天国と地獄1 天国と地獄2 山釣り紀行TOP


喜左衛門長根、錫杖の森と山伏、大岩魚「深仙魚」、岩魚料理、夏台風と遭難事故、台風4号接近:地獄編
▼小杉山から堀内沢源流へ・・・正面左奥に聳える山が白岩岳(1177m)

真木渓谷(左)と堀内渓谷(右)の分水尾根に続く道は、喜左衛門長根と呼ばれている
いずれの谷も仙北マタギの狩場だった
和賀山塊の中でも、奥が深く険しい堀内の狩場は、豊岡・白岩マタギの猟場だった
▼錫杖(シャクジョウ)の森・・・かつて山伏修験者の道だったのだろうか
袖川沢と掘内・オイの沢を分かつ最低鞍部は、「錫杖の森」と呼ばれている
尾根は両サイドに鋭く切れ落ち、クマも寄り付かない険谷・・・錫杖とは山伏が鳴らす楽器のようなもの

山伏は、錫杖を胸につけ音を鳴らしながら山を歩いたのではないか・・・
また法螺(ほら)の音は、全ての動物を従わせる獅子の声と言われる
つまり、錫杖はクマ避け鈴、法螺は獣に対して自分の存在を知らせる笛のような役割をしたのではないか
山伏だって山の獣は恐い・・・その難を逃れる道具として使ったと考えるのが妥当なように思う
▼奥に聳えるピークの山は、羽後朝日岳(1376m)
一般的な登山道はなく、原始の山・羽後朝日岳は、数少ない秘境の山でもある
特に堀内沢マンダノ沢コースや生保内川コースは、沢登りの全国区になっている
▼和賀山塊は、山の神の領域
小杉山からちょっと下れば、和賀山塊の中でも最も奥が深い堀内沢を俯瞰できる
刺巻・生保内平野から田沢湖まで遠望できる絶景のポイント

神聖な山から里を眺めれば、山は、里に水をもたらす水源であり、
森に蓄えた地下水は川となって田畑を潤していることが分かる
山神信仰は、山そのものがもつ人智を超えた力への畏敬の念にほかならない

だからこそ、山伏修験道の師は、山であり自然だった
この山塊を狩場とするマタギの世界では、里言葉を禁じるなど様々なタブーがあった
それはこの山塊が山の神の領域であったからだ
▼八滝沢源流部と和賀岳を望む
右のピークが和賀岳、その左斜めの谷が八滝沢・・・急峻な谷であることが一目瞭然
八滝沢の隣は、支流豆蒔沢、その沢とマンダノ沢を分かつ尾根は通称「南部ツル」と呼ばれている
その和賀川と堀内沢の鞍部は、治作峠と呼ばれ、かつて沢内マタギが堀内沢に通ったルートだ
マタギにとっても手強い谷だったらしく、山の神の使いとして恐れられた巨大グマ伝説が数多く残っている
▼この谷底にテン場を構え、2泊する予定
S字状に曲がりくねった八滝沢は、別名「八龍沢」とも呼ぶ
特に豆蒔沢下流部は、滝が連続し両岸は険しい・・・
蛇行する流れが「八つの龍」に見えたとしても不思議はない険谷だ
▼ブナの実
昨年は凶作だったが、今年は平年作以上のようだ。クマもさぞかし喜んでいることだろう。
▼薮と化した登山道
展望の良い所までは、きれいに刈り払われていたが、
やがて道は薮に埋もれていた・・・このルートを辿る登山者は要注意だ
▼985m分岐点
ブナが林立する穏かな場所に出る
登山道から外れた尾根は、草木に埋もれて容易に見つからない
ブナのナタ目を見つけ、尾根かどうかをしばし確認する・・・間違いなさそうだ
▼マタギらが通った旧登山ルート
深い薮をかき分け進むと、ブナの幹に「昭和29年5月、刺巻」のナタ目を見つける
さらにオイの沢・マタギ小屋に下る尾根には「昭和3年 登山記念 七人組」の刻印がある
かつては、ナタで刈り払い、人がこの道を通っていたに違いない

