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「自然と人間と文化」の傑作・・・秋田県西木村八津・鎌足
 クリ林の林床を埋め尽くす赤紫色の花絨毯は、ただただ素晴らしい、美しいという言葉だけでは表現し得ない迫力がある。毎年、山にこもる度に飽きるほど眺めているはずなのだが、こんな巨大な群落は見たことがない。それだけに、遠くからでもその面的な広がりを持つ空間の美しさは際立っている。この巨大なカタクリの群落は、どのようにして生まれたのだろうか。

 (撮影日:2004年4月17日、21日・・・EOS Kissデジタル)
 雪国のカタクリは、春告げ花としてどこでも見られるポピュラーな花だ。昔から、花を楽しむだけでなく、山菜として利用されてきた。今でも、4月中旬頃になると、春を告げる食用の山菜として店頭に並ぶ。西木村では、カタクリのことを「カタッコ」「カタンコ」と親しみを込めて呼ぶほど、ごく身近に見慣れた草花なのだが・・・
カタクリ(片栗)の語源
 カタクリの語源その1・・・カタクリを漢字で「片栗」と書く。ならば栗に多いに関係があるはずだ。調べてみると、「カタクリは、花後に実がつき、重そうに垂れることが多い。そのカタクリの実は、イガの中にある一つ一つの栗の実に似ている。栗の実の1つだから゛片栗゛という説」(「山渓名前図鑑 野草の名前 春」(高橋勝雄著 山と渓谷社))
 カタクリの語源その2・・・花が咲く前の片葉の葉に鹿の子模様が入るので、゛片葉鹿の子゛。それが「カタカゴ」から「カタクリ」に転化したという説がある。カタクリの群落はブナなどの原生林で見ることは稀で、むしろ樹がまばらな里山に多く見られる。これは日光を好むからであろう。いずれにしても、カタクリは、フキノトウ、フクジュソウ、キクザキイチゲなどと同様、里山を代表する早春植物だ。(写真は、2004年4月10日撮影)
自然と人間が創り出した最高傑作・・・その秘密を探る
 クリとカタクリは、名前も共に「クリ」が付いている。だから、クリの木があれば、自然にカタクリの群生ができる、などと思ったらとんでもない間違いだ。写真を見ればお分かりのように、クリの木の剪定や下草刈りなど人間の手入れが行き届いていることに気づくだろう。
 栗の林床を埋め尽くす花の絨毯・・・もちろん観光客を呼ぶために、わざわざ栗林にカタクリを植えたわけではない。もともと西木村の栗は、300年ほど前に秋田藩主佐竹候が、京都の丹波地方、岐阜の美濃養老地方から種を導入し、奨励したのが始まりと言われる。歴史も古く、現在では、改良に改良を重ねた結果、普通の栗の倍以上もある日本一大粒な栗を生産している。
 西木村の特産「西明寺栗」を育てるために、村人たちは、様々な工夫を凝らしてきた。堆肥を施し、日当たりと風通しを良くするために、樹間を広くとり、木の剪定、間伐から下草刈りに至るまできちんと手入れをしてきた。つまり、村人たちは、カタクリのことを考えて管理してきたわけではない。ただひたすら、より大きく、より美味しい「西明寺栗」を作るために工夫を重ね、きめの細かい手入れを続けてきただけだった。
 そうした村人たちの長年にわたる人為的撹乱に見事に適応したのが、周囲に自生していたカタクリだった。栗の木々の間隔が広く、日当たりと風通しの良い斜面、そして堆肥が、栗だけでなく、カタクリにとっても天国だった。その栗林にアリが密かにカタクリの種子をせっせと運び、やがてポツリポツリと開花。それが、増えに増えて、ついには20ヘクタールに及ぶ花絨毯を作るほどの大群落を形成するようになった。
 種から花が咲くまで約8年もかかること、さらに種はあの小さなアリが運んで分布を広げることを考えれば、これだけ巨大な群落を形成するなんて想像だにできない。カタクリ群生の郷と簡単に呼んでいるけれども、見る者を圧倒する大群落は、気の遠くなるような年月がかかっいるのだ。

