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「今、マタギが語る−自然とともに歩むために」/「何故、クマは里に下りるのか:マタギの本音」
2007年6月30日、東京大学弥生講堂で第18回ブナ林と狩人の会・マタギサミットin東京が開催された。
1969年1月、全共闘が東大安田講堂を占拠。二日間にわたる安田講堂攻防戦はテレビで中継された。
安田講堂が機動隊に包囲され、催涙弾と放水に包まれるシーンは今でも目に焼きついている。

当時高校生だった私は、今や55歳・・・時代は変わった。
マタギサミット本番・・・夜の部は、全国から集まったマタギたちが安田講堂地下の中央食堂を占拠?
上の写真は、マタギサミット開催を祝う餅つきの芸
餅つきをしているのは阿仁マタギの松橋吉太郎さん(左)と実行委員長の田口洋美狩猟文化研究所代表(右)
ブナの実が凶作だった2004年は、北陸、東北地方を中心にツキノワグマが異常出没
各地で人身被害が多発し、社会問題となった。2004年のツキノワグマ捕獲頭数は2,422頭
2005年は豊作だったが、その翌年・2006年は凶作・・・

2006年のツキノワグマの捕獲頭数は、社会問題となった2004年の倍近い4,732頭に達した。
長野県が693頭と最も多く、山形県676頭、新潟県495頭、福島県423頭、
群馬県325頭、秋田県314頭で、東北、信越地方が多かった。
ツキノワグマの人的被害は、死者3人、負傷者136人(2006年11月末)にのぼった。
2006年、秋田での事例(情報提供:仙北マタギ戸堀操)
2006年9月1日、里山から離れた田園地帯(大仙市清水)にクマが出没
枝豆畑の消毒をしていた女性が襲われ、顔や腰に大ケガをした。
約2時間後、約3km南に住む女性が、自宅前に現れたクマに背中や右腕を引っかかれ、尻をかみつかれた。
襲われた午前7時30分頃は、児童の通学時間帯・・・地元の中仙猟友会がクマを探し、田んぼに隠れたクマを発見
クマは、黄金色に実った田んぼに身を隠した。
戸堀マタギら10人は、クマを包囲・・・
クマは稲穂に身を隠し、全く動く気配がない・・・こうなれば、持久作戦をとるほかない。
根負けしたクマは、稲穂から顔を出し周囲を確認するはずだ。
午前9時17分に射殺・・・オスのツキノワグマで推定8歳以上。体長162cm、体重130kgの大型。
これほど大きいクマが人里に下りてくるのは珍しい。

クマの胃には、堆肥用に野積みした豆やトマトなどの残飯と稲穂が入っていた。
「山に食料がない証拠・・・今後も人里にクマが出る可能性がある」
「悪さをせずに山に帰ってくれればいいのだが、今回は人を傷つけた。
さらに被害を出さないために、撃ち殺さざるをえなかった。本意ではないが・・・」

マタギにとってクマは、山の神様からの授かり物・・・
「捨てるわけにはいかない。山の神様に感謝を込めて、せめて食べるのが我々の考えだ」
この日のうちに解体され、鍋料理に・・・この時期にしては脂がのっていたという。
▼2007年6月14日、タケノコ採りの男性、遺体で発見
鳥海山にタケノコ採りに出掛けた男性が、クマに襲われ遺体で発見されるという悲惨な事件が発生した。
「なんで、こんなことに」・・・周辺には、弁当の空き箱や空き缶、レジ袋が捨ててあった。
遺体が発見された現場には、被害者が持っていた食料が食い散らかされていたという。
人間の味を覚えたクマが、食べ物目当てに近付いた悲劇と推察されている。
写真:会場となった東京大学農学部弥生講堂

