山釣りの世界TOP


遡行日・・・2004年6月18日〜20日/メンバー・・・長谷川保夫、高橋金光、菅原徳蔵
 D沢には、個人的に何度か訪れたことがあった。しかし、標高千メートルを越える魚止めの滝まで登り詰めたことはなかった。今回、会として初めてD沢源流を探釣。中でも、珍魚・上顎が突き出た岩魚や激甚の落差をもってほとばしる魚止めの滝の迫力は圧巻だった。
 D沢下流は毒水が流れ、魚一匹生息していない。その源流に幽閉された岩魚は、実に多様性に富んでいる。残念なことに、二日間は雨にたたられ、一眼レフデジカメはほとんど背中から出すことができなかった。ほとんどの写真はコンパクトデジカメ・・・多様な岩魚の個体や美渓を思う存分撮ることができなかったのが悔やまれる。
 車止めから林道を歩き、猛烈な藪の斜面を下る。タケノコ、タケノコ・・・と探したが、とうに旬は過ぎていた。ただ、ただ笹藪を下るだけ・・・やっと、D沢に降りる。
 右の写真・・・至る所の斜面から湯煙が立ち上がっている。こうした区間は毒水のため魚一匹生息していない。けれどもスコップがあれば、天然露天風呂が楽しめる。
 標高はおよそ700m。こんな高い所で蛇を見るのは希だが、河原にヤマカガシがいた。温泉が噴き出す河原は暖かいからだろう。長さは約1.5m、意外に小さな個体だったが、これが標準サイズ。これに比べると、前回、カエルを丸飲みしていたヤマカガシは、やっぱり異様な大きさだった。
 タニウツギ。今回はタケノコを採るのも楽しみの一つだったが、地元では、この花が咲くとタケノコは終わりと言われる。実際、タケノコはほとんど終わりに近かった。
 硫黄の臭いが立ち込める沢をゆく。白濁の流れと赤茶けた岩は、毒水の証拠。
巨岩ゴーロ連瀑帯が続く中流部
 テン場をセットし、今晩の岩魚と山菜調達へ。巨岩が累積するゴーロが延々と続く。こうしたゴーロの階段が続く場所は、一般的に岩魚の魚影は少ない。大きなポイントだけ探りながら先を急ぐ。たまに釣れてくるものの、サイズは7寸程度と小さく、リリースを繰り返す。
 岩の穴深くに隠れているせいか、サビついたような黒っぽい岩魚が飛び出す。着色斑点の色も他の水系より濃いのが特徴だ。
 D沢中流部の標準的な渓相。階段状のゴーロ滝が続き、岩魚のポイントは明確。上の写真は、長谷川副会長が右の巨岩に身を隠し、ポイント右の岩穴に潜む岩魚を釣り上げた瞬間である。こうした釣り場は、岩魚に気付かれずに比較的簡単にアプローチできるだけに、釣りやすい。だが、落差が大きく岩魚が上流に自由に遡上できないこと、川虫も流されやすく餌も少ないことを考えると、岩魚の魚影は薄い。
 私はテンカラを降りながら釣り上る。左は、その稚拙な毛針に食いついた岩魚。右の写真は、テンカラのガラ掛けで釣れてきた岩魚。瀬に毛針を振り込むと、黄色のラインが妙な動きをした。すかさず合わせると、テンカラ竿は大きな弧を描き、強い引きが竿を握る手にビンビン伝わってくる。だが水面から顔を出した岩魚を見てガックリ・・・何だガラ掛けか。
 黒っぽい魚体と精悍な面構え・・・これぞ源流岩魚といった個体だ。斑点は全て白いアメマス系。この沢もニッコウイワナとアメマス系イワナが混生している。
カラマツソウ  ノビネチドリ・・・ピンボケ写真で申し訳ない!大変美しいラン科の高山植物。
 トチノキの花。枝先に15〜25cmの大きな円錐状の花序を直立させて咲く。養蜂業の人たちは、この花から蜜をとる。この沢沿いには、ブナよりもトチノキの巨木がやたら目立つ。
 標高900mを越えた二又地点。ここで竿をたたむ。ここから上流の源流部は、私たちにとって未知の世界。果たしてどんな岩魚が生息しているのだろうか・・・明日の探索にワクワクする思いを抑えながら渓を下る。
 キープした岩魚は、3人で10匹。その内訳は、刺身用に4匹、塩焼き3匹、ムニエル3匹。なぜか、この沢にはミズが生えていない。山の野菜は、タケノコ、ウド、アザミの茎。渓の傍らで焚き火を囲み、いつもの楽しい宴会がスタート。岩魚も山菜も一ヶ月ぶり・・・ついつい酒を飲み過ぎてしまい、ご飯も食べずにダウンしてしまった。
 二日目の朝、雨音で目が覚める。最悪なことに雨具を忘れてきたことに気づく。
 焚き火の火力を強くし、飯を炊く。タケノコの味噌汁と納豆でアツアツのご飯を食べる。残ったご飯は、密封容器に入れ、ふりかけをかけて昼食用にザックに背負う。カメラは、EOSKissデジタルとコンパクトデジカメの二台を持った。しかし、一日雨にたたられ、EOSKissデジタルと交換レンズは一度も出すことがなかった・・・終わってみれば、ただ重いだけだった。
二日目・・・T沢源流をゆく
 D沢支流T沢源流・・・一日中雨が降り、なかなかカメラを出せないのが何より悔やまれる。霧雨に煙る渓と同様、岩魚も神秘性を帯びていた。というのも、入れ食いで釣れたと思えば、アタリがピタリと止まったり、摩訶不思議な渓だった。
