山釣り紀行TOP

 2006年5月中旬、好天に誘われ、急きょ太平山系ワサピ沢に向かった。
 いつもなら岩魚釣りの先客がいるはず。
 だから新緑の谷の撮影とヤマワサビを採取するのが目的だった。
 ところが、4〜5キロほど手前で土砂崩壊があり、車が進めない。

 歩いて林道の状態を探ったら、その上流は車が歩いた痕跡はゼロ、
 所々豪雪でなぎ倒された倒木が林道を遮断していた。
 私は失望するどころか、小躍りするほど喜んだ。
 これなら岩魚も期待できる。
 ルンルン気分で身支度をし、気合いを入れて林道を歩き始めた。 (写真:春黄葉)
 林道を歩くこと1時間弱、ワサビ沢の入り口に達した。
 予想したとおり、沢沿いの杣道には、人が歩いた痕跡すらなかった。
 これはラッキー!・・・
 急きょ、岩魚釣りをメインに心を切り替え、沢に入る。
 沢の轟音は凄まじく雪代はピーク
 高鳴る心を抑えながら、餌釣りの仕掛けを作る。
 残雪と新緑、雪代で沸き返る美渓から次々と神秘の美魚が舞う。
 被写体のメインは、新緑の谷ではなく、もちろん岩魚の顔だ。
 釣り上げたら、ゆっくり岸に寄せ、おとなしくなるまでじっと待つ。
 まず岩魚の全長を撮り、斑点、背中、腹部、顔のアップ撮影を繰り返す。
 上の個体は、特に着色斑点が濃く鮮明な個体。
 この沢では、珍しい個体だけに腹部の着色斑点を入念に撮影した。
 良く見ると、側線の下だけでなく上にも濃い着色斑点がある。
 こうした個体は、八幡平大深沢源流の岩魚と若干似ているように思う。
 秋田のニッコウイワナは、一般に側線の下に
 黄色から橙色、稀に朱色に近い着色斑点を持つ個体が多い。
 側線より上の白い斑点は、鮮明で大小ランダムに散りばめられている。
 頭部には、鮮明な虫食い状の模様も見られる。
 体全体に散りばめられた鮮やかな斑点を見れば
 「渓の宝石」と呼ぶにふさわしい個体だ。
 次なる個体は、側線より下に橙色の着色斑点を持つ典型的なニッコウイワナ
 下唇は、薄い口紅をしたような橙色の着色があり、
 腹部は鮮やかな柿色に染まっている。
 体色は、全体的に青っぽく、顔にはまだ黒いサビが残っている。
 頭部には、鮮明な虫食い状の模様があった。
 典型的なニッコウイワナ2
 側線より下の着色斑点は濃いのに比べ、頭部の模様は不鮮明
 雪代がピークということもあり、いずれの個体も顔は浅黒くサビついている。
 腹部と着色斑点の色が鮮やかな黄橙色に染まっている。
 側線より上の無着色斑点は、小さく鮮明・・・
 良く見れば、同じ沢に生息している岩魚にもかかわらず
 多様な個性・多様な遺伝子を持っていることに驚かされる。
 全て無着色斑点のアメマス系イワナ
 顔の大きさの割には、魚体が丸々太っていた。
 小さな沢だが、アメマス系とニッコウイワナが混生していることが分かる。
 腹部の橙色の着色も若干薄かった。
 雪代の増水で奔流となって落走する渓と萌黄色の新緑
 岩魚たちは、深い淀みの大岩の下に深く潜むケースが目立った。
 白い斑点のみのアメマス系
 腹部の着色範囲も狭い
 サイズは9寸余りなのでキープすることに。
 頭を叩くと胃袋から消化途中のサンショウウオが飛び出した。
 過酷な渓に生きる岩魚は、目の前を流れる獲物に気付けば
 満腹状態でも果敢に食らいつく。
 その獰猛さとは裏腹に、一旦人影に気付けば
 決して餌を追わない臆病さを併せ持つ。
 過酷な源流に生き続けてきた理由がここにある。
 たとえ魚影の濃い沢であっても、先行者がいれば、どんな名人でもろくに釣れない
 だから、先行者がいた場合は、あっさり釣りを諦めるのが懸命な選択。
 完全にサビがとれ、清冽な流れに同化したような個体。
 着色斑点が薄いニッコウイワナ
 白い腹部は、驚くほど鮮やかな橙色に彩られ
 源流に封印された居着き岩魚の特徴をよく示している。
 全身、黒っぽくサビついていた岩魚
 サビ岩魚は、雪代で沸騰する釜の岩陰に
 深く潜んでいたもの・・・サビがとれるのは雪代が終わる頃だろう
 着色斑点はなく、アメマス系の岩魚
 釣り上げた後、岸に寄せた瞬間を撮る
 岩魚は、他の魚と違って沢床に立つような姿勢を崩さない
 魚体を蛇のようにくねらせ、陸の上でも歩くことができる
 岩魚は、魚なのか、それとも爬虫類なのか・・・摩訶不思議な生き物である
 次第に階段状のゴーロとなる
 苔生す大岩をかむ雪代が、白い飛沫をあげて流れ下る
 V字状の残雪に淡い新緑が映える
 この美しい岩魚谷を独り占めにして釣り歩く・・・
 久々に釣りに没頭した至福の時が流れる
 谷に眩しいほどの光が降り注ぎ始めた
 釣りに夢中になる余り、竿が縦に割れていることに気付いていなかった
 岩魚に狂わされ、冷静さを完全に失っていた