▼開催の趣旨抜粋
・・・誰しもが周知しているように、昨年はクマ騒動に明け暮れた1年でした。
クマ類の捕獲頭数は5,059頭・・・そのうちツキノワグマの捕獲頭数は4,732頭で8割にあたる4,578頭を殺処分したといいます。
そして年間のクマ類による人身被害、死傷者は147名にのぼった・・・
<ブナ林と狩人の会:マタギサミット>では、このような状況は決して良い状況とは考えておりません。
このようなクマ類と住民の軋轢が生み出す状況を打開し、より自然との対話
(とくにクマ類との安定した関係の持続)を促してゆくためにも、首都圏に暮らす
人々にご理解とご支援を呼びかけたいと考えます。
地域に真の活性化を促すためには、地域が自立してゆくことにつきます。

今回の<ブナ林と狩人の会:マタギサミット>は、「なぜクマは里に下りるのか:マタギの本音」
と題し、可能な限り地域に暮らすマタギ、ヤマウド、猟師、狩人などと呼ばれ、数十年にわたって
山と森の世界で野生動物たちと向き合ってきた人々の声を皆様に直接お伝えしたいと考えています。
左:実行委員長あいさつ、田口洋美東北芸術工科大学教授
右:協力者あいさつ、佐藤宏之東京大学教授

○自民党の農林漁業有害鳥獣対策議員連盟は、野生動物被害は「自然災害」だから
自衛隊の出動を可能とする議員立法の制定を検討しているという。
・・・クマなどの野生動物被害を「自然災害」と考えるのは、「自然の非日常化」が進む「都会の論理」
「森を守るために都市に何ができるか」東北芸術工科大学 田口洋美
ツキノワグマの捕獲頭数4,700頭は多いのか少ないのか・・・全体数を把握せずに議論しても意味がないのでは
自然に依拠する人たちが急激に減り、自然の厳しさを忘れている。
「理想の自然」と「現実の自然」はイコールではない
「自然の非日常化」と「日常化された自然」はイコールではない
「観察者のまなざし」と「生活者のまなざし」はイコールではない
▼近世弘前藩のクマによる人身被害
仙台高校教師・村上一馬さんが、弘前図書館に通い「弘前藩国日記」を解読した貴重な内容だ。

○元禄9年5月24日、女3人がフキを採りに行き、一人がクマに連れ去られた。
急ぎ戻り、村中の者とともに現場へ行くと、女の死骸をクマが喰っていたので、クマを追い払った。

○元禄11年6月11日、深浦にて薪とりに山へ行った者(50余歳)が帰らないので、
家族で探しに行くと、クマに喰い殺されていた。
しかも、その場からクマは逃げずに怒って立ち上がるので、いったん戻り、翌朝40人で屍体を引き取ってきた。
腹と頭は喰い破られていた。大勢でわめいて追い払ったが、クマは2、30間の所から離れようとしなかった。

○元禄12年4月29日、赤石組沢部村(現深浦町)の娘18歳が「カテ草」(増水などに炊き込む山菜)を採りに行き、
クマに喰い殺された。腹が喰い破られ、首から頭まで剥がされていた。

○元禄16年6月5日、赤石組広戸村(現深浦町)の娘22歳がクマに喰い殺された。
死体は、肩から肘までと股の肉が喰われていた。

○享保5年9月14日、川端村(現つがる市)の女子6歳がクマに噛み殺され、
沖中野村・金田村などの五人が畑などで傷付けられた。

「弘前藩国日記」元禄8年〜享保5年(1615-1720)の間に死者16名、行方不明1名、
半死半生1名、重軽傷21名、計39名の人身被害があった。
被害の多くは、山菜採りの時期に集中しており、現代と変わらない。

