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清水寺参道、祇園・花見小路、東寺、百万遍・知恩寺、京大周辺、吉田神社、真如堂
京都らしい風情1・・・清水寺参道
 清水寺は、数ある京都観光の中でもダントツの人気を誇る場所。それだけにいつも省略しようと思うのだが、ついつい寄ってしまう妙な魅力がある。それは、世界文化遺産・清水寺にいくまでの参道に京都らしい風情があるからだ。清水坂、三年坂、二年坂など、古い町並と東の山に向かって石畳を上っていく感じもまた格別だ。(写真:正面に見えるのは東山のシンボル八坂の塔)
 京都らしい町並と石畳が連なる参道。三年坂で転ぶと三年で死ぬという迷信は、かつて周辺が墓域であったからだと言われている。縁起の悪い迷信を恐れて、後に「産寧坂」と改められた。
 京都の町屋・・・表の格子は、戸を開けていても家の中が見えないよう細かい格子造りになっている。
 古い町並に前衛的なアートを掲示しているが、なぜか景観と合っているような気がする。一見人間の世界とは異なる異界のアートのようにも見えるが、実は「鬼が飛来!怨霊が息づく京の町、ほらほら、そこ気をつけて、百鬼夜行が通っているよ」(「京都・異界をたずねて」淡交社)とも言われている。つまり異界は聖域でもあるというわけだ。写真を撮るには、この異界のアートの口に100円を入れてから撮るべし。
 清水寺ライトアップ
 音羽の滝・・・清水の舞台を降りてくると、音羽の滝で水を汲む行列ができる。この滝は三筋の流れに分かれている。これは滝に打たれながら水垢離をするために三つの筋をつけたと言われている。仏教的な意味は、中は利得、右は知恵、左は慈悲を表す。ただし欲張って全ての水を汲んで飲めば、ご利益は帳消しとなるのでご用心。清水寺は、この神聖な清水から名付けられた。
 高校生の舞妓体験だろうか。三重塔をバックに記念撮影していたので、横から拝借した。やっぱり京都は、伝統的な舞妓の衣装がよく似合う。
京都らしい風情2・・・祇園・花見小路
 四条大橋の袂に建つ出雲の阿国像・・・「都に来たりてその踊りを披露し都人を酔わせる」と碑文に記されている。これは斜め向かいに建つ南座が歌舞伎発祥の地であることを意味している。つまり出雲の阿国は、四条河原の大スターであった。
 南座・・・1年で最も活気づくのは12月の顔見世興行。玄関正面に出演者の名前を書いた「まねき」があがる。東西の歌舞伎俳優が顔をそろえる南座は、歌舞伎の殿堂とも言われている。江戸時代の初め頃には、四条河原にさまざまな見世物が催され、芝居小屋が7軒もあったという。そのうち唯一残ったのが南座である。ただし、私は一回も観たことがない。
 祇園の花街風情を今に伝える花見小路・・・花街だけに夜のライトアップされた風情が最高だ。しかし、私のような農耕民族か狩猟民族か分からないような田舎者にとっては、近寄りがたい雰囲気を持っている。それがために入ったことはなく、ただ町並の美しさを鑑賞して終わってしまう。

 駒寄せ・・・家の前にある木の柵を「こまよせ」と呼ぶもともとは、荷物を運んできた牛馬をつなぎとめておくものだったという。
 犬矢来(いぬやらい)・・・屋根の下にある丸い形をしたものは、単なる飾りではない。通りに面した壁を、屋根から落ちた雨水の跳ね返りで汚れないように保護している。つい見落としてしまうようなところにも洗練された京美学が感じられる。

 一文字瓦・・・京町屋は、通りと平行に連続し、すっきりした統一感をもっている。その水平線を強調するために軒先の瓦には、下端がまっすぐ切られた「一文字瓦」を使っている。
 うなぎの寝床・・・京都の町屋は、「うなぎの寝床」と言われる。これは間口が狭く、奥行きが細長い造りになっていることから名付けられた。「うなぎの寝床」は、人口増加に伴い、狭い空間にできるだけ多くの人が生活する必要性に迫られて生まれた。「京間」とか「京角」、「京瓦」に至るまで、住宅の徹底した規格化の産物でもある。こうした民家の造りが地方の都市にも広がり、各地に小京都と呼ばれる町ができた。
 町屋の打ち水と文化・・・暑苦しい夏の京都では、玄関先で打ち水を撒く光景によく出会う。打ち水を撒くと、温度差が生じて空気が動き、風が起きる。町屋の建築様式は、その風を家の中に巧みに取り入れる形式になっている。ここにも水をうまく使う文化の秀逸さを感じる。よくよく考えると、こうした水の文化は、京都盆地特有のクソ暑い夏を吹き飛ばす必要性に迫られて生まれたものばかりだ。つまり風土と文化は、一体のものだとつくづく感じる。しかも京都は、その知恵と技の蓄積が1200年と桁違いに長いだけに、他所者からみれば、何もかもが洗練された文化のように見えてしまう。 
弘法さんで親しまれる世界文化遺産・東寺
 東寺と言えば、高さ57mで日本一高い五重塔が有名だ。しかし、京都観光は京都駅より北が定番で、南に位置する東寺まではなかなか足が向かない。今回も行く予定にはなかったが、毎月21日は「弘法さん」の露店が並ぶラッキーな日だったので、京都へ着くなり東寺に向かった。
 空海は、遣唐使の一員として中国で修行し、帰国後高野山に密教修行の道場を作った。東寺を任されたのは、50歳の時というから、私と同じ年なので何となく親近感を持ってしまう。毎月21日、弘法さんの命日には、境内にズラリと露店が並ぶ特別な日だ。中でも12月21日は、終い弘法で賑わう。