その道がいつまでも残っていくためには、人が絶えず通り続けなければならない
しかし、その道を通らなくなれば、自然と人間と文化の道も草木に埋もれ消えていく・・・残念なことだ
▼オイの沢と八滝沢の分水嶺から沢へ
薮が生い茂る急斜面を転がり落ちるように下って、やっと沢に辿り着く
両岸が切り立つ沢は、テン場適地が少ない・・・昨年のテン場跡まで下る
テントを設営していると、陽は早くも傾き始めた
仲間二人は薪調達・・・私は、今晩のオカズ調達に出掛ける
▼生命の源・美しき水
登山ルートを歩いている時は、常に水を背中に背負っていなければならない
沢を歩いている者にとって、この美しき水は天国だ
一旦、沢に下りれば、冷たい水も焚き木用の流木・風倒木も、山の野菜も売るほどある・・・ありがたいことだ
▼今晩のオカズ「山魚」
夕闇迫る時に竿を出すとなれば、釣りを楽しむ余裕はない
山にこもれば、仲間が食べる分も確実に釣るプレッシャーがのしかかる

1人2尾・・・3人分で6尾をキープしたところで竿を納める
疲れた体に熱燗は超特急で駆け巡り、早々と寝袋の中に潜り込む
二日目・・・八滝沢源流探索
寝床の凹凸が激しく、朝4時に眼が覚めた
谷の音を聞きながら、しばし朝一番のコーヒーを飲む・・・幸い、今日も天気は良さそうだ
夏の渓流をスローシャッターで撮るには、谷に光が射し込まない早朝しかない
三脚にデジカメをセットし、聖なる水の撮影に出掛ける
▼聖なる水・・・苔岩滝
滝の飛沫を浴びる岩には、分厚い苔とダイモンジソウがびっしり生えている
左の岩場には、シロバナニガナの白やハナニガナの黄色の花が彩りを添え美しい
▼水の神・・・龍神様
昔から滝壺には、水の神の象徴である龍神が住むと信じられてきた
水神は、飲料水、かんがい用水などをつかさどる神のこと
水は生活に欠くことのできない命の源であり、特に農村では水田稲作のために水神に対する信仰が深かった。

水神は水のある場所によって、川の神、泉の神、滝の神、池の神、井戸神などの名で信仰されてきた。
民間伝承では、水神を龍とする例が多い。
八龍沢の名は、こうした滝を水神の滝として敬う水神信仰から生まれた名称であろう。
▼岩魚のエサは現地採取
険しいゴルジュ帯や滝が連続するゴーロ帯は、川虫採取に不適
流れが比較的穏かなザラ瀬、河原が採取し易い
岩魚のエサとしては、大きな川虫ほど食いがよい・・・そうした川虫は、岸ではなく流れの瀬に多い