▼この記録から、クマが人を襲い食べていたことが分かる。
ヒグマなら分かるが、ツキノワグマが人を喰うのか・・・戸堀マタギに聞くと
クマがカモシカを食べた痕跡を何度も見たという。
一度に食べきれないから、薮や自分の穴に隠し何回かに分けて食べる。
クマは、最初に野生動物の内臓を食べ塩分を補給する・・・だから人を襲い喰うこともある。
「クマは人を襲い食べてはいけない」という人間中心主義の考え方と「現実の自然」はイコールではない。
▼日本列島の人口の推移
縄文時代は2万人〜20万人前後と推定、弥生時代後期は59万人、奈良時代450万人、平安末期680万人
江戸時代には、かんがい技術と開拓による耕地の拡大で3000万人に達する。
明治時代半ばには4000万人、大正に5000万人、昭和40年代には1億人を突破した。

現在1億2千万人で、人口のピークを迎えているが、数年後には急激な人口減少が起きる。
100年後には、6000万人〜7000万人へと半減、昭和初期の人口に逆戻りすると言われている。
それを先取りするかのように、山間部では、限界集落や廃村化が急激に進行している。
こうした廃村化の進行は、野生鳥獣を押し上げていたディフェンスラインが崩れることを意味している。
昨今のクマの異常出没は、人間が「自然から撤退する」と同時に、自然が「攻めてくる」シグナルとも言える。
▼狩猟人口の変遷
明治27年の日清戦争、明治37年の日露戦争、大正7年のシベリア出兵と、
戦争が起こる度に狩猟人口が増加している。
これは世界的な戦争による軍用毛皮の需要が膨れ上がったことが主因。

▼戦争と軍部の台頭は、日本の自然にとって最大の不幸
昭和に入ると、軍部は軍用毛皮の需要を満たすために、毛皮収集システムを組織的に作り上げていく。
昭和4年、大日本連合猟友会、昭和9年、全日本狩猟倶楽部が結成された。
狩猟の対象は、大型獣からカワウソ、テン、キツネ、タヌキ、ノウサギ、イタチ、オコジョなどの中小型の毛皮獣へ

欧米向けの輸出と軍の需要が、野生鳥獣の急激な減少をもたらした。
昭和16年、毛皮の大量輸出によって、本州のニホンカワウソが絶滅した。
歴史は語る・・・日本の野生動物にとって、戦争と軍が台頭することほど不幸なことはない。
野生動物被害は「自然災害」だから自衛隊を出動させるという安易な発想・・・
これほど日本の自然にとって不幸なことはないように思う。
昭和47年、浅間山荘事件で使用された銃は散弾銃だった。以降銃規制が厳しくなった。
ゴルフブームとともに狩猟は衰退・・・かつて50万人を超えた狩猟人口は、20万人を切るまで激減した。
左の写真は、剥ぎ取った熊の皮を持ち、解体する前に山の神様に感謝を捧げるケボカイの儀式
右の写真は、ホナ(心臓)に十字を切る儀式(小国五味沢マタギ)
マタギは、なぜ今もやっているのだろうか・・・
マタギ=クマ狩りという単一なイメージがどうして作られたのか・・・
大正14年、ニホンカモシカが狩猟から除外され、昭和9年には、ニホンカモシカが天然記念物に指定された。
狩猟民俗学の黎明期・・・
高橋文太郎は二・二六事件が起こった昭和11年に阿仁を歩き「秋田マタギ資料」を書く。
武藤鉄城は、昭和17年〜22年にかけて「秋田マタギ聞書」を書く。
彼らは軍部と狩猟の関係や法の裏側で隠密に行なっていたカモシカ猟を全く記録しなかった。
マタギ集落の暮らしは、狩猟が全てではない。マタギとクマはイコールでもない。
マタギは狩猟だけでなく、林業や焼畑農耕、ゼンマイ採り、薬草採取、川漁など多様な生業を持つ。
だからマタギたちは、膨大な知識・民俗知を持っている。

かつて犬は、野生動物を追い払う役割を担っていた。
現代の犬は、鎖につながれペット化してしまった。
小国の土地利用の変遷・・・過疎化によって次第に耕作放棄地が拡大し、荒地・草地化している。
限界集落から廃村化していく風景・・・それは、人間が自然から撤退する風景でもある。
もう10年もすれば、村は森に飲み込まれる・・・
現代人にとって、自然が攻めてくるということは未経験のこと。
もしも大災害でクラッシュしたとすれば、都会の人たちが避難する故郷はないという現実・・・

