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小出の越所〜栃川落合〜ツナギ沢〜マタギ坂〜大胡桃山〜車止め
 仙北街道は、美わしいブナの森と渓を縫うようなルートになっている。道草ばかりの珍道中・・・果たしてどんなドラマが待っているのだろうか。
 ミズのコブコ・・・湿った森の中はミズが群生している。このムカゴ状の実は、カモシカも選んで食べるほど美味だ。
 早速中村会長と長谷川副会長は、ミズのコブコ採りを始めた。いつもの年なら、これにキノコ狩りが加わるはずなのだが・・・。
 左右に沢を横断しながら進む。荷が軽くなったとは言え、美和ちゃんも大分山に慣れてきたようだ。
 古道沿いのトチノキ。その下には、トチの実がたくさん落ちていた。美和ちゃんは、子供たちのおみやげにと拾いはじめた。
 さらに、美和ちゃんは山神の石碑や標柱に出会うたびに祈りを捧げた。娘の合格を山の神様に熱心に祈願する姿は、やはり母親らしい心配りだ。家族あっての山釣りだから、家族を大切に!
 カツラの巨木が林立する古道をゆく。
 もちろんブナも見事で、何度も足止めを食わされた。
 老木が幹の途中から折れている場面も目立った。自然の厳しさと同時に、死から生へ・・・循環を強く感じさせる風景だ。
 古道は、時折沢に降りたり、滝を小さく巻くようなルートが続く。左手にツナギ沢が合流するとまもなく栃川落合だ。
 左手の高台が栃川落合。目印は、正面の小滝に顔を出す「亀の子岩」だ。
 「仙北街道 栃川落合」と刻まれた標柱。
 ここから急な上り坂となる。落差約100mほど上るとツナギ沢に合流する。
 古道に倒れ込んだブナ・・・「風の強い日はブナ林に行くな」という諺がある。ブナは幹の太さに比べて根が浅い。しかも原生林ともなればひび割れした老木も少なくない。ブナの森は意外と風に弱いという特徴を持っている。それだけに台風や風の強い日は、幹全体が倒れることも少なくなく、へたをすれば命にかかわる。「寄らば大樹の陰」という言葉は、ブナの森では禁物。
 ツナギ沢が合流すれば、やっぱり竿を出したくなる。これは釣り師のサガなのだろうか。荷を下ろし、ザックから竿を出して、日本庭園が続く渓としばし遊ぶ。しばらくアタリがなかったが、さもない瀬尻で良型のイワナが水面に顔を出した。しかし、浅掛りで簡単に外れてしまった。
 苔とダイモンジソウと女釣り師
 左の岩の下にいかにもイワナが潜んでいそうなポイント。しかし、なぜかアタリはなかった。すぐ近くに古道があるのだから、魚影が少ないのも当然か。
 小さなポイントに、張り出した枝が邪魔をするような場所でヒットしたイワナ。もちろん撮影した後リリース。腹部の柿色が一際鮮やかで、魚体が黒っぽい枝沢特有の個体だった。
 この右手に仙北街道が通っている。なかなかいいポイントだったがアタリがなく、ここで納竿とする。たまに走るイワナも見えたが、一様に小物ばかりだった。ツナギ沢には確かにイワナは生息しているものの、しばしキープするのは止めて、自然の回復を待つべきだと思った。
 古道沿いのナタ目。「尿前 高橋」と刻まれているが、その達筆さに驚かされた。ブナの幹に刻まれたナタ目を単なる落書きにしか見えない人もいるらしいが、実は古道の歴史、文化、果ては地名、旧跡を知る上で貴重な刻印でもある。そのいい例が、中山小屋跡の幹に刻まれた刻印である。1200年の歴史を持つ古道周辺には、その歴史を物語るナタ目が多いに違いない。今回はそれをじっくり観察できなかったのが残念だ。次回の課題にしようと思う。
 ツナギ沢の標柱・・・ツナギ沢沿いの古道は、ここが終点、昼食とする。
 昼食のメニュー・・・焚き火でじっくり燻製にしたイワナ、夕食の残りご飯で作ったオニギリ、カロリーメイト、カンパン、オールレーズン、ミニチキンラーメン、コーヒー。遡行中の昼食と言えども、必ず湯を沸かしてゆっくり食事を楽しむのが我が会の流儀。
 湯が沸くまで採取したミズの葉をもぎ取る。ミズのコブコは、実に手間の掛かる作業だ。中村会長曰く「これは年寄りの仕事だ」。
 ミズのコブコ・・・コブが連なる部分を採取し、茎とコブだけにして持ち帰る。「ミズのコブ」の名称で、直売所やスーパーで売っているのと同じだ。
 ここから急な窪地が続くマタギ坂を登る。
 標高差100m余り登ると、広い古道に出る。牛や馬が通れるような広さだ。難所が続く仙北街道は、背負子によって荷を運んだため、駄賃銭が比較的高くつくばかりでなく、旅人の労力にも忍び難いものがあった。何とかしてこの山道を馬や牛が通れるようにできないものか・・・それは両藩住民の悲願だった。

