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父娘で初めて歩く白神渓流散歩・・・世界遺産・白神山地大川
 「キノコが不作」との情報にブナ林のキノコがやけに気になっていた。そんな折、沢歩きに全く興味を示さなかった娘が白神の沢を歩いてみたいと言い出した。これはもっけの幸いと10月上旬の日曜日、白神へと向かった。
 苔生す巨樹と・・・。

 これまで岩魚釣りに何度も誘ったが、娘は全く無関心だった。そんな娘がなぜ「白神の沢を歩きたい」と言い出したのだろうか。それはどうも白神岳の登山がキッカケのようだ。県外の登山者たちから「どこにでもある普通の登山と変わらない。なぜこれが世界遺産なのか」との声にショックを受けたようだ。白神山地の本当の魅力を知りたい・・・白神の谷を歩けば、積もり積もったストレスを解消できるのではないか。
 釣瓶落峠の絶景・・・深いV字渓谷を流れる雲海。雲に乗って孫悟空でも飛び出してきそうな幻想的なシーンに、しばし足止めを食わされた。
 釣瓶落峠を越え、西目屋村湯ノ沢川沿いの道路から尾太岳(1083m)稜線を望む。頂上付近は黄葉に染まり、やっと「黄葉の峰走り」のドラマが始まったようだ。日曜日とは言え、キノコ狩りに訪れる車の多さに驚いた。小沢が流入する地点は、ほとんど駐車スペースが車で埋まっていた。
 問題は、誰でも登れる登山と違って、初めて沢を歩くには特殊な装備が必要だ。サイズは合わないが、使い古しの熊避け鈴、ウエットタイツ、スパッツ、渓流足袋一式を娘に貸すことにする。車止めに着くと、地元のマイタケ採りの古老から早速驚かれた。「えっ、この娘を連れて沢を歩くの、ホントか。山道を歩くのとは訳が違うよ」・・・無理だと言わんばかりの口調だった。昨夜の雨で川はいつになく増水していた。さらにキノコの季節ともなれば、流水は身を切るように冷たく、初心者の渡渉は無理のように思うのも当然のことだった。
 初めて水の中に入ると「靴の中に水が入ってくるよ」と訴えた。「水は入ってきてもいいんだ。靴の中が水で一杯になったら、体温で暖めればいいだけだ。水を嫌うのではなく、水と仲良くならなきゃ駄目だ」・・・。家では説教めいた話を聞こうとしない娘が、素直に従った。こうした心境の変化は、白神岳の登山では感じられなかった。というのも、白神岳の登山では、一緒に登らず、途中から勝手に一人で登りはじめたからだ。白神の谷では、一転私の力を借りなければ、勝手に一人で歩けない。

 流れの速い沢の渡渉は、深さにかかわらず全てスクラム渡渉で歩く。高巻きなど危険な箇所は、お助けヒモでサポート。考えてみれば、沢には道も案内標識もなく、危険が一杯待ち受けている。お互いに助け合わなければ、一歩も前に進まないところが、沢歩きの魅力の一つ。底まで透き通る清冽な谷、「恐い」と叫んだ幽谷に分け入ると、「オモシロイねぇ。山登りより、沢を歩く方が断然オモシロイ」と言い出した。そりゃそうだ。白神の魅力が詰まった沢を歩くんだから・・・。
 苔に覆われた倒木に群生していたサワモダシ(ナラタケ)。残念ながら、ほとんど腐りかけていた。もったいない・・・。
 遅い朝食は、サワモダシ(ナラタケ)の味噌汁を作ってのんびり食べる。9時を過ぎた頃、早くも一仕事終え、下るマイタケ採りの人・二人に出会った。さらに上流には、車止めで準備をしていた古老がいるはずだ。キノコの期待は捨てて、沢をのんびり歩くことにする。