狙った石の下流に折りたたみ式の網をセットし、石をひっくり返すだけ・・・実に簡単!
この沢では、カワゲラ(オニチョロ)とサンショウウオがやたら網に入った
エサ箱には、鮮度を保つために、濡れた苔や落葉を敷く
▼深山幽谷の岩魚釣り
谷の両岸は、深い渓畦林に覆われ、苔生す岩が流れに点在している・・・これが岩魚谷の特徴
岩魚は、渓畦林から落下する昆虫や渓を飛び交う虫などを狙って、常に上流を向いている
特に夏ともなれば、底ではなく、水面上を流れるエサに集中している
ともあれ、人跡稀な幽谷では、岩魚に気付かれないようにアプローチできれば簡単に釣れる
▼八滝沢の岩魚
この沢の岩魚は、側線より下に鮮やかな橙色の斑点を持つニッコウイワナがほとんど
斑点も大きく鮮明、頭部〜背中の斑紋は、若干虫食い状に乱れている個体が多い
腹部は、鮮やかな柿色に染まっている・・・これは、閉ざされた幽谷に棲む岩魚の特徴
幽谷の岩魚は、生きた川虫のエサを見ればいとも簡単に食らいつく
喉の奥まで飲まれないためには、できるだけ早めにアワセルのがコツ
▼極上のアキタフキが群生する渓をゆく
▼生きていた倒木の枝先にブナの実が・・・
▼天然の名水を飲む
暑い夏・・・沢を歩けば、いつでも冷たい水を飲むことができる
特にフキユキノシタが群生している湧水は美味い
▼この滝は右岸を巻く・・・夏の渇水期は直登できるが、少々水量が多かった
▼滝上から下流を望む
▼次第に谷は狭くなり、ゴルジュ帯となる
こうした場所は、人間だけでなく岩魚も嫌いな場所だ
粘らず、さっさっと竿を畳んでゴルジュ帯を飛ばした方が懸命だ
▼頭だけがでかく、痩せた岩魚
尺近いサイズの割には、引きが弱かった
良く見ると、顔はでかく精悍な面構えをしているが、魚体は痩せている
他の岩魚は、丸々太っている・・・ということは、エサ不足とは考え難い

こうしたサンマのような岩魚は、片目が潰れていたり、何らかのハンディを持つ岩魚で
いつもエサの奪い合いに負けている岩魚であるように思う
いずれ食べても美味しくないので、流れに返すのがベストの選択
▼斑点が細かく、全身を星屑のように彩っている・・・姿、形の美しい岩魚だ
▼フキユキノシタ(食用)の大群落
急傾斜の岸壁一面を埋め尽くすように群生しているフキユキノシタ
斜面上部の森が蓄えた地下水が、渇水でも枯れることなく滴り落ちている

その名のとおり、葉がフキに似ており、いかにも美味しそうに見える・・・調べるとやっぱり食用種
若い葉と茎は、水分に富んで美味しいらしい
葉柄は茹でてから、水にさらし、おひたしや和え物に、若い葉は生のまま天ぷらに
▼黒くサビついた岩魚
落差5mほどのナメ滝・・・その滝壺は意外に深い
岩魚が隠れる岩のエグレも広く深い絶好のポイント・・・しかし、流木や枝がやたら突き刺さって振り込めない

やむなく川虫をチョン掛けにして、水面を躍らせる・・・これなら沈んでいる枝に引っ掛けることもない
ほどなく、狙った岩穴から大岩魚がスーッと浮上してきた
ところが、私の姿に気付いたらしく、すぐに反転して暗い岩穴に隠れてしまった・・・残念!

上の岩魚は、同じ滝壺で粘って釣り上げた一尾
いつも暗い岩穴に隠れているのか、顔が黒くサビついていた
▼昼食用・岩魚の刺身
広々としたナメの岩盤に、大きなフキの葉を裏返しにして食器代わりに使う
昼飯用の刺身を盛り付け、醤油をつけていただく・・・さすがにコリコリ感があって最高に美味い
昨日、焚き火で燻製にした岩魚もまたすこぶる美味い
言うまでもなく、山魚は、山で食べてこそ最高に美味い・・・山の命の循環・恵みに感謝!感謝!
幽谷の主・・・山の神の領域に棲む「深仙魚」
▼魚止めの主・・・「深仙魚」を釣る
いよいよ魚止めの滝に達する・・・採取した川虫の残りは、小さなカワゲラ2匹のみ
8号のイワナ針に、2匹のカワゲラをチョン掛けにする
魚止めの滝壺は、長谷川副会長に譲るつもりで、その下流のさもない岩盤の壷にエサを振り込む

