぐに汗が噴出すほどだが、休むと急激に体感温度が下がり寒くなる
夏の稜線は、風が吹けば要注意だ
▲ハクサンフウロ(白山風露)
紅紫色の5弁花は大きく、百花騒乱の花園の中でも良くめだつ
霧雨にしっとりと濡れた花を眺めていると、「風露」という名に納得
▲タカネアオヤギソウ ▲シロバナハクサンシャジン ▲ヨツバヒヨドリ
▲クガイソウ ▲エゾノヨロイグサ ▲オニアザミ
▲オニシモツケ ▲ハナニガナ
▲ヤマブキショウマ ▲オトギリソウ ▲トウゲフキ
▲オオバキボウシ ▲イワベンケイ ▲ニッコウキスゲの実
▲タテヤマウツボグサ ▲ヤマルリトラノオ ▲ツバメオモト
▲センジュガンビ ▲エゾアジサイ ▲チシマザサ

小杉山(1229m)で昼食をとり、喜左衛門長根を下る・・・これまで視界はゼロだった
下ってほどなく、雲海のすき間から和賀山塊の尾根が姿を現す
しばし、その幽玄な風景に見惚れる
雲海は、視界を遮る邪魔者だが、時に幽玄な演出をしてくれる
小杉山から白岩岳コースの喜左衛門長根は、昨年、薮だらけの道だった
今年は、よく刈り払いされていて歩き易い・・・ありがたいことだ
しかし、白岩岳-シャクジョウの森-小杉山コースを歩く人は稀である
静かな登山を楽しみたい方におススメのコースと言えるだろう
長かった登山道に別れを告げ、ブナが林立する薮の尾根に突入する
山釣りは、登山道を利用しないのが一般的で、薮こぎはごく当たり前のコース
▲倒木に生えていたウスヒラタケを採取
ヤブごぎとは言え、時にこんな恵みに出くわすこともある
登山道を歩いているだけでは、決して手にすることのできない山の幸

昨年、赤い目印をつけた下降地点から一気に堀内沢へ下る
亀のようにノロイ山旅とは言え、堀内沢源流まで9時間・・・やはり遠い
それにしても、74歳の中村会長のタフさには驚く・・・まさにスーパー爺さんだ
▲二日目・・・74歳の中村翁は、竿を持てば「釣りキチ三平」と化す

夜泣谷で炭焼きをしている銀次は、三平に向かって語る
「この夜泣谷は、岩魚にとっちゃ、やたらと食い物が豊富なところじゃから・・・
それに・・・こんただ山奥のことじゃから、もしかして一生人間の目にもふれねえで
そだった岩魚の中にゃ、怪物みてえに、でかくなったヤツがいても不思議じゃあるめえ」
▲岩魚・・・釣りキチ三平の解説には、
習性・・・わが国でもっとも標高の高い渓流にすむ魚で
つめたい清流をこのみ、直射日光をきらう性質がある
そのため、昼でも暗いほどの谷川の滝つぼや淵、大石のかげなどに生息する

食性・・・おそらく口にすることのできる生物ならば
何でも食べてしまうほど貪欲に悪食する
水陸の昆虫をはじめ、小魚のほか、ヘビや野ネズミさえ
食べることがあるくせ、とても警戒心がつよい
上の個体は、側線より下に鮮やかな橙色の斑点を持つニッコウイワナ
「釣りキチ三平」の解説には「腹−白っぽい灰色」とあるが、
源流に居ついている岩魚の腹は、濃い柿色に染まっているのが普通である
▼氷河期の遺存種・トワダカワゲラ
全体的に鎧を被ったような原始的な姿をしているカワゲラの一種
この川虫が生息している谷は、原生的自然が残っている証でもある
漫画の世界とは言え、「怪物が棲む夜泣谷」とこの源流のイメージは重なっているものを感じる

▲右岸草付けの高巻き

▲源流部に残る雪渓
▲源流を点で釣る ▲スベリ台 ▲ナメ滝の釜を釣る
▲大物の気配
魚止めの滝近くになると、一度バラした岩魚でも再度エサを追う
これは、無垢な岩魚の証・・・だから大きな壷に出会えば、大物の気配がヒシヒシ伝わってくる