 枝沢に入った途端、ナメコの幼菌に出くわす。天然のナメコを見たことのない娘が叫んだ。「綺麗だ!綺麗だ!」・・・予期せぬナメコとの遭遇に心底感激したようだ。
 ヌメリと色艶は一級品。もう一週間もすれば、素晴らしい造形美を見せてくれることだろう。よく見ると、岩魚の卵が倒木に着生したかのように見えるから不思議だ。
 ブナハリタケ・・・今年は不作を意味するかのように、大規模な群落はなかった。それでも食べる分は十分に採取できた。ナイフで丁寧に切り取り、水分を絞り出して買い物袋に入れる。
 キクラゲ・・・中華料理で有名なゼラチン質のキノコで、漢字で「木耳」と書く。確かに生えている姿は木の耳のように見える。
 透き通るような流れに岩魚が何度も走った。淵尻の流れの緩い小砂利の場所では、もうすぐ岩魚の産卵が始まることだろう。
 沢沿いに鎮座する巨木。幹に巻き付くツルも巨大で、分厚い苔と地衣類に覆われていた。
 沢を右に左にスクラム渡渉を繰り返しながら、マイナスイオンを一杯に浴びて変化に富む渓流を歩く。清冽な渓流が放つマイナスイオンで身体が中和されてくると、次第に心も穏やかになってくる。
 左岸から流入する小沢は、一面苔の世界。背中から三脚を取り出し、静寂と幽玄の美を撮る。ミネラルをたっぷり含んだ冷水は、殊の外美味い。
 点在する岩の表面が見えないほど、多様な蘚苔類と水辺を好む植物が生えている。その隙間をブナ林から湧き出す清らかな水が走る。
 薄暗くなった枝沢に懸かる滝。屹立する両岸の壁は、緑の苔とシダ植物に覆われ、遥か頭上から白い帯が飛沫を上げて落下している。周囲はマイナスイオンに満ちている。滝の形を見ると、「龍神の滝」とでも形容したくなるような滝だった。
 清冽な谷を小沢の斜面から俯瞰する。豊かな渓畦林に覆われた渓流は、川虫と岩魚の宝庫を物語る。
 アカムツタケ?・・・丸山形から後、まんじゅう形。
 朽ちたブナの根元に群生していたサワモダシ(ナラタケ)。急斜面を駆け上がり、近づくと、残念ながらほとんど腐りかけていた。サワモダシの時季は既に終わったようだ。
 清冽な流れに道草しながら、心の洗濯を繰り返す。すがすがしさを誘う白泡の帯と底まで見える透明度に、娘は「綺麗だ、綺麗だ」を連発する。登山では、決して味わえない景観が広がっている。
 ブナの立木に生えていたキノコ。ヌメリツバタケ?だろうか。黄葉に染まると、キノコ、苔、地衣類などの「共生共死」の美は、さらに輝きを増すことだろう。
 ブナの根元で、コーヒー、スープを飲みながら冷えた身体を暖める。鬱蒼としたブナの森に包まれた小沢は、薄暗く、流れに点在する岩も風倒木も全て分厚い苔に覆われていた。「この上を歩いてみよう」と言うと、薄気味悪かったのか「怖い」と言い出した。
 小沢周辺のブナ林。ブナとブナの間隔は広く、見上げると意外に明るい。「怖い」と表現したのは、不気味な静寂、そしてクマやサル、カモシカなどの獣が出るのではないか、といった不安があったようだ。
 「こういう世界に初めて分け入ると、人は幽霊でも現れるのではないかと不安に襲われるんだ。だから幽霊の゛幽゛に゛谷゛をくっつけて゛幽谷(ゆうこく)゛と呼んでいるんだ。もちろんクマと突然出会う危険も一杯だ。不意に出会うと、熊がビックリして突然襲うこともある。特に親子熊は一番危険だ。子熊を助けようと、母熊が人を襲うことも珍しくない。だから不意の遭遇を避けるために、熊避け鈴を付けているんだ。」
 苔生す階段状の流れを見て「これって人間が造った水路じゃないんだ」と自然庭園の見事さに関心したり、「綺麗な水の周りは、マイナスイオンがたくさんあるんじゃないの」と矢継ぎ早に質問が飛んでくるようになった。