振り込んだと同時に目印がピタリと止まった・・・
エサに食いつくと、むやみやたらに動かない・・・なのに竿は弓なりになっている
これは大物独特のアタリだ

すかさずアワセ、騙し戦法をとる・・・大物を確実に釣り上げるには、決して無理をしないこと
頃合いを見計らって、水面に顔を出させては、数回空気を吸わせる
やや弱ったところで、一気に水面を引き釣り込むように取り込む

幽谷の主にふさわしく、鼻は曲がり鋭い歯を持つオスの大岩魚だ
大きな口と鋭い歯は、カエルやサンショウウオ、蛇などを丸呑みにする「渓の狩人」そのもの
深山幽谷に棲む仙人のような魚・・・だから「深仙魚」とでも命名したい
▼魚止めの滝壷では・・・
副会長が苦笑いしながら竿を畳んでいる
聞けば、大物を強引に引き抜こうとしたら、ハリスを切られたらしい
大岩魚の歯形は鋭い・・・常に糸を張り続けていれば、岩魚は体をくねらせハリスを簡単に切る
そんな危険がある場合は、竿を一旦送り込み、道糸・ハリスを緩める操作が必要だと思う
ただし、ハリスが弱っていれば、どんなことをしても簡単に切られるので要注意!
▼「深仙魚」撮影会
ダム湖などで育つ岩魚は、成長のスピードが早い
それに対して源流の魚止めに棲む大岩魚は、環境条件が厳しく成長のスピードが格段に遅い
この幽谷の主は、相当の年齢を重ねていることは確かだ
▼高齢岩魚の証・・・尾ビレは、ボロボロに裂け、退化している
尾ヒレ全体が太い朱線に彩られ、岩魚の皮に若干シワも見られる

一般に満1歳で10〜13cm、満2歳で15〜18cm、満3歳で25cm前後
尺以上の岩魚は、満4歳以上・・・ということは、山釣りの対象魚は満3歳以上であることが分かる

厳しい環境に生息する源流岩魚の場合、40cm前後に成長する確率は、限りなくゼロに近い
だから、下流域と隔絶された幽谷に限定すれば、大岩魚を釣る確率は限りなくゼロに近いと言えるだろう
岩魚は、稀に10年以上生きると言われるが、真偽のほどは定かでない
斑点は不鮮明だが、側線前後に橙色の斑点をもつニッコウイワナ系であることが分かる
全身が薄黄橙色を帯びた幽谷の美魚・・・腹部は鮮やかな柿色に染まっている
これは、源流部に陸封された岩魚の特徴をよく示している
▼撮影後、滝壺に返す
長谷川副会長に放流を任せ、私はビデオモードで再放流シーンを撮影
岩魚は撮影のモデルで疲れていたらしく、ナメの岩盤は上れそうもなかった
やむなく、川虫採り用の網に入れ、そっと滝壺へ放す
大岩魚は、何事もなかったかのように深い滝壺の奥に消えていった
▼夏の幽谷を彩るハナニガナ(キク科)
黄色の舌状花が8〜11個と多いのが特徴
里に咲くニガナは5〜7個と少ない

また同じく白色の小花を8〜11個咲かせるキク科の植物はシロバナニガナ
この谷には、沢沿いの岩盤に二種が混生して場所もあった
一見、シロバナニガナは、ハナニガナの突然変異かと思うほど、花の形、葉の形がそっくり

山の神の授かり物・・・畏敬と感謝を込めた岩魚料理
▼山の神の領域で釣り上げた岩魚は、「山の神様の授かり物」
だから、山の恵みに感謝し、できるだけ美味しくいただくのが礼儀
釣った岩魚は、編み袋に入れて生かしたまま持ち歩く