 岩魚が釣れた瞬間、新調したばかりの竿が
 中間から「バッキッ」と音を立てて折れ曲がってしまった
 情けない!
 やむなく道糸を手繰り寄せ、岸に寄せて撮影に専念する
 予備の竿は持っていない・・・釣りは止めろということだろうか

 何となく悪い予感が背筋を走る
 そんな時、気になるのはクマの親子との遭遇だ
 腰に下げていた熊避け鈴を手で何回も鳴らしながら、四囲を見回す
 釣り上げ岩魚は、何事もなかったかのように煌く流れに横たわっていた
 精悍な顔も黒っぽくサビつき、側線前後に散りばめられた着色斑点が美しい
 竿が折れてしまったが、岩魚を撮影する絶好のチャンス
 どうも諦めきれない
 中間の折れた部分をそのままにして、竿の下に畳む
 全長6.1mの竿が半分の3mほどになってしまった
 そんな短竿で再度釣り上がる・・・それでも岩魚の魚信は止むことがなかった
 無垢なる岩魚に、竿の良し悪し、テクニックなど関係ない
 「岩魚は足で釣れ!」
 背部をアップで撮る
 背中の紋様の乱れは、比較的少ない個体
 全身に散りばめられた夥しいほどの鮮明な斑点
 源流に隔絶された岩魚は、他の沢の岩魚と自由に交配することができない
 それゆえ沢ごとに異なる遺伝的な特殊化に拍車をかけたに違いない
 他の淡水魚に比べ、変異が極めて大きい
 流れに戻しシャッターを切る
 一人で生きた岩魚を撮影するには、
 動き回る岩魚を制御できないだけに本当に難しい
 ただし、雪代の時期は、流れの透明度が高く
 生き生きとした岩魚を撮影するにはベストの季節だ
 顔の下半分と脇腹が縞状に黒くサビついたアメマス系岩魚
 雪代のため、岩陰深くに潜んでいたことが分かる
 頭から背中にかけて、虫食い状の模様が全くない個体
 腹部が鮮やかな柿色に染まった個体
 山形県朝日村では、アメマスを「ノボリコ」と呼び
 腹部が柿色に染まった陸封岩魚を「タマリコ」と呼ぶ
 新潟県奥只見では、「ノボりイワナ」「トコイワナ」と呼ぶ

 「赤腹岩魚 腹の赤きこと イモリの如く」(「両羽博物図譜」1885年、松森胤保著) 
 春の柔らかい陽射しが谷に降り注ぐと
 岩魚の魚体もキラリと光る
 まるで撮って下さいと言わんばかりに・・・
 釣り上げた岩魚を雪渓の上に乗せると、
 冷たいせいか意外におとなしくなる
 生きた岩魚を横にして撮影するには、最も簡単な方法だ
 岩魚を正面から見ると、各ヒレがまるで飛行機の翼のように見える
 尾ヒレは推進力、その他のヒレはカジ取り&バランスを取る
 「賢者は海を愛し、聖者は山を愛す」
 己が賢者か聖者か愚者か、それとも大馬鹿者なのか・・・
 川釣り、沼釣り、磯釣り、船釣り・・・釣れる魚なら何でも好きだったが
 なぜか山釣りに狂わされてしまった
 止水に放し定位した岩魚を撮る
 渓流の抵抗を少なくするスマートな体型
 胸ヒレ、腹ヒレ、尻ヒレを大きく広げ、魚体を安定させているのが分かる
 「よく゛丸太ン棒゛と形容される、岩魚の太く丸い体型は、
 上流特有の急激な出水に耐えるための肉体的構造と考えられるし、
 それは遡上能力とも一致するのではなかろうか」(「山漁」農文協、鈴野藤夫著)
 「心に傷があるから釣師は家を出る
  ただし彼はそのことに気がついてはいない
  その傷が何であるかを知らない」(「緑の水平線」林房雄)
 「嘉魚 イワナ・・・岩穴にいる故にイハナと名く
 形鱒魚に似て小さく 白色にしてヤマベの如くなる斑紋なし
 甚だ油脂多し 焼くときは油流るること鰻魚を焼くが如し
 秋月多く捕ふ」(「本草綱目啓蒙」1800年頃、小野蘭山著)
 巷では「瀬戸際の渓魚」「在来岩魚は今、絶滅寸前状態に」・・・と言われて久しい
 それは岩魚の南限と言われる異国の話のように思うことさえある
 野生の岩魚がそんなにヤワな生き物なのだろうか

 巷では針は小さく、糸は超極細ナチュラルドリフトあるいはゼロ釣法だとか
 私の仕掛けは、岩魚針9号とでかく、ハリス0.8〜1号、道糸1.2〜1.5号
 ナチュラルドリフト、極細ゲーム、ゼロ釣法などとは無縁のダサイ仕掛けだ

 それでも昔と変わらず、岩魚は私の稚拙な仕掛けに食らいつく
 どう考えても、私には楽観論しか浮かばない

 一方、消えゆく村、薮に寂しく佇む離村記念碑
 子どもの声を失った廃校、草茫々の棚田、廃屋、お化け屋敷のような杉林
 獣と人間との境界線を失った山村に、クマやサルたちの逆襲が足早に忍び寄る

 「瀬戸際の山村」「山人は今、絶滅寸前状態に」・・・
 岩魚と深く密着していた山村の暮らしの崩壊
 岩魚より、むしろ限界集落と呼ばれる山村の行く末が気になってしょうがない 

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