 「都会じゃプラスイオンだらけだから、イライラするのも当たり前だ。ブナの森に囲まれた渓流は、ただ美しいから気持ちが落ち着くんじゃない。森からはフィトンチッド、清流の飛沫からはマイナスイオンをたくさん浴びるからイライラもなくなり、心も優しくなれるんだ」
 一面苔に覆われた渓流は、曇天になると三脚なしには手ブレをおこすほど薄暗い。しかし、こうした原生的な渓流を歩くと、いつもすがすがしい気分になる。こうした清冽な水が飛沫を上げて流れる渓流周辺は、マイナスイオンを豊富に含んだ空気に満ちている。一方、町では、自動車の排気ガス、テレビやパソコン、電子レンジ、携帯電話などから放出される電磁波はプラスイオンばかりだ。それならマイナスイオンは、どんな効果があるのだろうか。
 簡単に要約すれば、体内細胞の毒素を排泄しアルカリ性に変えて血液の循環を高める作用、細胞の活性化作用、血液の浄化作用、アレルギー体質の改善作用、鎮痛作用があることが分かっている。つまり、プラスイオンは、この逆の悪い作用しかなく、マイナスイオンは人体の生理作用を快調にし、人間が本来持っている自然治癒力を高める効果があると言われている。私たちが渓流釣りやキノコ、山菜採り、沢登りに熱中するのは、どうもこのマイナスイオンを全身に浴びて中和させようとする本能があるからかも知れない。
 分厚い苔に覆われた倒木に、小さいが可愛らしいキノコが顔を出す。
 顔をだしたばかりのムキタケの幼菌。これは採らずに、撮るだけにする。1〜2週間もすれば、素晴らしいムキタケの群生美が見られることだろう。
 やや大きくなったムキタケ。何とか食べられそうなので、数枚採取する。
 ブナハリタケの幼菌。いつもなら、倒木一面に群生しているはずなのだが・・・。
 ジャゴケ(蛇苔)と清冽な流れ。
 ブナが林立する斜面から沢を俯瞰する。森から発散されるフィトンチッドは、森林浴効果の一つ。「フィトン」とは「植物」、「チッド」とは「殺す」という意味を持つロシア語だ。簡単に言えば、他の植物や細菌などの侵入を撃退する働きを持つ。つまり、動くことができない樹木の自己防衛的役割を持っている。これを人間が浴びると、清涼効果、生理機能の促進、頭痛・吐き気などの病を治す効果があると言われている。ちょっとした風邪ぐらいなら、簡単に治ってしまう理由は、どうもフィトンチッドとマイナスイオンの相乗効果にあるようだ。
 見事な造形美を見せるツキヨダケ。
 透過光でキノコを撮る。上の茶色っぽいキノコがムキタケ、下の白いキノコがブナハリタケ。
 美しい造形美を示すムキタケの幼菌。もう一週間もすれば、思わず踊り出すほど素晴らしいキノコに変身することは間違いない。キノコが不作と言われる割には、ムキタケは平年作のように思う。ナメコは、まだほとんど顔を出しておらず、この時点では未知数というほかない。
 走る岩魚を見て、「今度は岩魚を釣ってみたい」と言い出した。余りにも出来過ぎたストーリーに我ながら驚くほかなかった。もちろん、来年、岩魚釣りに連れて行くことを約束したことは言うまでもない。しかしよくよく考えると、出来過ぎた偶然のストーリーではなく、白神のブナの森と渓が放つ不思議な効用を全身で浴びた結果のように思う。黄葉はまだだったが、豊穣の森に感謝し、足早に渓を下った。「来春は、どこの渓で岩魚を釣らせようか」と考えながら・・・。

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