 まずは昼飯と思ったが、余りの人の多さに東寺から離れた店を探す。ラッキーなことに昔よく食べた中華料理店「王将」を見つけた。よく食べたニラレバー炒めが350円、餃子は180円と格安。貧乏学生に戻った気分で懐かしの味をたいらげた。満足、満足・・・。
 境内の露店・古物市に殺到する市民。京都では、25日、菅原道真の命日に「天神さん」として賑わう北野天満宮も有名だが、規模は弘法さんの方が大きい。余談だが、同じく遣唐使として中国で修行した真澄とは仲が悪かった。というのも真澄の天台宗は大乗仏教で「他利」を願うが、空海は真言密教で、学問知識ではなく実践だとして袂を分かったからだ。
百万遍という奇妙な地名
 百万遍の由来となった知恩寺。京大キャンパスの角に百万遍という奇妙な地名がある。それこそ何万遍も通った交差点だが、その意味を深く考えたことがなかった。百万遍の近くにある寺・知恩寺と深い関係があったとは・・・
 疫病が発生し、多くの人々が命を落とした際、知恩寺第8世が、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」と百万遍の念仏を行った。そのかいあって疫病が鎮静したことから、百万遍と名付けられたという。法然の説く浄土宗は、「南無阿弥陀仏」と称えるだけで極楽に行けるという思想は、誰でも簡単にできるだけに多くの市民の共感を得た。
 左:古本屋・・・百万遍東今出川通りには、古本屋と質屋が軒を連ねていたが、質屋はサラ金の登場で絶滅。古本屋はかすかに残っていたが、激減していた。貧乏学生にとっては、どちらも散々お世話になっただけに寂しい光景だった。

 右:老舗の喫茶店「進々堂」・・・大学の一部のような喫茶店で、創業は1930年と古い。人間国宝・黒田辰秋氏が手がけた木製の長テーブルと長椅子が目玉で、まるで図書館のように静かに勉強する学生が多かった。私は、難しい本を開くよりもコーヒー一杯で漫画を何時間でも貪り読むのが常だったから、この名物喫茶店には数えるほどしか入ったことがない。
 大学構内をしばし散歩。赤いペンキで大きな落書きがあった時計台、やたらあった反権力の看板、ビラ、ヘルメットを被りマイク片手に怒鳴り散らす学生たち、試験が近づくと決まってストライキ封鎖が繰り返された面影は皆無。学生運動なんて、遠い昔話に成り下がっているようだ。
 わずかに片鱗が残る看板をやっと見つけた。それでも昔と比べたら迫力は全くない。10年前に発行された「京都おもしろ再発見」(朝日新聞京都支局編)には、既にこんな呟きが記されていた。「今の若者には、自分というアイデンティティがない、好奇心がない、他人とのコミュニケーションもない」「学生の特権、反骨精神がなくなった」等々、昔と比較し、気概不足の学生気質は学生運動と無関係ではないと分析していた。
 懐かしの吉田寮・・・今から25年以上も前から、老朽化した寮の改築問題が何度も持ち上がっていただけに、まさか昔のまま現存しているとは想像だにしていなかった。もはや文化財ものだ。ただし、内部がもっと綺麗ならだが・・・。かつては、一回生なら3人の大部屋、二回生は2人部屋、三回生になって初めて個室に入れた。今思うと、学生運動の巣だった割には、古い階級性が生きていたんだなと思う。それに異を唱える者は誰もいなかったのだ。金はないが暇だけは売るほどあったし、奇妙奇天烈、滅茶苦茶、奇人変人たちがそろっていた時代だから当然か。まだまだ書きたいことは山ほどあるが、昔の話をすれば鬼が笑うというからこの辺でオシマイにしておこう。
吉田神社
 吉田の地名は、吉田山から西山麓にまたがる吉田神社に由来する。国宝級の建物もあるが、いつも参拝者はまばら。「徒然草」の吉田兼好法師は、ここの社務職の家に生まれた。節分の「鬼やらい」は有名である。静かに散策するには隠れた名所だ。吉田山(105m)の頂上には、旧制三高の寮歌「紅萌ゆる丘の花」の歌碑がある。
閑静な真如堂
 吉田山を東に下ると閑静な山裾に真如堂がある。観光でごった返すような寺とは無縁で、殊に古寺の境内を真っ赤に染める紅葉は見事だ。吉田神社から真如堂、哲学の道へ至るコースは、森とアップダウンが続くだけに、隠れた散策コースだと思うのだが・・・。
 重厚な本堂と優美な三重塔、諸堂がゆったりと並んでいる。広い境内には、参拝者がまばらで、近くの子供たちの格好の遊び場となっている。言わば鎮守の杜的存在だ。本堂の中に入ったことはないが、大文字山を借景にした枯山水の庭が公開されていた。さぞ美しいことだろう。

 雪大文字・・・雪が降った朝、大文字山を眺めれば、「大」の字が白くくっきり浮かび上がる。それは、それは美しい。京都では「雪大文字を見た日は、ええことがおすえ」と言った。

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