 こうした山間地の農民は、百姓仕事を通じて、金にもならないカタクリの群落を育てているのだ。こうした行為は金にならないから「稼ぎ」とは言わない。自然と共に生きる「百姓仕事」そのものだ。金になる「稼ぎ」だけを評価し、金にならない「百姓仕事」を評価しない日本人・・・それをあざ笑うかのように咲き誇る大群落に圧倒された。
 一面燃えるような空間は、一朝一夕にできたものではない。人間が意図して造り上げた人工的なものでもない。まさに自然と人間が長い年月を経て創り出した傑作であり、西木村固有の歴史的、文化的景観と呼ぶべきものである。そこにこそ、人々を魅了してやまない悠久の魅力が潜んでいるように思う。
 村人たちが、カタクリ福寿草保存会を設立したのが12年ほど前。村がこのカタクリ群生地に、歩道やトイレ、東屋を整備したのも、わずか10年ほど前(1994年)に過ぎない。村人たちにとっては、さして珍しくもないカタクリだったが、その群生の規模が日本のトップクラスだっただけに、口コミで広がり、日本一の西明寺栗を凌ぐ人気となっていった。。今では、春が来ると、カタクリは無事に咲いてくれるだろうか、秋になると栗が無事に実るだろうかと・・・栗栽培農家は、日々、こうした自然の無事を祈りながら暮らすようになった。
 毎年4月中旬ともなれば、栗林の雪も解け、カタクリが林床一面を赤紫色に染め上げていく。初めて訪問してみると、村のおじいさん、おばあさん達が総出で歓迎してくれた。村の人口を遥かに凌ぐ訪問者たちを嫌がることもなく、むしろ誇らしげに案内する姿が、とても印象的だった。
 この感動的景観をいつまでも保全してほしいと思うなら、300円の協力金だけでなく、西明寺栗も多いに食べ、栗林を荒廃させない消費者の協力も欠かせない。中国産の安い栗を食べながら、西木村のカタクリ群生にただ感動しているだけでは、どこかおかしい。それは、ハンバーグあるいは外国産の弁当を食べながら、日本の棚田は美しい、と言っている可笑しな日本人ともピタリと重なるものがある。日本一大きな栗とカタクリの美の極致を通して、自然も人間も食べ物も暮らしも農山漁村の美しい景観も文化も・・・全てリンクしていることに、そろそろ気付くべきではないだろうか。
 紅紫色の花は、長い花柄の先につき、下向きに咲く。まるで飛翔するかのように、そり返った花弁は、チョウが群れをなして舞っているようにも見える。
 カタクリは、早春の柔らかい陽射しに、花弁が透けて見える角度が最も美しい。それだけに撮影は、ローアングルでかつ逆光で撮るのが基本だろう。角度を変えながら、レンズを通して被写体を眺めていると、光によって花も七変化することが良く分かる。
 これは陽が傾きかけた夕暮れ時に撮影したものだが、花の色は紫色をより濃くしたように見える。同じ遺伝子を持つカタクリとは思えないほど、光の加減で色合いも異なる。
 カタクリは花だけでなく、左右に大きく広げた二枚の葉もユニークだ。葉の表面に紫色の斑紋があり、この不思議な模様にいつも心惹かれる。朝露に濡れると、葉の表面に多くの水玉ができて、清楚で瑞々しさが際立つのだが・・・。
 カタクリは、山菜として利用されてきただけに、採られることも多い。それだけに、採り過ぎで絶滅するのではないかと心配する人もいるだろうが、田舎でもよく利用されるのは花と茎、若葉が中心。鱗茎は地中深く、道具がなければ掘り取ることが不可能で、山野草の中でも採取圧を受けにくい部類に属する。
 せせらぎの小沢を彩るカタクリ
 陽が西に傾くと、急に気温が下がり始めた。すると、開いた花も一斉にしぼみ出した。カタクリの花は、周囲の気温が10度を越える頃から花が開き始めると言われている。逆に10度を下回ると、しぼみ始めるということだろう。光と温度にやけに敏感で、自分の都合だけで撮影に出掛けても、なかなかベストな条件は揃ってくれない。しかも開花期は、わずか1週間から2週間程度と短いだけに、集中して通い続けないと満足する一枚は撮れないように思う。
 よく手入れされた二次林は、生物多様性の宝庫・・・カタクリが咲く前は、フキノトウや福寿草、キクザキイチゲなどが咲き、カタクリの後には舞鶴草や山ワサビの白い花も一部の群生地で咲き乱れる。土手には、ノビルやヤブカンゾウなどの食用若葉も多く自生しており、栗林一帯の広大な空間は、「屋根のない花の博物館」のようにも見える。
 管理している農夫に話しかける。
 「良く管理されてますね」。「カタクリのことなんぞ、考えたこともねがったなぁ。ただ栗を育てているだけなんだけどもしゃ。」。「でもカタクリは、思わぬ副産物でしょ」、「副産物?・・・何も金にならんがね」。「それでも、この見事な美しさ、素晴らしい。これは、自然と人間が創り出した芸術作品ですよ」と絶賛すると、苦労が報われたような笑みを浮かべ、「ありがとう、ありがとう・・・」と何度もお礼の言葉がかえってきた。
 百花繚乱・・・カタクリの紅紫色とイチゲの白の群れ・・・まるで花の楽園を彷徨っているような夢心地に浸る。

 近年、薪炭材としての価値を失った里山の荒廃で林床が暗くなり、こうしたカタクリの群落も消えていく運命にあった。しかし春の妖精カタクリは、手入れの行き届いた栗の林に、ちゃっかり安住の地を見つけていた。カタクリたちは、一斉に語りかける。「栗の林を維持してきた村人たちに感謝・・・小さなアリたちにも感謝・・・」。

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