例え、故郷へ帰ったとしても、田んぼもつくれない、畑もつくれない、
獣や山菜を採ることもできない・・・その自覚がなさすぎる。
▼森を守るために都市に何ができるのか
・春クマ猟を禁止にすれば、マタギの後継者が育つはずもない・・・地域の自立を阻害するな!
・中山間地域で若者が誇りを持って暮らしていくためには、伝統的民俗知・技術を社会的に評価することが必要
・3000万人が一ヵ月千円地域食材を意識的に消費すると、月300億円、年間3600億円の経済効果がある
・都市は、周辺の近郊農村、中山間地域、山間集落という同心円的空間配置の中で守られているという自覚が必要

「撤退のシナリオ」から「再生のシナリオ」へ変えていくべきだと締めくくった。
パネルディスカッション「何故、クマは里に下りるのか:マタギの本音」
▼パネリスト
工藤朝男(山形県鶴岡猟友会)
福原直市(長野県栄村猟友会)
戸堀 操(秋田県仙北猟友会)
松橋吉太郎(秋田県阿仁猟友会)
齊藤初男(山形県小国町猟友会)
佐藤 實(山形県小国町猟友会)
尾形 薫(山形県高畠町猟友会)

▼コーディネーター
早稲田大学教授 三浦慎吾
東京大学教授 佐藤宏之
東北芸術工科大学教授 田口洋美  
▼2006年のツキノワグマ捕獲頭数が4700頭に達し、今年、秋田でも死亡事故が発生した。
 クマは増えているのか、減っているのか

昨年は、奥山のブナの実が不作でクマが多く出た。りんごの産地には、例年の5〜10倍も捕獲された。
小国の場合は、10頭前後でそんなに多くなかった。
村のすぐ近くに棲む 「里クマ」が多くなった。
(日常的に里山に住み、畑に依存したクマを「里クマ」と呼ぶ。
里地里山の荒廃、廃村化に伴って「里クマ」が増えていると言われる。こうしたクマは人を恐れない。)
春クマ狩りで個体数を確認しているが、全然減っていない・・・想像以上に増えている。

奥羽山脈と吾妻連峰に囲まれた村だが、昨年はそのクマたちがみんなきた
奥山放獣はダメ・・・人にいじめられたクマ、人の味を覚えたクマは人身被害を招く
阿仁では、クマが20〜30年前より増えている。
春クマ狩りを楽しみにしているが、今年は調査のみ。

長野県のクマの推定生息数は1000頭と発表していたが、500頭獲ってもまだまだいる。
何を調査しているのか。
人の味を覚えると人里に近付くのは当たり前。そうした里慣れしたクマが増えている。

かつてクマの人身被害は数十人程度だったが、2004年は114人、2006年は130人・・・
山の入り方に問題があるのではないか
▼里への出没回避・・・クマの好物を植樹(参考:秋田さきがけ2007年4月19日)

「自然との共生がマタギの教え。ヤマグリはクマの好物で、
山に食べ物が増えればクマが里に出てくることも減るはず」・・・
秋田県仙北マタギの伝統を継承する戸堀操さんは、
故藤沢佐太治シカリの教えに従い、山すそにヤマグリの苗木十本を植樹した活動を紹介した。
「植える本数は少ないが、自分たちができる範囲で取り組んでいきたい。
次の世代に豊かな自然を残していくのがマタギの努め」
▼捕獲の方法も銃ではなく、檻ワナを使い、オスとメス、子グマの区別をすることなく無差別に捕獲している。
 檻ワナ捕獲の是非について

今年、東北で春クマ狩りができたのは山形県のみ。
地域の自立を止めるようなことはやめて欲しいと要望し実現した。
2006年(山形)の捕獲頭数は687頭・・・考えてもみなかった数字。
オス、メス関係なく無差別に捕獲する檻ワナはやばい。