 橙色というよりも、全身濃い柿色に染まった独特の岩魚が生息している。着色斑点も、測線より下だけでなく、側線の上下に濃い柿色の着色斑点をもつ個体も釣れた。
 サワグルミ、トチノキ、ブナの原生林に包まれた渓をゆく。標高千メートル付近に来ると、不思議なほど平坦で、巨大な森が広がっていた。笹藪にタケノコを探すも、旬は過ぎていた。何とか食べる分は採取する。
 広葉樹に混じって、前方にトドマツの針葉樹も見える。
 生きている岩魚を撮るのは難しい。雨が降っていればなおさらのこと。なかなか思ったポーズをとってくれない。写真では、ちょっと不鮮明だが、着色斑点は丸だけでなく、長方形や楕円形など、その変異の多様性に驚かされた。
 深い広葉樹の森と苔生す渓が続く。私は、竿を持たず、仲間が釣り上げた岩魚を種もみ用の袋に入れ、生きたまま持ち歩く。これも結構疲れる。常に水の中に入れながら歩かねばならないからだ。なぜそんなことをするのかと言えば、岩魚の旬を保つためでもあるが、何より生きた岩魚の写真を撮るたいからだ。
 小雨が降り続く中、雪煙が舞い、深山幽谷の趣を呈してきた。このカーブを左に曲がると、魚止めの滝が目の前に姿を現す・・・
山釣りの滝・・・幽玄の美
 見渡す限り屏風のように屹立す岩壁から、垂直の白い帯となって落下する豪快な直滝。落差は約25m。頭上には霧雨が舞い、右手の残雪から雪煙の冷気が漂う。岩魚を追いながら深山幽谷に分け入り、こんな幽玄の滝に遭遇すれば、感激はクライマックスに達する。
 この幽玄な滝と出会えただけでも幸せというもの・・・本流D沢は沢登りのコースになっているが、その支流T沢を歩く人はほとんどいない。一般的な周遊コースから完全に外れているだけに、釣り屋以外は入渓しないだろう。沢を歩くだけでは、なかなかお目にかかれない滝・・・となれば「山釣りの滝」とでも命名しておきたい。
 魚止めの滝壺は、深く大きい。しかし、梅雨時の滝の飛沫、烈風は凄まじく、岩魚が棲むにはちょっとうるさすぎる感じがする。渇水期の冬ともなれば、滝の落下も格段に弱まり、格好の越冬場所に変身することだろう。
 釣れるはずがない・・・と思っていたが、右手の岩からアプローチした金光氏に岩魚が釣れた。しかし、尺にはとうに及ばない8寸ほどの岩魚だった。
生きた岩魚の撮影会
 渓流の脇に石で囲んだイケスを作る。その際、注意すべき点は、流れからイケスに水を出し入れするようにすること。岩魚がイケスで騒ぎ出すと、濁って撮影にならないからだ。囲む石が低くければ、簡単に飛び越えられる。無造作に囲むと、わずかな隙間からでも逃げられる。岩魚は、魚ではなく、魚の形をした爬虫類と思って慎重にイケスを作るのがベターだ。
 さらに積んだ石に大きな隙間や穴があると、写真のように頭から刺さるので岩魚の撮影にならない。(斑点や腹部の着色具合を写すにはいいのだが)・・・撮影用のイケスは、簡単そうにみえても、岩魚が本能的に逃げようとするだけに、結構難しい。一旦イケスに入れたら、岩魚が落ち着くまで待つのがベター。
 次なる撮影の問題点は、水面が乱反射し、ベストポジションの選定が難しいこと。PLフィルターをつければいいのだが、雨が降る最悪のコンディションでは、レンズが暗くなりシャッターブレを起こす。ちなみに撮影時のシャッター速度は、1/15〜1/30と滅茶苦茶暗かった。岩魚に近づきすぎると、あちこち逃げ回り、ベストポーズをとってくれない。だから360度動き回り、何枚も撮影しないと、満足する一枚を手にすることはできない。
D沢源流を釣る
 T沢を引き返し、D沢の源流を釣り上がる。階段状の好ポイントが連続。奥に入るに連れて、アタリも俄然よくなったが、なかなか尺物サイズは釣れない。岩魚に邪魔され、本流の魚止め滝には到達できなかった。残念!
 白い斑点のアメマス系だが、顔は黒っぽく、腹部から側線にかけて濃い柿色に染まっている。釣った瞬間は、腹部の色の濃さに驚かされる。もちろん口元、各ヒレとも柿色に染まっている。
 二条の滝に突きだした岩をよく観ると、サルの顔にそっくりではないか・・・今年はサル年だけに、何となく縁起の良い滝に見えた。カメラを構えるも、渓谷は暗く、シャッタースピードは1/8。残念ながらブレてしまった。
 釣っては、リリースを繰り返しながら釣り上がる長谷川副会長。それにしてもオスの岩魚の顔が妙だ。それも一匹や二匹じゃなかった。
珍魚が大量に生息・・・上顎が突き出たオス岩魚
 岩魚の口元をよくご覧ください。口を閉じても、上顎がかなり前に突きだしている。こんな妙な岩魚は初めてのこと。それも一匹や二匹ではなく、この源流に棲むオス岩魚の大半を占めていた。なぜ上顎と下顎が噛み合わないアンバランスな形をしているのか。それが遺伝しているとは、どういう意味、役割があるのだろうか。