釣りが終われば、急所の頭を叩き一気に野ジメにする(ジワジワと殺せば味が格段に落ちるので注意)
そのまま、あるいは腹を割き、血合いをきれいにとってから新聞紙に包み、ビニール袋にくるんで背中に担げば完璧だ
テン場を流れる清流は、これ以上ない台所兼調理場
まな板、ナイフ、皿数枚を用意し、岩魚を一つ一つ大事に調理する
▼岩魚の首にナイフで切れ目を入れ、皮を歯で咥えて一気に剥ぎ取る。皮の内側には、パーマークが残っているらしく、皮を剥ぐと身にパーマークがくっきりと浮かび上がる。 ▼岩魚を三枚におろす。次に腹部の小骨をそぎとり、適当な長さに切る。美味しい刺身をつくるコツは、水を一切使わないこと。
▼岩魚の刺身完成品・・・源流では、蓋付きのアルミ食器が刺身用の容器に最適。蓋がないと、せっかくの刺身が雨に濡れると、味が極端に落ちるからだ。 ▼三枚におろした頭と骨・・・焚き火の上にヒモで吊るして燻製に。吊るす場合、尻尾を上、頭が下になるように吊るすのがコツ。
▼岩魚のアラは、唐揚げにするのが定番料理
▼ちょっと変わった風味の岩魚汁
昨夜、焚き火で燻した頭と骨をベースに、輪切りにした岩魚を加える
焚き火の香りが味噌汁に沁みだし、すこぶる美味い
沸騰させると、アクが出るので、アクを取り除く
だしの素とミズ(ウワバミソウ)と味噌を加えれば出来上がり・・・極めて簡単かつ美味
燻製の風味と岩魚の脂肪分、山の野菜・ミズが絶妙にからみ最高の味となる
▼源流酒場
山魚料理が終わると、濡れた衣服を着替える
山の神様に感謝しつつ、燃え盛る焚き火を囲み、熱燗で乾杯・・・これはいつもの儀式だ
心地良い瀬音を聞きながら、ミズの塩昆布漬け、岩魚の刺身、空揚げ、味噌汁をツマミに飲み語らう
台風4号が接近していることをすっかり忘れ、至福の時間だけが流れる
▼最後の仕上げは、やっぱりご飯
今回のパーティは3名と少ないため、飯炊き(1合/1人)は久しぶりに4合炊きの飯盒を使う
牛丼を熱湯で温め、ご飯にかけて平らげる
残ったご飯は、明日の昼食用に蓋付きのアルミ容器に詰める
明日は、丸一日歩かねばならない・・・朝4時起床を目標に早めに眠る
三日目、台風4号接近・・・地獄編
◆夏台風と遭難事故の教訓・・・2002年7月、トムラウシ山
台風6号が北海道に接近している最中、愛知県の女性4人のパーティが7月11日の早朝、
ヒサゴ避難小屋を出てトムラウシ温泉へ下山・・・トムラウシ山を過ぎたところで
リーダ格の女性(59歳)が激しい風雨に叩かれ、転倒、動けなくなった。

同じ頃、福岡県の山岳ガイドが主催するガイド登山の一行8人が、トムラウシ温泉から
ヒサゴ沼避難小屋へと向かう逆コースを辿っていた。
8人は稜線上で女性4人のパーティとすれ違ったが、その後間もなく参加者の一人である
女性(58歳)が同様に行動不能に陥ってしまった。

ガイドが付き添い、他の人はヒサゴ沼避難小屋へと向かった。
しかし、その夜のビバーク中に、二人とも力尽きて死亡。
死因・・・女性(59歳)は低体温による脳梗塞、女性(58歳)は凍死

◆体感温度
山での大敵は強風と体の濡れ
風は、風速1mごとに体感温度が約1度下がる
盛夏の山で気温が10度で風速10m以上なら体感温度は氷点下になる
発汗と雨による体の濡れは、さらに激しく体感温度を下げる