檻ワナは極力やめるべき・・・無差別に捕獲するのは意に反する。
牧場に入ってくるようなクマは痩せて食べても不味い・・・だから檻ワナは奨励したくない。
春クマ狩りで間引くのがよい・・・この点を行政にも考えてもらいたい。

自然に対してやっていいことと、悪いことがある。
報道慣れしたのか、犬でもクマが出たと騒ぐ始末。
檻ワナの捕獲はやりすぎ。

檻の中に美味いものを置いて、エサでいらっしゃいというやり方は卑怯じゃないか

クマが我々の生活圏に近付いていることは間違いない。
山菜・キノコ採りシーズンの人身被害が問題。
これからサルやクマとの闘いが始まると思う。

廃村でクマの生息域が人里へとシフトしている。
檻ワナ捕獲には明確な設置基準がない。個数や捕獲期間を制限し、限定的に使うべき

マタギの意に反し、無差別に捕獲する檻ワナ捕獲に批判が集中
一方、マタギたちに共通した本音は、伝統的な春クマ狩りの復活だ
そのメリットと理由は何なのだろうか・・・
▼春クマ猟のメリット

春クマ猟のメリットは、クマが一番美味い。
見通しが効くから、オス、メス、子グマの区別がはっきりできる・・・頭数も確認できる。
また、クマに対してアピール度も高い・・・春クマ猟をしている所は出没数も少ない

小国では、30年前からクマの生息調査を実施。
きっかけは行政だったが、補助がなくなった現在でも継続している。
クマは多くても困るが、いなくても困る・・・クマは我々の大切な資源だから減らしたくない。
データを集約した結果は、年間平均で100〜110頭。
その1/4程度まで捕獲しても減らない・・・これを「小国方式」と呼ぶ。

春クマ猟はショウブ、闘いです。
クマは恐いもの・・・外れてクマと格闘したこともある。
人身事故を防ぐには、山を知ること、獣の足跡を見ること。
獣道を見つけることができる人に事故はない
残雪がある春は見通しが効き、クマの個体数を確認することができる
▼マタギは高齢化している・・・その後継者を増やすことが大きな課題

若い人たちが食べていけない。農業も林業も食えねぇじゃねぇか
我々はふるさとを捨ててきている・・・マタギのような生き方をやめたのか
自分たちの技術、経験、文化を若い人たちにも伝えたい。

クマの立場から人間を見たらどうか。クマも命がけだ。

6月の嫁探しの頃が危険(キイチゴが熟す頃が繁殖期)
マタギの村はコミュニケーションが良かった・・・マタギ根性が村を守ってきた

阿仁では40代が二人しかおらず後継者不足。
春クマ猟がなければ鉄砲をやめる。
檻ワナではなく、銃で進めてもらいたい

都会から定住した人もいる・・・一方、保護団体が捕獲反対署名を持ってきたりする
「我々の所は我々が守る。でしゃばるな!」・・・先祖伝来の山、伝統文化は我々が守る。
最後に小国町猟友会の佐藤實さんは、一冊の本をかざしPR・・・
すると、マタギの本家・阿仁マタギの松橋吉太郎さんの嬉しそうな笑顔が印象的だった(右の写真)
その本は、「小国マタギ 共生の民俗知」(佐藤宏之著、農山漁村文化協会)
小国の町や村に住む人々の生活知の中には、自然を枯渇させることなく
継続的に維持し持続的に利用してきた歴史的な民俗知がある。
自然を生かし生かされるマタギの叡智に学ぶ一冊
マタギサミット本番・・・夜の懇親会(東京大学安田講堂中央食堂)
▼和賀山塊を狩場とするマタギたちも東京大学安田講堂に集結
右から秋田県仙北豊岡マタギのシカリ鈴木隆夫、世話役戸堀操
岩手県和賀猟友会清水孝夫、後藤昭一