 ・・・もう一つの疑問は、源流に似合わず、顔が小さく魚体が大きいことだ。これは、餌が豊富で成長の早さを物語る。こういう岩魚は、中流部に生息する体型のはずなのだが・・・。ちなみに源流の岩魚は、魚体に比べて頭が大きいのが一般的な特徴だ。
スロー風土を味わう「源流酒場」
 タケノコとダイモンジソウの若葉の天ぷら  アザミの茎。皮をむけば、実に色が鮮やか。
 味噌汁の具は、タケノコがメイン。  ウドのゴマ和え。
 刺身、塩焼き、ムニエル、各種天ぷら、唐揚げ、おひたし、ウドの胡麻和え・・・現地で採取した山釣り定食がズラリと並ぶ。これをツマミに酒を飲めば、極楽、極楽の世界へ。これこそ「スロー風土」をまるごと味わうスタイルと言える。
 ちなみに「スロー風土」とは、今なお日本の原風景が残る「水と緑の原風景」地帯をスローに旅し、その地域の食材にこだわった伝統食を味わうこと。つまり、自然、風土、原風景、食、文化は全てリンクしていることをスローな旅と食で体感することにある。ならば、山釣りというスタイルこそ「スロー風土」の原型ではないかと思う。
人格をもった山釣り
 頂上へ、できるだけ高い山へ登るだけが登山ではない。沢を登るだけが沢登りでもない。岩魚を釣ることだけが山釣りでもない。まして、目的地に着く時間が速いか遅いかなんて問題外。NPO法人アサザ基金の飯島さんは「人格を持った技術」についてこう語る。

 「日本農書全集は、今日の専門分化した技術書とは違い、技術が自然や地域、人と切り離されて語られていない。そこには、農業技術だけでなく、個々の生物の生態、自然界の現象、人はどう生きるべきかという人生観、世界観まで書かれている。農書の中で語られる個々の技術は老農の人格を通して、自然や地域、人と結ばれている。そこから”人格をもった技術”という言葉を思いついた。」

 これを「人格をもった山釣りの技術」に置き換えたならば、どうだろう。このHPで「自然と人間と文化を考える」というテーマを掲げたのも、単に岩魚を釣る現代のマニュアル人間ではなく、自然と人間と文化がお互いに切り離されることなく、むしろ一体のものとしてとらえる。魚しか見えない釣りの技術ではなく、自然観、人生観、世界観まで踏み込んだ、いわゆる「人格をもった山釣り」と言い換えることもできる。少なくとも、我々のめざす山釣りの未来は、そうありたいと願う。

山釣りの世界TOP

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送