夏台風の恐さは、暴風雨と体の濡れによる急激な体感温度の低下にあることが分かる
さらに、山で唯一の情報源であるラジオを持っていなかったことが指摘されている
三日目の朝、焚き火の煙がクルクルと変化・・・
風が一定方向に吹けば問題がないが、コロコロ変わるのは天気が悪化している証拠
谷を吹き抜ける風も次第に強くなり、見上げれば、濃いガスが稜線を走り始めた
急いでテン場を綺麗に片付け、パッキングが済むと小粒の雨が降り出してきた
八滝沢の谷底からオイの沢の分水尾根まで標高差約200mの急斜面を上る
分水尾根に達すると、ブナの森は強風で右に左に一斉に揺れ始めた
強風で稜線歩きが無理なら、マタギ小屋まで下がり、堀内沢を下降するのが最も安全なルートだ
この時、台風が接近しているとは思わず、低気圧程度の風と勘違いしていた
だから当初来た道を辿ることに・・・

▼2007年台風4号、三連休を直撃・・・死者3名、行方不明2名、負傷72名・・・
7月台風としては、最強の台風が列島を駆け抜けた
7月14日14時、鹿児島県大隈半島に上陸、最大瞬間風速56mを記録

7月15日午前、浜松市の南南西の海上を東北東に進み、東海地方の沿岸と伊豆諸島の一部が暴風域に
正午ごろには房総半島付近に進み、午後から関東地方の沿岸部が暴風域に入る見通し
東北地方は明日にかけても大雨が予想され、気象庁は引き続き警戒を呼びかけている
(写真は初日に撮影したものなので注意)
雨風が強くカメラはザックの中にしまったまま・・・一度も出すことなく歩く
ブナの森に覆われた分水尾根は、風を遮り快適に進む
喜左衛門長根の登山道から小杉山に向かって上り、森林限界に飛び出すと風の強さは尋常ではない
時々、吹き上げる風に体が横に振られる・・・濃いガスが一面を覆い見晴らしはすこぶる悪い
▼小杉山の低木林の中で休憩・・・ここから薬師平まで地獄の暴風雨に見舞われる
風は岩手・和賀川の方向から吹いていた・・・悪いことに稜線は風を遮る低木林は皆無
しかも小杉山から薬師平までの道は、風をまともに浴びる岩手側ルートを通っている

吹き上げる暴風雨、濃いガスが流れ先が見えない
時々突風が襲い、右に体ごと振られる・・・立っていられないほど凄まじい・・・
山に伏し、納まるのを待つ・・・今度は、先頭をゆく副会長のザックカバーが外れ飛ばされそうになる

またも山に伏し、ザックカバーを直す・・・
立ち上がって歩けば、ザック周辺が風に煽られバタバタと凄まじい音を立てる
横殴りの暴風雨に加え、雨と濃霧が視界を遮り遅々として進まない
体ごともっていかれそうな突風・・・山に伏す・・・這うように前進を繰り返す
一人なら冷静な判断を失い遭難しかねない悪天候だった
幸い、3人は、会発足以来20数年、寝食を共にしてきた仲間だ

薬師平までの約1km・・・命カラガラ辿り着き、座って風が弱まるのを待つ
風は止むどころか、ますます強くなる・・・風は唸り声を発して稜線を駆け回る
濃霧が山全体を覆い、一寸先は闇状態と化す

このまま進むのはやばい・・・進むことも戻ることもできなくなった
午前11時過ぎ・・・薬師平から少し戻り、低木林の中で様子を見ることにする

▼当時の台風情報によれば
台風4号の影響で、15日午前11時25分ごろから約30分間と、
午後2時5分から約1時間の計2回、仙北市田沢湖のJR志度内信号場の風速計が
規制値(秒速20メートル)を超えたため、徐行運転に切り替え、東京発秋田行きの「こまち7号」など
秋田新幹線の下り3本がいずれも約40分遅れた。

・・・台風4号の接近による強風の影響で15日、県内の交通機関も遅れが相次ぎ、
乗客約1100人に影響が出た。
我々は、幸いにも風速20m/sを超えた午前11時30分〜12時まで、低木林に避難していた