 両藩の肝煎が内々に相談をし、牛道に改修する許可願いを藩庁に送った。ところが許可がなかなか出ず、しびれを切らした肝煎は、まさか「不許可」ということはあるまいと、改修に乗り出した。山道開墾途中、秋田藩から突如「その工事まかりならぬ」というキツイ中止命令がきた。藩庁より御用の提灯をかざして肝煎が引き立てられていった。途中で頓挫した牛道改修の名残りが、この広い古道である。
 ここで道は二手に分かれる。左のルートは、大胡桃山に上る旧ルート。右は、牛が歩けるように山道開墾された迂回ルートだ。
 ブナの中間から幹が折れ、山門のような形をした大胡桃山ルートを上る。
 窪地状の急坂を喘ぎながら上ると、視界が開けてくる。山頂はもうすぐだ。上りながら会長が呟く。「これじゃ釣りじゃなくて、まるで山登りだな。だから゛釣り山゛って言うんだが」「いやいや、゛山釣り゛って言うんだ」・・・笑いながら荷の重さを吹き飛ばす。
 大胡桃山(おおぐるみやま)・・・標高934mに過ぎないが、道中最も見晴らしの良い場所である。あいにく曇天で、焼石岳は雲海に包まれていた。「地元の人が゛野坊主゛と呼ぶこの山は、四方さえぎるもののない、極めて眺めの良い山で、野坊主とはよくもよんだり、草と潅木だけの丸い形の山である」(仙北街道覚書より)
 重畳たる広葉樹に包まれたツナギ沢方面を望む。正面の平らな山が栃ケ森山(1070m)。山頂の向こう側は、東成瀬村北ノ俣沢である。1200年前に見た風景と全く変わらない風景が広がっている。牛道改修の中止が幸いしたのだろうか。古道から、今なおかつての原風景を見ることができるのは、やはり奇跡と言うべきだろう。
 大胡桃山から窪地状の古道を下る。
 まもなく、迂回ルートとの二股に達する。右手に200年を超えるブナの巨木が仁王立ちしている。そのブナは、近世以降裏街道を歩いた人々を全て見届けてきたに違いない。
 仙北街道の終点近くにあったミズナラの巨木。苔生した一本の幹が「座ってください」と言わんばかりに真横に張り出している。その誘いに乗って、仙北街道を踏破した感激のVサイン。
 左のルートは、小胡桃山へ至るルート。かつては、薮と化していたが、きれいに刈り払いされていた。右のルートは、大寒沢林道終点に至るルートだ。岩手県側から小出川まで古道の半分を歩く人は多いが、秋田県側から岩手県側まで踏破する人は少ない。1200年の古道の存在を知って以来、その踏破は夢であっただけに「古道を歩く岩魚旅」は格別な充実感があった。
山美しく 人貧し(農民作家・伊藤永之介)
 1200年余りの歴史を持つ仙北街道だが、大正時代に北上-横手間の平和街道(国道107号線)が開通すると、人の往来も途絶え、国土地理院の地図からも消えた。また仙北街道起点の下嵐エ集落は、昭和30年代の石渕ダム建設で移転、今は平らな草原、薮と化している。山に刻まれた古道と言えども、人の往来がなくなれば、あっと言う間に薮と化し、人々の記憶からも消え去ってしまう。

 幸い、地元の山菜・キノコ採り、マタギ、渓流釣りなど、ごく一部の人たちが細々と利用していたお陰で、古道はかすかに生き残っていた。平成2年、古道を復活させようと「仙北街道を考える会」が発足したが、その時既に森林生態系保護地域に指定され「原則入山禁止」となっていた。これらの経緯を考えると、農民作家・伊藤永之介の言葉が思い出される。「山美しく 人貧し」・・・東北の山と渓谷には、ブナ帯に生きる人々の歴史と文化が縦横無尽に刻まれている。それを無視して、どこかの国の管理方法をそのまま模倣し「入山禁止」にして保護しようという安直な考え方は、まさに「山美しく 人貧し」そのものだと思う。この古道が復活するまでに、様々な紆余曲折があっただけに、「山美しく 人貧し」の言葉を今一度かみしめてほしいと願う。

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