ある小滝の壷・・・壷は意外に深い
アタリは小さいが、すぐに竿が弓なりに・・・これは大物特有のアタリだ
一気に手前に引き寄せたが、渓に張り出した枝が邪魔で容易に取り込めない
岸辺で岩魚がバウンドを繰り返す・・・

そのうち弱るだろうと、安易に傍観していると、岩魚は見事に針を外して滝壺に消えていった
写真だけでも撮りたかったが・・・残念、無念
▲夏の渓を象徴する風景・・・ナメにきらめくさざ波
夏の登山道は、蒸さ苦しく、水を背中に背負わなければならない
沢には道などないが、清冽な水が尽きることなく流れる天国の散歩道だ
水の美と渓谷美を鑑賞しながら、原始性に富む源流を歩けば、清涼感、爽快感を味わうことができる
さらに岩魚や山菜、きのこ、水、流木など、野営に必要な副産物も得ることができる
▲ひたすら魚止めの滝をめざす
ゴーロの階段、滝の高巻き、狭い廊下状のゴルジュを腰まで水に浸りながら遡行し
やっと魚止めの滝に辿り着く

右の写真は、喜左衛門長根からズーム撮影した岩魚止めの滝
果たして岩魚止めの主は釣れるだろうか・・・
▲魚止めの主が掛かった瞬間を撮る
エサを振り込んだと同時に、金光氏の竿は弓なりに・・・
大物は、一口でエサを食い、その場からほとんど動かない・・・だから引きは意外と小さい
しかし、竿を握る手にズシリと重い手ごたえが走る・・・その瞬間、感激が全身を貫く

私は、「ちょっと待って!」と叫び、慌ててカメラを構えてシャッターを押す
大岩魚が抵抗すると、竿がのされそうになる
慌てず、逆らわず・・・竿の根元を両手でしっかり持ち、両足を開いて踏ん張る

糸と竿が悲鳴を上げる・・・のされそうになったら、岩魚の動く方向へ移動する
釣り上げるコツは・・・とにかく「慌てず、逆らわず」が基本
隙を見て大岩魚を水面に出し、何度も空気を吸わせて弱らせる

岩魚釣りでよく使うゴボウ抜きは、糸が切れるか竿が折れるのは自明のこと
大岩魚が弱った頃合いを見計らい、一気に下流又は岸辺へと引き釣り込む
仲間がいれば、川虫採り用の網ですくい上げてもらうのがベスト
▲岩魚止めの主
昨年、釣り上げた主は、尾ビレがボロボロに裂け、退化していた高齢魚だった
今回は、丸々と太った見事な魚体・・・
鼻曲がりの精悍な面構えは、岩魚止めの主にふさわしい

斑点は不鮮明だが、側線前後に薄い橙色の着色斑点を持つニッコウイワナだった
また、腹部は柿色に染まり、居着きの大岩魚の特徴をよく示している
顔が浅黒いのは、暗い滝壺の奥深くに潜んでいるからに違いない
渓のパイオニア・冠松次郎は、「岩魚のある風景」で秀逸な一文を記している

岩魚は化けるという
それはよく知らないが、とにかく、同じ谷の魚、急流に棲む魚でも、
鮎やヤマメなどに比べると、この魚は遥かに凄いめつきをしている

激流と闘い、獲物を追って飛びつく、その習性が、自然と顔付きにまで現れ、
人間なら一癖ありそうだと云うようなものにしてしまったのだろう
随分感覚の鋭い魚だ

人のあまり入らない谷だから、魚が馬鹿だろうと思っていると、
それは大間違いで、人の影が少しでもさせば決して出てこない
渕の中に見えていても、毛鉤に飛びついて来ない

釣り上げたやつを、うっかり川近い石の間などにおくと、水の響く方へ
ピョンピョン跳ねて行って、いつの間にか水の中に潜ってしまう
よく岩魚は蛇をとると言う
大きなやつになると小さな蛇が岸辺近くにいる処を、
その尾を咥えて流れの中にひきずり込む位なことはするだろう