▼秒速1mで体感温度は1度下がる
気温が15度だとしても、風速20mを超えると体感温度はマイナス5度に
内から汗、外から雨で濡れた体が、さらに追い討ちをかける
寒さと震えが止まらなくなった・・・しかも手がかじかんで感覚がなくなるほど寒い

全員、背中から上着を取り出し着込む・・・上3枚の写真は、その際、震えながら撮影した写真だ
手がかじかみ、シャッターを押すのがやっとだった
台風が接近しているとなれば、この低木林にビバーグすることも覚悟しなければならないと心底思った

副会長がラジオを取り出す・・・12時頃になれば天気予報があるはずだ
12時直前・・・台風情報が流れた
台風4号は、関東沖を通過・・・東北には今晩から明日にかけて接近とのニュース
てっきり台風が接近していると思ったら、まだ来ていないのか・・・このままグズグズしていたらヤバイ!
「這ってでも行くしかない」・・・急いで荷を担ぎ流れるガスの中に突進していった
▼薬師平〜薬師岳間、約500mは、遮るものがない風衝湿原
それだけに最も恐れていたが・・・実際歩いてみると、拍子抜けするほど風が弱かった
よくよく考えてみると、高山植物のど真ん中を通る道は、もともと風が弱い地形なのだ
お花畑のルートは、風をまともに受ける和賀川の陰・袖川側ルートにある
これは実にラッキーというほかない・・・あっと言う間に薬師岳に辿り着く
薬師岳を越えれば楽勝と思ったが、それは実に甘い考えだった
薬師岳から薬師岳分岐のわずかな区間は、ルートが最悪の岩手県側に移る
横殴りの暴風雨は、いとも簡単に体ごと横にもっていかれる

慌てて山道に伏す・・・風がわずかに弱った瞬間を狙って前進
それを何度となく繰り返す・・・地獄の苦しみが続く
薬師岳分岐のピークを過ぎ、秋田方向に下っても風速は弱まる気配がなかった
命カラガラ、森林限界から森の中へ・・・やっと生き返ったような歓喜に浸る
自然の猛威に遭遇すれば、山に伏すしかなかった・・・山に伏す・・・山伏
そうだ・・・山や野に伏すような厳しい修行をするから「山伏」と呼ぶのだ

「重い荷を背負って、頑張れ!と言われるのは畜生界。
腹が減った、でも食べられないほど疲れた。それは餓鬼の世界。
負けるもんかと必死に歩く姿は修羅の世界。
何もかも苦しく、二度と来るものかと、道や人に恨むのは地獄の世界・・・」(「山伏入門」宮城泰年監修、淡交社)

思えば、堀内沢源流は「天狗が舞い(天狗ノ沢)、龍が踊る異界の世界(八龍沢)」
もしかして和賀山塊は、苦行と修行を繰り返す「山伏天狗」の世界だったのか・・・
ともあれ、夏台風が迫る稜線歩きほど怖いものはない

山では、最悪の場合を想定して装備するのが鉄則
今回、山で唯一の情報源・ラジオを持っていたことが幸いした

▼天国と地獄・・・
「あえて失敗に飛び込む・・・そして、゛なるに、まかせる゛・・・
失敗の数だけ学び、はじめて前に進むことができる」(アイガモ農法、古野隆雄)

台風が接近している時は、山の稜線ルートを歩いてはいけない
豪雨に見舞われた時は、沢を下るルートを歩いてはいけない
実に当たり前のことを・・・またしても「岩魚」から学んだ
 参 考 文 献
「山伏入門」(宮城泰年監修、淡交社)
「役立ち100の登山用語」(野村仁、山と渓谷社)
「山に生きる人びと」(宮本常一、未来社刊)
「秘境・和賀山塊」(佐藤隆・藤原優太郎、無明舎出版)
「イワナ その生態と釣り」(山本聡、つり人社)

天国と地獄1 天国と地獄2 山釣り紀行TOP

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送