1969年、東大安田講堂の攻防戦によって反権力ムードが全国に広がった。
「連帯を求めて孤立をおそれず」・・・しかし、全共闘は孤立の道を歩んだ。
私が初めてマタギサミットに参加したのは、2000年7月、第11回マタギサミットでのこと。
当時、秋田県で唯一現存するマタギ小屋は、地元の自然愛好団体らによって存亡の危機にあった。
マタギの本場・秋田でさえ、マタギ文化は孤立の道を歩み始めていた。
第11回マタギサミットが開催された当時は、動物愛護団体や自然保護団体を嫌って
マタギ関係者だけで密かに開催するといった孤立的な会のような印象を受けた(大変失礼な言い方かも・・・)
そのマタギサミットが東京大学で開催される意味は何なのか・・・
「自然とともに歩むために」、マタギたちは「孤立から都市住民との連帯」の道を本気で歩み始めたように思う。

次回は、長野県栄村で開催。また記念すべき第20回のマタギサミットは、
マタギの本家・秋田県で開催する予定との報告があった。
▼祝辞(右の写真)・・・秋田県由利連合猟友会会長 松田美博
我々マタギは、薬草などの研究のために、手弁当で手伝ったりしているが
大学の先生たちは、その功労には全く触れてくれなかった
これからは、我々マタギの民俗知も発信していただきたい
▼祝餅つき・・・めでたや信・田口洋美
田舎でもほとんど見ることがなくなった餅つきだが、
その滅び行く行事を「芸」にまで仕立て上げたところが凄い!
単なる芸ではなく、最後は立派な餅にして観客に振舞う・・・お見事というほかない。
▼延々と続いた二次会
印象に残った話・・・

理系の人たちはマニュアル化したがる。しかし自然は、マニュアルでは対応できない。
自然に順応した民俗知・・・つまり、頭ではなく身体で反応する民俗知に学ぶ必要がある。

田口先生は、日本の財界トップのセミナーに招かれ講演
株価に一喜一憂している財界人に向かって、日本は足元からおかしくなっていると警告

秋、42cmの岩魚を手づかみにした。家で腹を割いたら卵が一杯出てきた・・・と得意げに語るマタギに対し、
FFマンのマタギはすかさず反撃・・・大きい岩魚ほど子孫を多く残す。リリースすべきだ。
大きな岩魚と小さな岩魚がいたら、お前はどちらをとるんだ・・・延々と釣り馬鹿マタギの論争が続く

岩魚釣りをしている時だった。前方に座って何かを食べている者の姿が見えた。
真っ黒の服を着ていた・・・てっきり先行した釣り人かと思い近付くと・・・
クマだ・・・尻から座ってニォサク(エゾニュウ)の皮をちゃんとむきながら食べていた。
タケノコの皮をむくのは分かるが、ニォサクの皮までむくとは驚いた。

北海道のエゾシカ猟の講習会では、二つのことを言われる。
@ ヒグマが出た場合、むやみに撃つな!
確実に仕留めることが出来る場合に限って撃て

猟師への襲い方・・・発砲した人間を記憶し襲う(参考文献:「ヒグマ 北海道の自然」北海道新聞社)
ア.手負いの熊が、木立の陰やヤブに隠れ襲った事件 6件
イ.至近距離での発砲に対して襲った事件 3件
ウ.冬篭りの穴から追い出そうとして襲われた事件 1件
オ.子グマを襲ったら、母グマが襲ってきた事件 1件

A 沢の水は飲むな!
(かつて道東地域の風土病と言われたエキノコックスは、今や北海道全域に広がっている)

2007年7月16日・・・完結

▼参考文献
「東北学Vol3 狩猟文化の系譜」(東北芸術工科大学東北文化研究センター)
「第18回ブナ林と狩人の会・マタギサミットin東京」配布資料
「思想」としての全共闘世代(小阪修平著、ちくま新書)

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