中ノ又沢その1 中ノ又沢その2 山釣り紀行TOP


中ノ又沢源流の岩魚、岩手フキ、草食いのクマ、獣の鳴き声、人と渓流魚の民俗史
昨夜は雨が降り続いていたが、水量や濁りに変化はなかった。
曇天で暗く、いつ雨が降ってもおかしくない空模様・・・
懐かしの葛根田大滝や北ノ又沢、あるいは滝ノ又沢を歩いて見たかったが断念
ブナの森をゆったり流れる中ノ又沢源流探索に専念することに。

写真:せせらぎの音を聞きながら、一日中のんびり糸を垂れる至福の岩魚釣り・・・
雨後の笹濁りとまではいかなかったが、沢は、靄が立ち込め、
岩魚の入れ食いを連想させるような釣り日和だった。
夏の岩魚の食いは早朝と夕方に集中する。
その食事時間が過ぎると、岩魚のアタリは俄然遠くなる。
まして、沢登りや釣り人が行き交う沢ならば警戒心も強い。
昨日は、我々三名が下り、単独の沢登り師が大石沢から中ノ又沢を詰め上がった。
風化しかけた18年前、大石沢や中ノ又沢は小物が多く、貧果だったことを思い出す。
しかし、現在の魚影を見る限り、当時の釣りは、下手糞だったことは明らか。
川虫を採るのが面倒でしばしミミズで粘ってみた。
岩魚の魚信は全くない・・・
時折、瀬尻にいた岩魚がヘボ釣り師をあざ笑うかのように走った。
沢を覆い尽くすブナとミズナラの原生林、
源流部まで約3キロもの区間に、岩魚の遡上を阻む滝もない。
細流となった源流には、岩魚の稚魚も多く種沢としても申し分なし。
反応のないミミズの餌にしびれを切らし、背中からタモ網を取り出す。

石をひっくり返し川虫採取にとりかかる。
普段は流れの緩い平瀬にいるが、水温が高くなると急な瀬の石裏にへばりついている。
狙ったとおり、瀬の中心部で大型のカワゲラ(オニチョロ)が網に入った。
でかい9号の岩魚針にカワゲラを尻からチョン掛けにして瀬に流す。
ほどなく流れる目印が一瞬止まり、岩魚の魚信が全身に伝わってきた。
カワゲラの尻尾に食いついたばかりだな・・・
竿を上下にあおり岩魚を挑発してみる。
すると、岩魚はカワゲラを逃がすまいと完全に飲み込もうとする。

岩魚は、餌を完全にとらえることに成功すると、今度は岩陰に持ち込もうとする。
そうした岩魚の動きが、針と糸、竿を介して手に取るように分かる。
テンカラやルアーは、疑似餌だから勝負は一瞬で決めるしかない。
しかし、餌釣りは、釣れるまでのこうした駆け引きを手の感触で楽しむことができる。
やっぱり渓流釣りの原点は、餌釣りだと思う。
どこまでも平坦な台地には鬱蒼としたブナが林立し、
その間を縫うように、沢は蛇行を繰り返しながら流れる中ノ又沢。
飽きるほど変化のない河原が延々と続いている。
しかも浮石に足をとられやすく、何とも歩きにくい。
沢を遡行するだけなら、最低ランクの沢に位置づけられること間違いなし。
ただし、竿を持てば一級品の釣り場に変わるのだからオモシロイ。
枝沢が流れ込む合流点は、大物が潜む絶好のポイント
狙ったとおり、尺物がカワゲラに一発で食らいついた。
竿は満月に弧を描き、引きを存分に楽しんだ後、岸にゆっくり寄せる。
石が赤茶けた色をしているせいか、岩魚も全身橙色に染まっている。
顔は浅黒く、精悍な面構えに似合わず薄っすらと橙色の口紅をしている。
側線上下の着色斑点と白の斑点も鮮明・・・個性がキラリと光る個体だ。
左:ブナの森をせせらぎのように流れる沢。岩魚に丸見えでアプローチが難しい。
右:秋田フキの元祖と言われる岩手フキ。雨が降っても、こらなら傘などいらぬ。
ブドウ虫で粘っていたが、川虫に変えるとご覧のとおり。やっと良型がヒット
今晩の刺身に・・・と思って眺める美和ちゃんだったが、
記念撮影中に岩魚が針から外れ、あえなく流れの中に消えてしまった。
この後、撮影中に連続3回も針から外れ逃げられるハプニングが続いた。
長谷川副会長曰く「沢の中じゃなく、河原へ場所を変えて撮ればいいのに・・・」
しかし、それでは臨場感が出ない。岩魚のイキイキした写真も撮れない。
逃げられたと言っても、手間を掛けずにリリースしたと思えば救われる。
昼食は、昨日、焚き火でじっくり燻製にした岩魚がメイン。
弁当箱には、朝飯の残り飯が入っている。
お茶漬けに、燻製岩魚を乗せて平らげる。
食べ残しの頭と尻尾は、今晩の骨酒用に大切にとっておく。
のんびり昼食をとった後、またまた釣りモード突入。
まもなく860m二又に達する。
テン場の形跡はないが、焚き火の跡が二箇所にあった。
一般に中ノ又沢を通るルートとしては、
葛根田川本流を詰め上がり八瀬山荘から八幡平稜線を歩き、中ノ又沢を下降する、
あるいは乳頭温泉〜大石沢〜本流〜中ノ又沢〜大白森山荘を経て乳頭温泉
に戻る一周コースなど・・・枝沢が多いだけに、バリエーションルートに事欠かない。
二又から右の沢に入ると、流れは極端に細くなる。
入り口は薮沢のようなトンネルになっているが、ほどなく沢は開ける。
空は今にも泣き出しそうな雲行き・・・昼なのに渓は暗く、カメラブレを起こすほどだった。
獣の匂いが漂う中ノ又沢源流部
奥の右手高台は広い湿地になっていて、ミズバショウの大群落があった。
手振れ補正付きのデジカメでも、暗くてブレてしまった源流岩魚。
枝沢合流点で、美和ちゃんにも待望の尺物がヒット。
糸を張らずにたるませすぎたためか、針は胃袋に達していた。
細流の沢の右手一帯には、クマの好物であるエゾニュウがたくさん生えていた。
よく見ると、あちこち草がなぎ倒されクマ道ができていた。
クマは、大好物のタケノコの時期が終わり、
多肉多汁のエゾニュウの芯ばかりを狙って食べているようだ。
草食いの時期になると、クマたちは沢に集まるので注意が必要だ。