普通は水面を流れてくる虫などをとって喰う、
時には水面近くを飛んでいる羽虫を、激流の中からはね上がって喰らいつく
その俊敏な様は小気味良い位だ・・・

黒部と云えば遠山品右衛門を思い起こす、それはもう30年も前のことである・・・
彼は「平」を中心に上流は東沢、下流は御山谷、御前谷附近まで魚釣りに入った
今日より遥かに原始的であった大渓谷の中に、夏から秋への幾月かを、悠々として谷の生活をしていた彼
品右衛門を思うと、何となく羨望に堪えない・・・

黒部の主である品右衛門は、穂高の仙人と云われるる、神河内の上条嘉門治と共に、
岩魚を中心としても考えられる男だ
品右衛門が魚釣りだけで谷の日を送っていたのに比べて、嘉門治は神河内を中心とした
山の開拓者でもあり、名案内者であった・・・

宮川池畔に居を構えていた彼は、岩魚を捕って楽な、自適な生活をしていた
池の魚をカスミで捕り、流れの魚を釣って一日平均34円位の収入を得ていた・・・
何時も先を行く彼は、荷と共に釣竿を担いで行くことを忘れなかった・・・
岩魚のいそうな処へ行くと一本立てる、その合間に彼は魚釣りをした・・・

まだ鉱夫も入っていず、蓮華小屋、鳥帽子小屋などもなかった時分だ
この魚釣りが、この附近に最初に営業小屋を建てた鳥帽子小屋の上条文市であったことは後に分かった
・・・処によって随分大きな奴を見ることがある

目の下尺5寸を越ゆる者を見ると、気味が悪いようだ・・・
南の遠山川の西沢渡でとったのは二尺位あった
しかし、それは大味でまずかった
尺か尺二寸位のものが一番美味のようだ
・・・

晩春、初夏の谷々に残雪が多い時分には、朝晩冷たいので日中でないと姿を見せない
何しても夏が一番シュンで、秋になると卵を産みに枝沢へと上って行く
産卵がすむと味は著しく落ちる

山に新雪が下り、谷の紅葉が濃くなる頃になると、渕や静流の底にじっとして動こうとしない
その頃になると、もう鉤にかからないからヤスで突いてとるのである(昭和12年6月)
大岩魚は不味い・・・だから迷うことなくリリースするのが懸命な選択
右の写真は、放流した岩魚が倒木の下に隠れて体力の回復を図っているところ
のんびり昼食をとった後、中村会長が元気になった大岩魚を優しく抱きかかえ滝壺へかえす
▲釣り過ぎた岩魚は放流
釣り上げた岩魚は、全て生かしたまま網袋に入れていた
気がつけば、今晩のオカズを遥かに越えていた・・・山魚は1人、2〜3尾もあれば十分だ
生簀をつくり、岩魚の回復を待って中村会長が放流する・・・持続的な山釣りを祈って
▲今晩の食材は、岩魚8匹・・・刺身用3匹、塩焼き2匹、翌日の昼用の塩焼き3匹
9寸前後の岩魚3匹の皮を剥ぎ、3枚におろして刺身をつくる
赤味を帯びた天然岩魚の刺身は、コリコリ感が素晴らしくハードな山釣りに欠かせない一品
左上:5尾の岩魚は、小枝で作った串に刺し、遠火でじっくり燻す
上中:刺身を作った後のアラ
右上:頭と骨は、頭を下にして焚き火の真上に吊るし燻製に・・・骨酒や味噌汁の出汁に使う
下:刺身で残った皮と腹骨は唐揚げにする
昨日、焚き火で燻した頭と骨は、ウスヒラタケとミズの味噌汁に入れる・・・燻製の香りが滲みこみ絶品

▽山釣り・沢登りのパイオニアは誰か

沢登りは、大正から昭和初期に活躍した渓の先人、冠松次郎と田部重治に始まるとされる
源流の岩魚を追う山釣りは、さらに遅く昭和30年代から
しかし、越後塩沢の文人・鈴木牧之(1770−1842)の秋山紀行を読めば

秋田の旅マタギが魚野川沿いに幾つもの小屋をかけ、何ヶ月も沢に泊り
狩猟と山漁を繰り返しては、沢を詰め、草津の湯治場で換金するという生業を続けていた
その距離、何と十三里にも及ぶ
また、明治期から始まった登山や渓の先人たちは、
いずれも山を熟知していた職漁師や狩人を案内役としていた

昔のマタギや職漁師は、登山を目的としたものではなく、生業として入っていたというだけで
沢登りのルーツから除外している・・・これはおかしさな論法だと思う
生業として暮らした山のフィールドを考えれば、山と渓谷に生きる技術、経験、知識は、凄いといわざるを得ない

まして何ヶ月も山にこもるとなれば、山を楽しむ心がなければ続かない
沢登りの神様・冠松次郎は、「品右衛門を思うと、何となく羨望に堪えない」と言っている
「彼は山好の人の為にそれ(山漁)を犠牲にしてまで山案内をした。勿論山が好きだからでもあった」
・・・これこそ生業で得た山の楽しさ、沢の楽しさを趣味人たちへ伝えようとする行為ではないか

だから、江戸時代の後半から活躍した旅マタギやその影響を強く受けた職漁師(明治〜昭和20年代)たちは、
記録こそ残さなかったものの、沢登り、山釣りのパイオニアだったと、認識を改めるべきではないかと思う
少なくとも山釣りの元祖であることは疑う余地がない
朝5時過ぎに起床・・・今日は、和賀岳に登る予定だったが・・・
チャーハンを食べてから、テン場を素早く撤収、8時に出発する
朝から蒸せかえるような暑さ・・・屹立する薮の斜面は無風で、だまっていても汗が滴り落ちるほど
その汗に無数の虫がまとわりつく・・・だから、夏の薮こぎほどつらいものはない
小杉山近くになると視界は開けるものの、またもやガスがかかって眺望はすこぶる悪い
4時間ほどかかって標高約700mの沢底から1229mの小杉山に辿り着く
山頂は、和賀岳から帰ってくる団体や薬師岳からやってきた団体でごったがえす
聞けば「和賀岳は視界が悪く何も見えなかった・・・けれども花は最高だった」とのこと

二日間、誰とも出会わなかっただけに、久しぶりに人に会うと、なぜかホッとする
それにしても、ほとんどが中高年・・・その数の多さに驚かされた
恐らく車止めは満杯・・・今日一日だけで登山者は100人を優に超えているだろう

これだけの登山者が訪れるにもかかわらず、なぜか若い人は皆無だった
人間、年をとらなければ、自然回帰の遺伝子が騒がないのだろうか
また、白岩岳コースに行く人が誰もいないというのも不可解に思う

山頂でお湯を沸かし、塩焼き岩魚と熱いコーヒーでのんびり昼食をとる
▲稜線に舞う赤トンボ ▲小杉山から薬師平へ
▲薬師平(1180m)・・・左手の窪地には小さな沼がある ▲テント跡

犬を連れた夫婦は、和賀岳に向かうべきかどうか迷っていた
しかし二度と来れないからと、意を決して和賀岳に向かった
視界が悪ければ、わざわざ和賀岳に登る意味はない・・・我々は、いつでも来れると、あっさり断念した
倉方で休んでいると、登山者とは明らかに異なる二人の沢登りパーティに出会う
彼らは、和賀川支流の大鷲倉沢を詰め和賀岳に登ってきたという
高下コースで入ると、和賀川渡渉点下流のゴルジュは意外に手強い

624mの出合からすぐに沢は二つに分かれる
左は小杉山に突き上げる小鷲倉沢、右が和賀岳に突き上げる大鷲倉沢
いずれも遡行価値の高い沢と言われている

夏の沢登りは楽しいが、滝を高巻き、淵を泳ぎ、ヤブをこいで達した山頂が
こうも視界が悪ければ、感激も半減するだろう
しかし、登山者と違って、ガスの有無にかかわらず、夏の沢の醍醐味は十分楽しめる
今回の山釣りは、登山と沢遊びを兼ねたが、沢遊びに限れば満点だった
参 考 文 献
「峰と渓」(冠松次郎著、河出書房新社)
「釣りキチ三平第3集 夜泣谷の怪物編」(矢口高雄、講談社)
「日本登山体系1 北海道・東北の山」(白水社)

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