ちなみに、草食いの時期のクマの肉は脂肪がなく不味い。
しかも、胆のうが小さく、毛は抜け使い物にならない。
だから、マタギは利用価値のない夏クマを見過ごす。
焚き火を囲み、骨酒を飲みながら談笑している時だった。
背後の斜面から「ブォーン、ブォーン・・・」という地鳴りのような重低音が聞こえてきた。
初めて聞く獣の声だが、こんなにデカイ音を出すのはクマ以外に考えられない。
すぐ上の峰を上流から下流に向かって移動しているのがはっきり分かるほど、連続した鳴き声だった。

考えてみれば、6月下旬から7月はクマの繁殖期だ。
メスを求めて歩くオスグマの鳴き声だろうか。
それとも、子グマがテン場に近付こうとするのを母グマが警告している鳴き声だろうか。
いずれにしても緊張する瞬間だったが、すぐ横にクマ撃退スプレーがあったので安心だった。
ちなみに、オスグマは、オスの子グマを共食いすることもあるという。
それは、自分の遺伝子を残すためと言われている。
葛根田川支流中ノ又沢源流の美魚・岩魚
これは、天然分布の岩魚ではなく、人の手によって移植放流された岩魚の子孫。
昭和16年、武藤鉄城氏の記録によると、
葛根田川中流部に懸かる落差40mほどの鳥越えの滝より上流に岩魚は棲息していなかった。
昔、仙北郡田沢村の人たちは、布の繊維に使うシナノキの皮を剥ぎに毎年山越えをして葛根田川に入った。
清冽な流れに一匹の岩魚もいないのはおかしい。
ある年、飯を入れる曲げ物に岩魚の子を入れて放流
それが年を経るごとに殖えに殖えて、ほとんどウジョウジョする位になったと記されている。
岩手県葛根田川上流の沢々は、旧田沢湖町先達の伊藤金兵衛さんの釣り場だったとの記録もある。
毎年6月末から9月まで、この地帯に釣りに出掛けるので重い鍋・釜は、山奥の沢に置いてあったという。
こうしたことを総合すると、田沢村の山人が放流した沢は、乳頭温泉ルートの大石沢だろう。
とすれば、葛根田大滝や中ノ又沢、北ノ又沢、滝ノ又沢に懸かる出合いの滝上には誰が移植放流したのだろうか。

田沢村の山人あるいは伊藤金兵衛さんなのか、
それとも盆魚として岩魚を特に珍重していた玉川部落の人たちだろうか。
葛根田川と峰境にある大深沢は、各枝沢源流の一滴まで岩魚が生息している。
葛根田川支流中ノ又沢も源流の一滴まで岩魚が生息している。
ダムに沈んだ玉川部落の人たちは、毒水の玉川に注ぎ込む各枝沢に岩魚を移植放流している。
その玉川部落から大沢口の峰を登り、峰越えすれば、中ノ又沢へは簡単に辿れる。
いわゆる岩魚の源頭放流も考えられる。
いずれにしても岩魚を追う沢旅で、人と渓流魚の民俗史をあれこれ想像するのは楽しい。
▼マスタケの煮付け ▼焚き火でじっくり燻した逸品
▼エゾアジサイ ▼ガクウラジロヨウラク
▼大沢口タケノコ道 ▼大沢口枝沢に懸かるナメ滝
今回のメンバーは、右から長谷川副会長、美和ちゃん、そして私の3名。
人数が少ないと荷は重くなるが、岩魚を追うには最適の人数だ。
悪天候が重なり、湿原の隠れお花畑を拝むことはできなかったが、
先人に感謝し、岩魚を追う沢旅に徹するのも楽しいものだ。

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